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緑
あれは現実にあったことなのか。それとも幻だったのか。
それはわからない。
わからずに相変わらず寝込んでいた私の元へ翌日、直哉の妹の香澄ちゃんが訪ねてきた。
「これ、遅くなっっちゃったんですけど、美鈴さんに。兄貴から」
「え……?」
香澄ちゃんが差し出したのは、黒い小さな箱だった。もしかして直哉のものだろうか。黒い箱のところどころに血痕らしき染みがあった。
「事故に遭ったとき、兄貴がポケットに入れてたみたいで。その……中、見てもらっていいですか?」
促され、私はそろそろと箱に手を伸ばす。そしてゆっくりと開けた。
視界に飛び込んできたのは鮮やかな、緑。
それは、エメラルドの指輪だった。
「箱にお店のロゴあったから私、行ってみたんです。お兄ちゃん、これ誰に渡すつもりだったのかなって。そしたらお店の人が教えてくれました。
『友達みたいな幼馴染に、今日こそちゃんと付き合おうって言おうと思ってるんです。ちょうどもうすぐあいつ誕生日だし。あいつの誕生石のエメラルドの指輪渡して。
そこまでロマンチックにすれば、俺が本気だって伝わると思って』って」
「それ……」
「お兄ちゃん、指輪が出来上がったからそれを受け取りにあの交差点、通ったんですね。その足で美鈴さんに会いに行こうとしてた」
香澄ちゃんの目に涙が浮かぶ。その彼女の顔から、私は目をエメラルドの指輪へと向ける。
………美鈴は本当に、緑色が似合うな。
「ああ、もう……。こんなきざったらしいことしなくて良かったのに」
零れ落ちた自身の声に私は首を振る。
いいや、直哉じゃなく、私がもっと早く言っていれば良かったのに。
好きって、もっと早く、言っていれば良かったのに。
馬鹿だ。
泣き出した私の傍に香澄ちゃんは黙っていてくれた。
ぽんぽん、とときどき背中を叩いてくれる、その温かい掌を感じながら、私はエメラルドの指輪をそうっと掌で包み込む。
ずるいよ、直哉。
私には告白、させてくれなかったのにさ。
自分はちゃっかり告白していって。
本当に、ずるい。
私は連れて行ってもらっても、全然良かったのに。
「私ね、直哉と会ったの。神社で。昨日」
掠れた声で言うと、香澄ちゃんがぎょっとしたように私の背中を叩く手を止めた。そうっと覗き込んでくる彼女に、私は泣き笑いで告げた。
「連れて行きたくなるから、それ以上言うなって告白止められた。自分はこんなの残しておいてさ。ずるいよね」
「………」
香澄ちゃんが黙り込む。ああ、困らせてしまったな、と無理やり笑顔を作ろうとした私の背中を再び、ぽんと柔らかい手が叩いた。
「それでいいと思います。多分だけど、美鈴さんとお兄ちゃんは来世でまた会えます」
「来世……」
呟いた私に、香澄ちゃんはちょっと笑ってみせてから、エメラルドの指輪を指さした。
「エメラルドの宝石言葉は、幸運、幸福、夫婦愛、安定。それから、希望」
「希望……」
「はい。お兄ちゃんは美鈴さんに希望を託したんです。こっちで希望を持って生きていけって。そしていつかまた夫婦になろうって」
窓から差し込む光にエメラルドが淡く光る。その光を目に映しながら、私は思う。
直哉がどう思っていたか、それはわからない。
でも、もしかしたらまた会えるかもしれない。
この緑の輝きがまた直哉まで、導いてくれるかもしれない。
昨日、直哉が似合うと言ってくれたワンピースの緑が直哉と私を繋いでくれたみたいに。
いつか。
その日が来るまで私は生きよう。この緑とともに。
掌に乗せていた指輪を私はそうっと左手の薬指に通す。日に透かすと、柔らかい光が瞳を射た。
直哉が似合うといってくれた緑色が、私の目を優しく包んだ。
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