3.夏 その2

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 そしてそれは、最終日の夜のことだった。  最終日は豪華に露天風呂付き客室を予約したのだが、しかし実際に見てみると、その露天風呂は意外と小さかった為、一人ずつそれを使うことになった。  翔から浸かり、秋夜の番だ。翔は湯上がりにコーヒー牛乳が飲みたくなったと言って、売店に降りていった。  広々とした畳の部屋に、俺と大成の二人きり。  正確には、大きな窓の向こうには秋夜も居るのだが、目隠しの為の襖が閉められていて、お互いからお互いの姿は見えない。  部屋には二人きりのようで、そうではないということが、より一層、この空気に緊張感を持たせた。  長い旅行で、何気に大成と二人きりになったのは初めてだった。 「………」 「………」  何を話したらいいのか、わからん。  コチコチ、と部屋の壁に掛けられた時計の音がやたらと存在感を増す。  ズッ、と音を立てて緑茶を飲んだ。二人でちゃぶ台を挟んで、茶などしばいている……。 (………え、何この沈黙……?! なんか話せよ、大成!)  気まずい。  と言うより、なんだか、そわそわと落ち着かない。いつもこいつと、どうやって話してたっけ? 「………光希が」 「あ?」  やっと口を開いたかと思ったら、その名前だった。  一瞬にして、もやもやしていた感情が甦る。この感情はすっかり消え失せたのかと思いきや、ただ俺の中で眠っていただけで、ずっとそこにあったらしい。  思いがけず不機嫌な声が出てしまったが、大成はあまり気にしていないようだった。 「もうすっかり良くなったって」 「へぇ」 「お礼のライン来てた」 「ふぅん?」  まるで興味がない。申し訳無いけど。  湯呑みを握り締めていた手を離して後ろ手をつき、天井を眺めてみたり、だらだらとした。 「……芳樹」 「なに」 「明日、俺んちに帰ってきてくれない?」 「何それ。お前んちは『寄る』ところで、『帰る』とこじゃねぇよ」 「明日さ、俺、誕生日なんだよね」 「…………ふぅん?」    大成はじっと湯呑みの中を見詰めていて、それをぐいと飲み干した。そんな大成を、俺はじっと見つめる。胸が何故か、ざわざわとした。 「芳樹が。翔に勧められても酒断ってたの、嬉しかった」 「………、なんの話?」 「とぼけんなよ」  ぱちり、と視線が合い、内心、慌てた。  どぎまぎとする気持ちを必死にいなして、何でもない風を装いながら、じっと大成を見つめ返した。目を逸らしたら敗けだ。アホみたいだけど、そんなことを考えていた。 「芳樹、愛してる」 「っ………、」  視線をどちらが先に外すかの耐久レースでも始まった気分になっていた俺は、その不意な言葉に、咄嗟にどんな皮肉も突っ込みも紡ぐことが出来なかった。結局、ふいっと視線を逸らしてしまう。………別に、それで負けなんて……そんなゲームはしていないからいい。  アイシテル、なんて、もう何度と無く言われてきた台詞だ。 (…………なぁ、それって、)  思うに。  日本人って、あんまり「アイシテル」なんて言わないじゃん?思うに、それって少し、ふざけてるよね?  俺は「好き」の方がずっと真っ直ぐで、わかりやすい言葉だと思っていた。何度も言うが、この言葉を大成の“口”から聞いたことは、ほんの一度も無い。……文字ではあるけど。 「…………『アイシテル』って、何?」  逸らしてしまった顔を、再び大成に向けた。 「なんで」ーーーずっと、疑問に思っていたことだ。丁度いいから、この際訊いてみようと思った。 「なんで、お前は俺のことを口説くの? 何がいいわけ? いつの間に、そうなったの?」  こいつの妹の(めい)が連れて帰ったと言う、猫のことを思った。結局、会えなかったけど。いつだったか、写真くらいは見た。  痩せ細って捨てられていたというそいつは、丸々と太っており、艶やかな毛並みで、随分と愛嬌の溢れる顔をしていた。ふてぶてしいと言うよりは、幸せ一杯の顔をして、ミャアと鳴いた瞬間の写真のようだった。 ーーーー…その猫と、俺と。  大成にとって、どう違うのだろう?  時々、思ったことがある。  大成は、確かに優しい。認めよう。意外と、こいつは優しい人間だった。  こいつは、俺が密かに(かなえ)ちゃんのことが好きだったのを見破って、その失恋に気が付いて、「愛おしい」と言った……はずだ。「俺が愛してあげようか?」と、言った。  それは、ーーーーー…同情では、無かったのか。  慈しむような。或いは、博愛主義的なセリフと、何か違ったのだろうか。  だからつまり、大成がなぜ俺を好きでいるのかわからない。同情心から刷り込まれて、すっかり俺のことを好きになっている気でいるだけ、と言うのも否定しきれない話ではある。 「お前さ、愛だの恋だの俺に言ってくるけど、俺を『好き』だって言ったこと無いんだよ。……気付いてた?」  じっと、大成の顔を見る。  大成は面喰らったように目を丸め、それから、破顔した。「ごめん」と、とても嬉しそうな顔をして、紡ぐ。  何がごめんなんだと、問おうとすると「よいしょ」と大成が腰を上げ、ちゃぶ台をぐるりと迂回し、こちら側へやってきた。後ろ手を付いたままだった姿勢を、慌てて真っ直ぐにする。 「な、なんだよっ、」 「好きだよ」 「な、」  大成は初めて見るくらい真剣な顔をして、真っ直ぐに、俺の目を覗き込んだ。 「俺、芳樹のこと、好きだよ」 「…………ぁ、」  不覚にも、戸惑った。  血液が沸騰していくようだった。すっかり冷房を効かせた部屋で、赤くなっていく自分の顔を自覚する。……耳まで熱い……。  それを見て、「……だから、」と大成は困った顔をした。 「お前、可愛い過ぎるんだって」  ふっと、俺の左頬に大成の右手が触れる。 (キス………)  あ、と思った。キスされる、と。  俺は、動くことが出来なくてーーーーーー……。  ガラリ、と玄関の方の襖が開く。  ガチャリ、とベランダの方の扉が開く。 「お前ら、いい加減にしろ」 「芳樹ごめん……、限界…」  片や、すっかり空になったコーヒー牛乳の瓶を持って。  片や、すっかり逆上(のぼ)せきった真っ赤な体を浴衣に包んで。  どうやら先程まで気を利かせて入室をしないでいてくれたらしい、翔と秋夜が現れた。 「ッ!!!」  ドンッと、目の前にあったその巨体を押し退けた。「うあ!」大成が後ろに尻餅を着く。 「あああ、あ、お、おかえり……っ!」  先程よりも上昇しきった体温は、ますます俺の顔に集中し、熱くさせた。
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