4.秋

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 一週間後、正史兄ちゃんが家を出た。  それから暫くして、太一兄ちゃんに呼ばれた。部屋へ行くと、いつかの夜のように、一階から拝借した酒とグラスがローテーブルの上に並んでいた。  俺が来たのを見るなり、グラスに酒を注ぐ。二人で乾杯するなり、太一兄ちゃんは切り出した。   「俺もさ。実はこの家出ようと思ってるんだ」 「えっ…」 「……転勤の話が出てるんだ。悪い話じゃないと思ってる」 「………そうなんだ」  兄ちゃん二人が居なくなったこの家のことを思った。  別に彼らは、平日は朝早くから働きに出て、毎日残業して遅くに帰ってくる。土日だって、大抵どちらかの日は休日出勤している。家に居る時間は年間で見ても少ないように思う。  けれどそれでも、兄ちゃん達の存在は俺にとって大きかった。  親父があんな感じだし……。俺の道徳的な心は全部、兄達から学んだと言っても過言ではない。この二人が居なければ、俺の心はきっととっくに荒んでいた。酒もタバコも、暴力も……していたかもしれない。 「………いいか?」 「………『いいか?』って……」  なんで駄目だと思うんだよ?ーーーなんて、白々しいか。そりゃ、兄ちゃんは俺のことを心配してくれているのだろう。  俺がこの家での最年長になる(※親父を除く)ことを、気にかけてくれているのだ。  ずしり、と。急に襲いかかる。 『責任』とか『義務』とか………『孤独』、とか。   「………いーに決まってんじゃん。太一兄ちゃんの人生なんだから!」  笑って言ってみせたが、太一兄ちゃんは少しもほっとした顔をしなかった。  心配そうに、俺の顔を窺う。俺はぐいとチューハイを飲んだ。 「平気だよ。いくつになったと思ってんだよ、俺」 「………お前はだって、いつも無理するじゃん?」 「それは、兄ちゃん達の方だろ? 兄ちゃん達が言ってくれたんじゃん。もっと、自由に生きろって」  厳密には、大学への進学を進めてくれたのであって、その言葉を直接的に言われたわけではなかった。が、同じことだと解釈している。兄ちゃん達は、兄弟の中で誰よりも、俺に甘い。年少者の(たすく)や俊よりも、だ。 「…不安がないとは言わないけど。でもまー、なんとかなるだろ。そうしてやってきたじゃん、ウチ。それに俺も、兄ちゃんのこと応援したい」 「………………ありがとうな、」  太一兄ちゃんは少しだけ目を赤くさせた。それを誤魔化すように、酒を煽った。 「仕送りは、変わらずにするから」 「………無理すんなよ…」  一人暮らしに、どれだけ金がかかるかは知らない。けど、家賃だとか光熱費だとか、今までかかっていなかったものが全部負担になることくらい、俺にでも分かる。それを払いながら、更に仕送りをする苦しさをあんまりリアルに想像が出来なかった。 ………でもきっと、辛いはずだ。  お金を稼ぐことの大変さはよく知ってる。  俺の顔を見て、やっぱり太一兄ちゃんは目を潤ませながら、「お前達は、俺の宝だよ」と言って、俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。 (……………俺だって、兄ちゃん達が『家族』で、幸せだと思ってる……)  こんなおんぼろの家に住んでいるけど。  金に余裕は無いけど。  親父は飲んだくれのパチンカスだけど。  俺はそれでも、幸せだった。
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