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「単刀直入に訊くけど」
「うん」
仕事終わりの叶ちゃんに拾われて向かったのは、いつか、歩いて向かったことのある居酒屋だった。大学から近い場所の方がたまたま見られた誰かにとやかく言われた時も、「偶然会って、同席した」って言えていいかなと言う判断だった。
居酒屋には真っ平日の微妙な時間と言うこともあって、そんなに人の姿はない。気持ち、声を潜めて切り出した。
叶ちゃんは注文したビールを一口飲んでから、ジョッキを置いて、改まって姿勢を正した。何やら、雰囲気が違うと感じ取ったのかも知れない。俺はまだ、届いた烏龍茶を口にしていない。
「アイツ、叶ちゃんの元カレ?」
「う、……………はい」
アイツ、が誰を指した言葉なのかをわざわざ言わなくても、叶ちゃんは気まずそうな顔をして、首を縦に下ろした。
「………高校の時、家庭教師して貰ってて……」
「ふーん?……」
この店で、叶ちゃんの元カノの話を聞いたことを思い出していた。やっと、烏龍茶に口を付けて、口から出ようとしていた色んな言葉を、お茶と一緒に一緒に嚥下した。
「……でも、半年くらいで別れたんだ。向こうが、留学することになって……」
そう言えば、アイツ、留学してしっかり心理学を学んだって聞いたな。だから、荒々しそうな見た目のわりに、他の教諭達からのリスペクトも見えている。少なくとも、あの異分子を気嫌うような雰囲気を感じ取った事がない。
「…………向こうから?」
「………うん。あ、でも、別に未練とか無いからっ! 今更だしっ!」
慌てた叶ちゃんに、やっぱりモヤモヤした。
嫌でも想像してしまう。アイツと一緒にいる、叶ちゃんを。羨望と愛情の籠った眼差してアイツを見詰める、叶ちゃんを。
「………ああいう、オラオラ系が好きだったんだ?」
「違っ…! りょ…あだち、センセは見た目のわりに面倒見がよくってね……。凄く頼りにしちゃってて……」
ふーん?と、再び烏龍茶を飲み下す。
「…………最近さ、秋夜と会ってる?」
「え? ああ、構内で見掛けたら来てくれるけど……」
「違うよ。二人で」
二人はないかな、と、頼り無く笑いながら、叶ちゃんは枝豆に手を伸ばす。「最近忙しくて」と、弱々しく溢した。
「そう言う時こそ、二人の時間を作んないと」
「……知った風な口を」
「客観的に見ると、見えてくるものが沢山あるの」
演技がかって不貞腐れた顔をする叶ちゃんからは、その台詞をうっとうしがる様子は無かった。
また烏龍茶を一口だけ飲んで、やっと箸を取る。テーブルに並んだ料理に次々と箸を付けた。掻き込むようにして、食べる。
「秋夜が不安がってるよ」
また烏龍茶で喉を潤すと、切り出した。叶ちゃんには思い当たっていなかったことらしく、「えっ」と目を丸めた。動揺の為か、だし巻き玉子が叶ちゃんの箸から取り皿に戻っていく。
「元カレって言った?」
「……いや、」
「もう未練も何も無いって言った?」
「…………いや、」
「秋夜の事が好きだって、最近ちゃんと、言葉で伝えた?」
「……………………いや……、」
叶ちゃんさ、と溜息と一緒に溢す。
「自分は、秋夜が高校の時に好きだった奴の登場にめちゃくそ動揺したくせに。秋夜は平気だと思ってんの? しかもさ、一時は両想いだった相手なんだよね?」
「………」
「言わなくっても、叶ちゃんとアイツの間になんかあったんだなーってことくらい初見でバレバレなんだから。だったらちゃんと、説明しておかないと」
「………うん。………はい。そう、だね………」
叶ちゃんはしゅんと項垂れながら、先程取り皿に戻っただし巻き卵を再び箸で掴み、小さく口に運んだ。
「………………その、踏み込み過ぎてるけど、もしかして、アイツ、叶ちゃんの……」
訊くべきでは無いと思いつつ、確かめずにはいられない衝動から、飲み込まなければならない言葉を口から出してしまおうとしていた。
叶ちゃんはうさぎのように小さく口を動かし、口の中のものをもそもそと租借している。綺麗に澄んだ目が、何事かとこちらを見る。
「安達は叶ちゃんの、………ハジメテ、の相手………?」
「んぐふッ、ゲッホっ……!」
突然のその言葉に、叶ちゃんは盛大に噎せ込んだ。トントントン、と胸を拳で叩き、涙目のままにお冷やをぐいと飲む。
「ばっ、ち、違う……っ! 亮くんは、あ、安達せんせいはっ……」
動揺が凄い。
真っ赤にした顔が、動揺のせいか噎せた為か分からない。因みに、涙目になっているのに気が付いていないようだ。拭いもしない潤んだ目が、必死に俺を映す。
「………そのっ、ち、違うから、ほんと。あの、まだ、僕、高校生だったし……向こうは成人してて……っ、あの、二十歳になるまで……………だめだっ、て………」
早口に話し始め、語尾に行くに従って、ごにょごにょと消え入りそうな声になり、「って、何言ってるんだろ、僕……」と、恥じ入って消えそうなくらいに赤面し、只でさえ華奢な体を縮こまらせた。
(…………「二十歳になるまで」って……どっかで聞いたことある台詞だな……)
しっかり叶ちゃんの中に根付いてしまっているその価値観に、俺はどうすることも出来ない歯がゆさを感じた。けれど、でも。人は当然、それまでの出会いや経験から物事を判断する能力を培っていくもので……近しかった人間の影響をまるで受けないなんて事はないだろう。
それはやっぱり、仕方がない。過去は、変えられない。そして今の叶ちゃんを形成する為には、その過去は必要だったのだ。
「………あのさ、出来たら……芳樹も飲まない? 酔って……」
「や。俺、ミセーネンなんで」
「嘘。誕生日、確か春だろ?」
それには答えなかった。
………悔しいことだが、その時の俺の頭の中には、大成の顔が浮かんでいた。これもきっと、変えられない過去の一つ。
「ま、じゃあまだ、良かったのかもな」と、話を戻す。
「ぜええぇーーーんぶ、包み隠さず、秋夜に言ってやってよ。もうそろそろ着くだろうから」
「えっ、『着く』って……?」
目の前にまだ残っていた焼き鳥とさつま揚げの皿を空にして、残りの烏龍茶を飲みきったところで、「いらっしゃいませー」と店の人が大きな声で叫び、新たな客の入店を報せる。
立ち上がり、その客の姿を確認する。案の定、店の入り口でキョロキョロしていたその人物に、大きく右手を振った。
「秋夜ー! こっちこっち!」
「………芳樹。どうゆうこと……?」
俺の姿に気付いて真っ直ぐにやってきた彼は、俺の正面に座る叶の姿を認めて、眉をひそめた。当の叶ちゃんも、困惑した顔で俺の涼しげな横顔に視線を注いでいる。
「まっ。そうゆうことで。二人でよく話してよ。俺はこれにて」
俺はこっそりと秋夜に時間と場所を指定し、少し話をしながら食べないかと晩飯に誘っていた。
お節介この上無い話だが、昨日の秋夜とのやりとりから、近日中にこの問題が解決するとは思えなかった。悪いけど、勝手にセッティングさせて貰った。
「好き同士なんだから、変に拗れないでよね」
俺の捨て台詞が果たして二人の耳に入っていたのかどうか。立ち尽くしている秋夜を先程まで俺がいたところに座らせると、「お会計宜しく。御馳走さん」と叶ちゃんに言い残し、店を出た。
多分恐らくだが、問題はそう複雑ではなくて。
お互いに、自分の気持ちをはっきりと言えばいいのだ。好きだって言ったら、もう解決なのに。
(…………そう言えば、俺、大成に「好き」って言われたことあったっけ………)
なんて、夏が近付くのを感じさせる夜の下で考えて、まぁどうでもいいか、と思い直した。
ー続くー
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