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走り出した先は……
一組の夫婦があった。彼らは婚姻届を出したのだが、現在世界を包む大規模パンデミックにより結婚式も執り行えず、新婚旅行に行くことも出来なかった。
雌伏の時に耐えること、二年。パンデミックも何とか落ち着いてきたこともあり、新婚旅行に行く流れとなった。行き先はオーストラリア。時は12月、日本とは季節が正反対であることからサマークリスマスを迎えたいと言う妻の希望で選ばれた行き先である。
夫は海外旅行はこれが初めてで緊張気味、自宅でも会社でも「カンタン英会話」の本が手放せない。特に空港の入国審査のページだけは読み込みに読み込みを重ねている。本気でオーストラリアの空港での入国審査の質問に答えられなければ、そのまま蜻蛉帰りだと思いこんでいる故に不安からくるものである。
「えーっと、『ねくすと!』って呼ばれたら…… パスポート出せって言われるから…… ああ! May I see your passport?」
すると、横でそれを聞いていた妻が英国式の発音で誂うように夫に尋ねた。
「May I see your passport?」
「はぁン?」
夫は妻の流暢な英語の発音を聞き取ることが出来ずに首を傾げた。妻は「大丈夫かよ、こいつ」と思いながら、なかなか英語が通じずにしどろもどろな日本人を相手にする機嫌悪げな入国審査官のように怒鳴りつけた。
「Passport please!」
「ヒィッ! ソーリーソーリー!」
「もう…… 空港で入国審査官に怒鳴られちゃうよ?」
「だったら、もう君の横にピッタリとくっつくから任せるよ」
「甘えないでよ。せめてパスポートぐらいは聞き取りなさいよ。パスポートって聞こえたら黙ってパスポート出すだけでいいから!」
「それだけ? それだけなら頑張れそう」
「後は、旅の目的か滞在期間か滞在場所か何かしら聞かれるから何聞かれてもいいように!」
「え? 俺、サイトシーイングって答えて突破するつもりだったけど。もうサイトシーイングしか覚えられないし」
「何? あなたは『What do you do?』って聞かれて『観光』って答えるわけ?」
「す、すまん。ワッツ ドゥ ユウ ドゥってなんだ? 今何をしてるかって…… オーストラリアに来てるから、Australia! って言えばいいのか?」
「はいはい、あなたのお仕事は『オーストラリア』でちゅかー? 凄いでちゅねー! このぐらいの英語は覚えておきなさいよ!」
ああ、あたしの旦那は英語のヒアリングが絶望的だ。こんな駄目野郎に何故に惚れてしまったのか…… 妻は頭を抱えるのであった。
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