1.春

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「………ん。頭、いてぇ……」  ガンガンと鳴る頭を抱えながら、月曜二限の心理学の為に、大学の正門を潜る。流石にどうやら、飲み過ぎたらしい。  酒について警告する正史兄ちゃんとは違って、太一兄ちゃんは「一度吐くまで飲んでみた方がいい」と日本酒まで取り出した。「限界を知るのは、大事なことだ。引き際を理解して置いた方がいい。特に、男子は」と。社会人の厳しさを高校を卒業してから真っ先に経験した長男の言葉だと思うと、本当にそうなんだろうと、有り難い言葉のように思う。  兄ちゃんとこうして、膝を割って話すことも久し振りで、ついつい、俺も酒が進む。どうやら、苦くて受け付けがたいのはビールだけのようだった。 「よっ! …あれ? 芳樹、体調悪い?」 「……ん、別に……」  講義室へ向かう途中で大成と出会い、並んで歩く。前から思ってたけど、講義棟まで無駄に広いキャンパス内である。  大成は何やら明るい声で楽しそうに話していたが、完全に右から左で、「んー…」とか「あー…」とか、そんな返事をしていたと思う。なんせ、頭が痛い。  講義室にやっと着き、適当に空いている席に座って、筆箱やらノートをリュックから出した時に、事件は起こる。 「あれ? 芳樹、筆箱変えた?」 「んー…」 「ボールペンも。めっちゃいいヤツっぽいじゃん。何、プレゼント?」 「んー…、そ。家族から。昨日、誕生日だったんだよ」 「はっ?!」  周りの奴らが一斉にびくりと肩を震わせ、こちらをなんだなんだと振り返るくらい、大きな声だった。  俺も、一瞬、頭が痛いのを忘れて、目が覚めた気分で大成の顔を見返した。 「いやいやっ、なんで言ってくれねぇのッ?」 「………は? いや、別に。言う程の事でも無くね…?」 「はぁ? お前、また…。いや、俺は、お前が二十歳になる瞬間、一緒に過ごして祝いたかったんだけどっ?」  先程まででは無いにしろ、なかなかに大きな声だった。依然として注目を浴びていることと、内容が内容なだけに、かぁーっと赤くなる顔を実感した。 「ばかっ…! 声でかいッ……!」  そこに、「痴話ゲンカ?」と、いつぞや大成と「尻派? 胸派?」と話していた友人がやって来た。心理学を取っていたらしい。 「つかさ、芳樹、彼女ちゃんと別れたん? 大桐秋夜(おおぎりしゅうや)ちゃん。今は大成と、そーなの?」 「いや。コイツら、ガチで付き合ってんだよ。だから俺の、カタオモイ」 「違う」と言いかけている間に、大成が割って入った。「応援してねぇ~」と頬に手を当て、身体をくねらせる大成に、くっくとそいつは笑った。 「くっそ男にモテるじゃん、芳樹」 「………嬉しくねぇよ……」 「ははっ。御愁傷様っ! いつかお前らが付き合い始めたって噂が流れるの、楽しみにしてるわ」 「ねぇーよ」  そいつはひらひらと手を振りながら、前の席に進んでいく。別の友人を見付けたらしく、既に四人くらいでまとまっていた集団に身を寄せて座った。 「………」 「………酒は」 「え?」  何気無くそいつを見送っていた俺は、大成が珍しくポツリと呟いた言葉を、一瞬、聞きそびれた。 「なんて?」 「酒は? 飲んだ?」 「………まぁ。今、人生初の二日酔いを体験してるトコ……」  チッ、と大成の口から音が漏れる。 「秋夜がお前とキスした時、誓ったんだけど……」  待て待て。なんの話し?何を誓ったって?  慌てて周りを見たが、先程よりもぐっと抑えられた声のボリュームは、どうやら俺にしか聞こえていないらしかった。 「俺、この先のお前の、『はじめて』が全部欲しい。てか、奪いたい。奪う」 「はっ……」  深刻な顔で言う大成に、俺は、「ハジメテ…?」と頭の中で疑問符を浮かべるばかりで、実際には口から出た言葉は続かずに、ただ、口をはくはくとさせた。なわなわ、と身体が震えた。悪寒。 「誰と飲んだの? 一人? 家族? 『(かなえ)チャン』?」 「…………家族」 「なら、友人ハジメテは、俺な」  大成は最大の譲歩だとばかりの顔をして、言う。「祝いたかったわ」とまたぶつぶつと繰り返した。どうも、わりと怒っているらしい。 「知らねぇよ」と「ごめん」の言葉が浮かび、どっちを口にすべきか悩んでいる間に、あの男……叶ちゃんの元カレらしい安達(あだち)センセが講義室に姿を表す。 (…そっか、アイツだったな、心理のセンセ)  今更思い出して、不快に……思う余裕も無かった。 (…………信じてないくせに、)  黙った大成はもう何も言葉を紡がず。俺も、奴が教壇の前に立つのを静かに目で追った。  けれど、頭では全然違うことを考えていた。先程の会話の、殆ど全部を思い返していた。  俺の誕生日祝いたい奴居たんだなとか、言わなくて悪かったかなとか、流石に怒ってんな、とか。 (……秋夜と付き合ってるって、話、合わせてくれた……?)  大成を優しいと評価した秋夜の言葉がちらつく。俺が、必死だったから?お前らの前でキスすることになった日、必死に、秋夜と付き合ってることにしたいたかった俺の事情を……まさか、汲み取った?  あれは、あの時、大成の言い寄りを回避したいが為に声を大にして「秋夜と付き合ってる!」と言ってしまっただけだった。確か、秋夜は彼女が居ることになっていてーーー……。  ガンガンと、忘れていた頭痛が再び、頭を内側から打った。 「………」  一旦、考えるのを止めることにした。
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