二章 繋がりを求めて

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「ゼルロワさん、こんにちは」  とアリスは笑った。  冬期間の仕事を探して、あるいは仕事を終わらせて帰ってきた者たちでごった返す白く煙るギルドの待合を抜けて、ようやく順番が回ってきた受付でアリスはギルドの主人であるゼルロワに声をかけた。木製の受付テーブルの向こう側で、ゼルロワはいつものようにたくましい顎髭を撫でて、きさくに「よぉ、嬢ちゃん」と笑った。  Jがアリス達に合った仕事はないかと依頼書を確認してくれるよう頼むと、ゼルロワはその後ろにたたずむノヴァを珍しげに見やった後、何事もなかったかのように三人に向いた仕事を探してくれた。  向きを反転した依頼書の紙束をゼルロワがス、とテーブルの上に滑らせる。 「このあたりか……。まだ採取依頼が三人には向きだろうな。J、お前さん確か前にここに来た頃、嬢ちゃんをロレッカの森まで連れて行ってたろう?」 「ええ、そうですね。あのときはアリスと二人でしたから」  Jが頷く。アリスはどんな意味の言葉なのかをはかりかねて注意深く二人の話を聞いていた。 「ロレッカでの仕事なら、採取依頼でもけっこうな額になる。ただ、その分だと、結界魔術の範囲が難しそうだな」  難しい、という言葉通りに難しそうな顔をするゼルロワに、Jが笑みを浮かべる。 「もとより二人のアムネシアと共に旅をすることを承諾した身ですので、結界魔術の使用範囲が広がることは想定内なのですが……」  結界魔術。使用範囲。それが広がる? 聞き慣れない話にアリスのみならず、ノヴァも耳を澄ませているようだった。アリスは前にJとロレッカへと行ったときのことを思い出していた。Jはいつもロレッカの森へ入る前に魔術を用いていた。魔術を使用した後は、彼は「もう大丈夫です。行きましょう」としか言わなかったけれど。初めてこの世界に触れた時に出会った恐ろしい魔物に出会うことは少なく、出会ってもまるで自分たちが視界に入らないかのように通り過ぎていったのだ。  アリスはあの最初の日以来、怖い思いをしたことがなかった。その理由が、結界魔術なのではないだろうか、と思いながら、Jとゼルロワの話に注意を向ける。 「ロレッカの森の魔物どもは厄介だからなぁ。すぐに仲間を呼びやがる……。あんたが神の遣いなんだってのは承知だが、どうする? 近くの森の依頼もあるにはあるんだが、今時期の近くの森はロレッカと違って特殊な採取物がねえんだ。ガキの小遣い程度にしかならねえ」 「高収入かどうかというより、収入を得ること自体がロレッカしか選択肢がなさそうですね」ふむ、とJが顎に手を添えて考える仕草をする。  アリスは話を聞いていて、自分のわがままがJの身を危うくするような気がしてきて、口を挟んだ。 「Jくん、いいよ」とアリスは笑う。「お仕事、また今度でも。この間までお仕事してたから、何も買えないわけじゃないの」  それはノヴァも同じ気持ちであったらしい。ノヴァも「先日までの給料なら残ってる。あんたが無理をする必要はないんじゃないか?」と依頼書をJの肩越しに覗き込むようにして、Jの表情を窺った。アリスもノヴァも何も買えないほど困窮しているわけではない。でも、この生活が始まって安定してきた頃に、みんなで決めた約束があった。  今借りている小さな館は、前金で契約金を払った後に、月額で家賃を支払う仕組みになっていたからだ。その家賃をJだけにもたせることなどアリスにはできそうになかった。だから、生活費と家賃は折半しようという話になっていたのだ。最初はJに頼り切るつもりだったはずのノヴァも働き出してから、その折半の話を承諾していた。  本当なら、Jひとりの所持金でなんとかできるのだろう。彼一人なら稼いでくるのもたやすいのだろう。彼は、冒険者として働く傍ら、神様から与えられた職務に就いている特別な人間でもあったから、一般の市民とは給与が違うことは簡単に予想できた。それに、彼とずっと一緒に採取依頼を受けてきて、アリスは安心しながら依頼をこなすことができたのだ。彼には、確かに二人のアムネシアを請け負うだけの実力があることもわかっていたけれど。ロレッカの森へ採取探索をしに行ったあとのJの疲弊した顔色がいつも気に掛かっていた。  アリスが自分の力で稼ぎたかったのは、自分の力で得た金で、この世界で出会った人々に贈り物をしたかったのもあるし、自分が未熟だとわかっていても、いずれ自立しなくてはいけないのなら、自分の力で道を切り開いていけるだけの力も養いたかったからだった。  自分のなかの、何がそう思わせるのかはわからなかった。でも、何かが、自分しか頼りにならないのだと言うのだ。自分の力でなんとかできるようにならなければ、この先を切り抜けていけないような気がして、少し焦っていたのかもしれない。   とはいえ、その思いによってJを危険な目に遭わせるというのは違うだろう。彼は彼で何を考えているのか、ノヴァとアリスが口を挟んだ後も依頼書を一枚一枚確かめながら、無言で何かを思案しているようだった。女性にも見まごうような端正な横顔とアシンメトリに伸ばした艶のある紫の横髪が俯いて書類を確認する彼の顔にかかる。  待合の席には煙草をふかした、厳つい顔の男達や、いかにも冒険者然とした男女が三人を見つめていた。待つのはいつものこと。慣れているようで、苛立った様子はなかったけれど。彼らと比べても、アリスには、自分たちアムネシアの存在が、Jの足手まといにしかならない上に、場違いであるという気持ちは拭えなかった。それはノヴァも感じているのかもしれない。周囲を一瞥した後、居心地の悪そうな顔をしていた。彼にすれば、この場違い感はまだ味わったことがなかったことだろう。  アリスもノヴァもアムネシアであるということが周知の存在であったから、余計に浮いていることはわかっていたけれど。  お前らの来るところではない。  という言外な皆の白い目や値踏みする視線に負けないように、それを笑顔と親切な対応で流す努力をアリスは続けてきたのだ。このギルドを訪れたときから。  ただ、アリスの傍らにはいつもJがいてくれた。自分たちがアムネシアだということが周知であるということは、当然それを保護する神の遣いが傍にいることも周知だった。その人がJであることも冒険者達には周知の事実だった。ニーシャがアリスとノヴァの世評を高くするために流してくれた噂は良くも悪くも三人を丸裸にしていた。  そのおかげで自分たちを気に入ってくれた人々とうまくやっていけた、とも言えるし、逆にアムネシアであるからこそ、その存在を危惧する者、嫌悪する者達の目も避けられなかった。Jが傍にいる、神の遣いの目がある以上、手ひどい目に遭うということもないだろうが、神の遣いがその権力をむやみに行使しないことも、この世界の人々は周知だった。  この世界の掟。神の遣いは、やむを得ない状況を除いてその権力を行使してはならない。素性を明かしてはならない。  この掟において、本来ならJは罰を受けても良いような状況だったのだ。けれど、あの疫病の一件の報告はレテリアの国王のみならず、支配主のソルシエル、魔法省の監視者シルディーナ、Jの直属の上司アルフェインにも充分に行き渡っていた。レテリアの街の一つであるマグバーレンの混乱を治めるためのやむを得ない措置として、Jは神の遣いとしての権力を行使した。  それを知ったのは、ニーシャとマリサに後に話を聞いてからのことだったけれど。そこまでしてくれたJに無理を強いる状況だけは、アリスは作りたくなかった。でも、 「いいでしょう。この依頼、順に受けていきますか」  と言う声がJの紅く色づいた唇からこぼれ落ちたとき、アリスの心には、だめだよ! という気持ちよりも先にどうして! という気持ちが湧き上がった。 「じぇ、Jくん。この依頼を受けるには、Jくんの……」負担が大きいんじゃないの? そう言いたかったのに、その前にノヴァが声を発した。 「俺がいなきゃ、アリスのわがままくらいは、あんたにとって簡単なんじゃねーの?」  そう言ったノヴァの目が、とても暗かった。自分さえいなければ良いのだ。と物語る瞳が耐えがたかった。とっさにアリスが口を返す。 「わたし、そんなこと願ってない! わたしのわがままのためにノヴァくんがいなくいいって話になるなら、わたしのわがままなんてどうでもいいの!」  思わず叫んでいた。  瞬間、待合で煙草をふかしていた冒険者達が三人を見てざわついた。なになに、もめてるの? アムネシア風情にできる仕事がなくて、仲間割れでもしてるんじゃねぇのか? はは、アムネシアが消えていくのも時間の問題だな。アムネシアってのは軟弱で神の遣いに頼らなきゃ、自分じゃなんにもできないと聞くぜ。神様に依存しきりのアムネシアってね。  ひそりと聞こえてくる人々の話に、受付でJと会話をしていたゼルロワが嫌な顔をした。 「嬢ちゃん、少年。放っておけ。ギルドの依頼業ってのはもともとカタギの仕事じゃあねぇんだ。ごろつきと噂好きの集まりだと思って無視しとけよ」  ゼルロワの言葉に、アリスは強い視線を返し、頷いた。ノヴァは逆にアリスがどんな思いで仕事をしてきたのかを知ったのか、冷めた目で周囲を一瞥した後、静かに息をついた。  二人の様子を一瞬見つめた後、Jが決定事項だというように。 「マスター。この依頼と、この依頼。請け負います」  見かけにはよらず節くれ立った指先を依頼書に滑らせて、選択した書類の上でとんとんと軽く叩いた。  ゼルロワがわずかに目を見開く。 「この真冬にずいぶん奥地にいくんだな……嬢ちゃんはともかく、往復二十キロ以上なんて。少年は帰ってこれるのか?」 「引力鈴を使うので。ノヴァが歩けなくなっても僕の元には引き寄せてくれます。問題はないかと思いますね。それに、今回は結界魔術の使用頻度は少なくて済みそうなんですよ」  Jの言葉を聞いて、ノヴァが、あ、という顔をした。それを見たアリスも、先日、調べて回った記念品を思い出した。  愛想良く笑うおかみの顔と、手のひらに乗せた。あの、記念品を。
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