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昨晩から、まるで胸焼けでもしているような、なんだかもやもやとした気持ちで講義室に向かうと、先に座っている秋夜の姿を見付けた。その隣に座る。
「はよー」
「……ああ。芳樹……」
「…………何かあった?」
秋夜は何と無く、どんよりと気分を落ち込ませているようだった。表情こそあまり変わらないが、秋夜はオーラで語る人間だ。
「別に」と言った後、「………あの人が、」と控えめに溢し、また口を結んで、「あの人の講義、面白い?」と訊いてきた。
(…………あの人?)
直ぐに思い当たらなかったが、程無くして、それがあの心理学の[[rb:安達>あだち]]を指しているのだと思い当たった。
「あー……、講義は、意外と……」
実際、安達の講義は分かりやすく、学生に退屈させない魅力があった。
更には、外国に留学してそこでしっかりと心理学について学んだらしく、その見た目に反して、意外にも他の教諭からも一目置かれているみたいだった。どうやら、猫を被るのも上手いようだ。彼は若いのに謙虚な奴だ、と誰かが話していたのを小耳に挟んだ。
最初こそ警戒したものの、特にこれと言って絡まれるようなことも無く、「なんだ、噛ませ犬だったのか」と一人で納得していたところだ。しかし、どうも違ったらしい。
「…………どしたん? なんかあった?」
再び訊けば、一度は言い淀んだものの、秋夜はこくりと頷き、「………叶と、会ってる……」と、弱々しく告げた。
「えっ? はぁッ?!」
「………いや、仕事の付き合いで、勉強会とか飲み会とか……参加する先々にいるってだけらしいけど……」
秋夜は言葉を切った。
視線を頼り無く漂わし、思案しているようだった。なんだかきっと、一人で色んな感情と戦っているんだろうなぁ、と察しが付く。………何やってるの、叶ちゃんっ!
「………叶ちゃんには……」
「ううん。最近、家に行けてなくて。残業凄いらしくて、あんまり話せてない。ラインくらい」
「………」
「………夜遅くなるから、来なくていいよって………」
ぎゅっと固く口を閉じた秋夜に、あー、と、叶ちゃんの失態を心の中で詰った。ばっかじゃん、叶ちゃん。
きっと、心配かけたくないとか、秋夜が自分を待って深夜まで起きてるかもしれないからとか、そう言う理由だっただろうに。その言葉は、秋夜を不安にさせている。
ばかじゃん、本当は、疲れて帰った日ほどこの可愛い恋人に傍に居て欲しいと思っているだろうに。
「叶ちゃんともっと、話してみた方がいい」
「…………迷惑かけたくない……」
「迷惑なんかじゃないだろ。他でもない、秋夜からの大事な話なんだから」
「…………だから、嫌なんだ、」
この感情は、嫉妬だろ?ーーーーと、秋夜が少し不服そうに笑った。
「叶は今、忙しいのに。仕事をしていたり、大事な仕事の付き合いをしているだけなのに、おれが勝手に嫉妬して。わざわざ時間を取って貰って、『嫉妬してる』って、言うの?」
そうだよ、と、言わせてくれない雰囲気があった。だから、何も言えないでいる内に、「出来るわけない」と言う言葉を秋夜に紡がせてしまう。俺は慌てて、「した方がいい」と言った。
「話して解決できることがあるのに、言葉も気持ちも全部、一人で飲み込んでたら、叶ちゃんに伝わんねぇじゃん」
「…………」
「大丈夫だから。叶ちゃんは。迷惑がったりしないし、真剣に聞いてくれる。なんなら、少し嬉しそうにすると思うぞ? だから、『大丈夫なんだ』って、お前自身に思わせてやった方がいいよ。きちんと、話した方がいい」
「………うん……」
秋夜が静かに頷くと、「おっはー!」と明るい声の大成が現れ、俺の横に座ろうと寄って来た。
「はよー」
「おはようございます」
それに、翔の挨拶が続き、翔は秋夜の後ろに腰掛ける。翔の後に聞こえた挨拶は、聞き間違えじゃなくてあのワンコく……光希くんのもので、順当に行けば普通は翔の横に座るだろうに、大成の隣に腰掛けた。教壇を一番前に、まるでコロシアムの会場を半分に切り取ったような後ろが高くなっていく講義室の座席に、連れ同士にも関わらず、前に四人、後ろに翔が一人と言うのは、滅茶苦茶アンバランスである。
「光希。お前、狭いって。翔の横行けよ」
「えーっ。ぼく、大成さんの隣がいいんですぅー」
「じゃ、仕方ねぇか」
「やった!」
大成は実際のところ、このワンコく……[[rb:光希>みつき]]くんのことを、どう思っているのだろうか。満更でもない?可愛い?
(…………丁度いいじゃん。お前ら、引っ付いちゃえよ)
その言葉が喉から出かかって、何とか飲み込んだ。
大成のことなんて、どうでもいい。二人がどんどん仲良くなろうが、光希くんのそれが単なる憧れの気持ちじゃないのかとか、別に、俺には関係無い。
机の下でスマホを取り出し、大成や翔に画面を覗かれないように気を付けつつ、叶ちゃんにメッセージを打った。
『近日中、一緒に飯行けない?』
それに対してやっと既読が付いたのは四限が終わった後で、更にそれに対してやっと返信を貰えたのは、バイトが終わった後だった。……どうやら、本当に忙しいらしい。
『いいよ。ごめん、こっちの都合になるけど、明日とかどう?』
退勤後、真っ暗な道を歩きながら、ふぅと息を吐いた。今日は気乗りしなかった為、大成の家には行かずに自分ちに帰ることにした。スマホをフリックしながら、返信を打つ。
『へーき。何時でもいいから、いけたら連絡して』
恐らく、残業もあるだろうし。時間を指定するより、叶ちゃんの仕事が終わり次第に何処かで俺を拾って貰って、叶ちゃんの車で適当な店に行く事になった。
秋夜に断りを入れようかと一瞬悩んだが、自分も会えてないのに先に俺が会っていると知るのもなんか嫌かなと思い当たり、また、もっといいタイミングがあるかなと思い付いて、秋夜には秘密にしておいた。
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