4.秋

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 初めまして、とはにかんで笑うその人の隣で、よく知る正史(まさし)兄ちゃんも、見たことがない程の優しい笑みで座っていた。……兄ちゃんはいつも、優しく笑う。だからさっきのは、『いつもよりより一層』と言う意味である。  余程、その隣の女の人が兄ちゃんにとって大切な存在なのだと見て分かる。 「こちら、結婚前提に付き合っている楠木香歩(くすのきかほ)さん」 「楠木香歩と言います」 「俺達、これから同棲しようと思ってる」  結婚前の挨拶では無く、同棲前に挨拶するところから、二人の真剣さが窺えた。  二人は常に幸せ溢れる柔らかいオーラを携えていた。いや別に、オーラが見えているわけではないが、どこかふわふわとした空気を纏っているのだ。緊張で固くなっているような様子はない。安心しきっているのだ。互いの隣にいることに。  意外にも、親父も「そうか」と言うなり、特にこれと言うような事は言わなかった。  親父の隣に座った母さんが「二人で決めたことなら、それがいいと思うわ。わざわざ来てくれてありがとう」と微笑んだ。仕事を抜けてきた一番上の太一兄ちゃんも、「こいつ、意外と不器用なところあるから。宜しくな」と笑う。双子の弟は、そわそわと落ち着かなかったが、二人を祝福しているのが分かる。  俺は、まじまじと正史兄ちゃんの顔を見た。  この、おんぼろの家に、最愛の人を連れてくることに躊躇いはなかったのだろうか、と。思った。  親父に会わせることに抵抗は無かったのだろうか?  親父は一応仕事をしている時もあるが、ほぼほぼ無職と変わらない。酒にパチンコ。そんな印象しかない。暴力が無いだけましだとか、そんな底辺でしか比べる対象を持たない。………そんな親を、恥ずかしく思わなかったのか。隠したいとは思わなかったのか。  楠木さんは?この家を見た時、何を思っただろうかーー………。  おんぼろの、木造住宅。小雨の日でも雨漏りをする。外装は剥がれているところも目立ち、晴れている日でも取り囲む空気は薄暗い。庭と言うには狭過ぎる、ブロック塀と家の隙間を生い茂る草が雰囲気を悪くさせているのだ。  俺だって、が家でなければ、寄り付かないだろう。  畳も逆立っているところがある。座布団は、楠木さんが座っているのだけ新調したやつ。 「どうしたんだ? 芳樹、緊張してるのか?」  不意に、正史兄ちゃんの朗らかな声が俺に向いた。はっと焦点を合わせると、皆がこちらを笑いながら見ていた。勿論、「皆」って言うのは親父以外の全員を指す。 「……違うけど」 「じゃ、俺が居なくなって寂しいとか?」 「……いや、幸せそうだなって、思って……」  正史兄ちゃんはまた笑みを深めた。 「ありがとう」と言う言葉にも幸せ一杯の響きがあった。 (……………「結婚前提」………)  その言葉が、胸にずしりとした。  俺はこうして、いつか、誰かを連れて家族に挨拶する日が来るのだろうか………?  浮かんだ大成の顔に、いやいや、と脳内で首を振る。 (…………いやいや、だって……男だし…………)  あれ?『男』だから駄目で『大成』は良いのか?大成だから駄目って訳じゃなくて………、ん?  深みにはまりそうだったので、お茶を飲んで思考を打ち切った。  それから、皆が口々に話し始め、わりと賑やかな同棲前の挨拶となった。
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