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前編:みんなと違う
「夏奈、ほらかけてみて」
静香に言われて私はその眼鏡を手に取った。
そして、恐る恐るそれを耳にかける。
未来の色彩が見えるというその眼鏡には、その人の心が投影されるのだとか性格によって見えるものが違うだとか、さまざまな噂が飛び交っていた。
「ほら、目も開いて。見てよ。何が見える?」
私は目をゆっくりと見開いた。
「あれ」
聞いていた話と違う。私の視界に映った世界は、いつものそれと全く違いがなかった。
嬉しそうにこちらをみる静香の顔も、少し年季の入った家の壁紙も。
「どうしたのよ」
静香が不思議そうな顔をする。
思っていた反応と全然違うのだろう。
「いや、静香がかけたときってどんな感じだった?」
静香は途端に、夢を見ているかのような顔をする。
「なんとも言えない色に包まれてた。とにかく素晴らしくて思わずうっとりしたわ」
静香のこんな表情は初めて見た。
何とも言えない色、か。
私の目に映っていたのは、何てことのないただの日常だった。
「普段と何も変わりないよ」
「そんなはずない。人によって色は違うけれど、誰もその色を表現できない。だからそれを、未来の色彩だなんて呼んでるんでしょ。普段と一緒なわけないじゃん」
「本当なんだって」
そんなことを言いながら、私は少し悲しい気持ちになった。
「これ、壊れてるのかな」
そう言って静香は再び眼鏡をかけた。
「いや、やっぱり壊れてなんかないよ」
首をかしげて眼鏡を置く。
「私、おかしいのかな」
「うーん、夏奈みたいな例は聞いたことがないけれど……、お兄ちゃんに1回目のモニター調査の話聞いてみるよ」
静香はため息をつくと、眼鏡をケースにしまった。
静香のお兄さん、この新製品の責任者だって言ってたな。
だからこそ、倍率が10万倍と言われた抽選をかいくぐって、静香がこのモニターに参加することができたのだ。
家に帰っても眼鏡の話が頭のなかから消えてくれない。
みんなすごい景色が見えているはずの景色が私には見えないなんて。
私、おかしいのかもしれない。
そんな不安が胸を覆いつくす。
その時、突然携帯が鳴った。
「夏奈。お兄ちゃんが電話したいって」
静香からだった。
「うん、大丈夫」
私は少し胸がドキドキするのを感じていた。
普通じゃない、そう言われるのを恐れていたのかもしれない。
「もしもし、夏奈ちゃん。静香の兄です。いつも静香がお世話になっているね」
「初めまして、お兄さん。こちらこそいつもお世話になっています」
何もない壁に向かって、頭をぺこりと下げる。
「あのモニターの件でちょっと話が聞きたくてね」
静香のお兄さんの声色は、暗いものだった。
「はい」
「君には眼鏡越しにいつもと変わらない景色が見えているって、そう聞いたんだけど」
「……」
私は頷くことしかできなかった。
そんなわけがない。
そんな言葉が飛び出てくるのをただひたすらに、怯えて待っていた。
「実は、僕もなんだ」
静香のお兄さんは、ゆっくりとその言葉を発した。
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