10人が本棚に入れています
本棚に追加
そしてそれは、最終日の夜のことだった。
最終日は豪華に露天風呂付き客室を予約したのだが、しかし実際に見てみると、その露天風呂は意外と小さかった為、一人ずつそれを使うことになった。
翔から浸かり、秋夜の番だ。翔は湯上がりにコーヒー牛乳が飲みたくなったと言って、売店に降りていった。
広々とした畳の部屋に、俺と大成の二人きり。
正確には、大きな窓の向こうには秋夜も居るのだが、目隠しの為の襖が閉められていて、お互いからお互いの姿は見えない。
部屋には二人きりのようで、そうではないということが、より一層、この空気に緊張感を持たせた。
長い旅行で、何気に大成と二人きりになったのは初めてだった。
「………」
「………」
何を話したらいいのか、わからん。
コチコチ、と部屋の壁に掛けられた時計の音がやたらと存在感を増す。
ズッ、と音を立てて緑茶を飲んだ。二人でちゃぶ台を挟んで、茶などしばいている……。
(………え、何この沈黙……?! なんか話せよ、大成!)
気まずい。
と言うより、なんだか、そわそわと落ち着かない。いつもこいつと、どうやって話してたっけ?
「………光希が」
「あ?」
やっと口を開いたかと思ったら、その名前だった。
一瞬にして、もやもやしていた感情が甦る。この感情はすっかり消え失せたのかと思いきや、ただ俺の中で眠っていただけで、ずっとそこにあったらしい。
思いがけず不機嫌な声が出てしまったが、大成はあまり気にしていないようだった。
「もうすっかり良くなったって」
「へぇ」
「お礼のライン来てた」
「ふぅん?」
まるで興味がない。申し訳無いけど。
湯呑みを握り締めていた手を離して後ろ手をつき、天井を眺めてみたり、だらだらとした。
「……芳樹」
「なに」
「明日、俺んちに帰ってきてくれない?」
「何それ。お前んちは『寄る』ところで、『帰る』とこじゃねぇよ」
「明日さ、俺、誕生日なんだよね」
「…………ふぅん?」
大成はじっと湯呑みの中を見詰めていて、それをぐいと飲み干した。そんな大成を、俺はじっと見つめる。胸が何故か、ざわざわとした。
「芳樹が。翔に勧められても酒断ってたの、嬉しかった」
「………、なんの話?」
「とぼけんなよ」
ぱちり、と視線が合い、内心、慌てた。
どぎまぎとする気持ちを必死にいなして、何でもない風を装いながら、じっと大成を見つめ返した。目を逸らしたら敗けだ。アホみたいだけど、そんなことを考えていた。
「芳樹、愛してる」
「っ………、」
視線をどちらが先に外すかの耐久レースでも始まった気分になっていた俺は、その不意な言葉に、咄嗟にどんな皮肉も突っ込みも紡ぐことが出来なかった。結局、ふいっと視線を逸らしてしまう。………別に、それで負けなんて……そんなゲームはしていないからいい。
アイシテル、なんて、もう何度と無く言われてきた台詞だ。
(…………なぁ、それって、)
思うに。
日本人って、あんまり「アイシテル」なんて言わないじゃん?思うに、それって少し、ふざけてるよね?
俺は「好き」の方がずっと真っ直ぐで、わかりやすい言葉だと思っていた。何度も言うが、この言葉を大成の“口”から聞いたことは、ほんの一度も無い。……文字ではあるけど。
「…………『アイシテル』って、何?」
逸らしてしまった顔を、再び大成に向けた。
「なんで」ーーーずっと、疑問に思っていたことだ。丁度いいから、この際訊いてみようと思った。
「なんで、お前は俺のことを口説くの? 何がいいわけ? いつの間に、そうなったの?」
こいつの妹の明が連れて帰ったと言う、猫のことを思った。結局、会えなかったけど。いつだったか、写真くらいは見た。
痩せ細って捨てられていたというそいつは、丸々と太っており、艶やかな毛並みで、随分と愛嬌の溢れる顔をしていた。ふてぶてしいと言うよりは、幸せ一杯の顔をして、ミャアと鳴いた瞬間の写真のようだった。
ーーーー…その猫と、俺と。
大成にとって、どう違うのだろう?
時々、思ったことがある。
大成は、確かに優しい。認めよう。意外と、こいつは優しい人間だった。
こいつは、俺が密かに叶ちゃんのことが好きだったのを見破って、その失恋に気が付いて、「愛おしい」と言った……はずだ。「俺が愛してあげようか?」と、言った。
それは、ーーーーー…同情では、無かったのか。
慈しむような。或いは、博愛主義的なセリフと、何か違ったのだろうか。
だからつまり、大成がなぜ俺を好きでいるのかわからない。同情心から刷り込まれて、すっかり俺のことを好きになっている気でいるだけ、と言うのも否定しきれない話ではある。
「お前さ、愛だの恋だの俺に言ってくるけど、俺を『好き』だって言ったこと無いんだよ。……気付いてた?」
じっと、大成の顔を見る。
大成は面喰らったように目を丸め、それから、破顔した。「ごめん」と、とても嬉しそうな顔をして、紡ぐ。
何がごめんなんだと、問おうとすると「よいしょ」と大成が腰を上げ、ちゃぶ台をぐるりと迂回し、こちら側へやってきた。後ろ手を付いたままだった姿勢を、慌てて真っ直ぐにする。
「な、なんだよっ、」
「好きだよ」
「な、」
大成は初めて見るくらい真剣な顔をして、真っ直ぐに、俺の目を覗き込んだ。
「俺、芳樹のこと、好きだよ」
「…………ぁ、」
不覚にも、戸惑った。
血液が沸騰していくようだった。すっかり冷房を効かせた部屋で、赤くなっていく自分の顔を自覚する。……耳まで熱い……。
それを見て、「……だから、」と大成は困った顔をした。
「お前、可愛い過ぎるんだって」
ふっと、俺の左頬に大成の右手が触れる。
(キス………)
あ、と思った。キスされる、と。
俺は、動くことが出来なくてーーーーーー……。
ガラリ、と玄関の方の襖が開く。
ガチャリ、とベランダの方の扉が開く。
「お前ら、いい加減にしろ」
「芳樹ごめん……、限界…」
片や、すっかり空になったコーヒー牛乳の瓶を持って。
片や、すっかり逆上せきった真っ赤な体を浴衣に包んで。
どうやら先程まで気を利かせて入室をしないでいてくれたらしい、翔と秋夜が現れた。
「ッ!!!」
ドンッと、目の前にあったその巨体を押し退けた。「うあ!」大成が後ろに尻餅を着く。
「あああ、あ、お、おかえり……っ!」
先程よりも上昇しきった体温は、ますます俺の顔に集中し、熱くさせた。
最初のコメントを投稿しよう!