鉛の海を泳ぐ

2/11
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
 土埃が舞う下駄箱を白い足たちが通り抜けていく。不揃いのスカート、紺のソックス。キンキン声が降ってくる。  あたしは額にかかった髪の毛を耳にかけ直して上履きを下駄箱に突っ込んだ。ローファーをひっくり返して画鋲を落とす。  今日はこれだけで済んだ。良い方だ。ラッキーだ。ふぅ、と長いため息をつき、小走りで学校を出た。  こんなの慣れている、と自分に言い聞かせる。いわゆる世間で言われている「虐め」が始まったのは中学校に入学した最初の9月からだったと思う。  小学校が同じだった子は数人しかいなかった。友達は一人もいなかった。それでも何とか女子達と波長を合わせてしゃべってきたし、目立たないようにしてきた。  一人だけでささやかな幸せを得ていければあたしはそれで良かった。それなのに。  あたしはいじられはじめた。少し言い間違えただけで指を指されて笑われる。上履きがないと思ったらゴミ箱に捨てられていて「気づかなかったの?馬鹿だね」だなんて言われる。それでも周りのみんなは「いじられキャラなんて名誉じゃん」と言ってくれた。だからあたしはいじられキャラに徹した。  先生もそれを見て微笑ましいと思っていたようだし、ハブられる子がいる中あたしはまだマシだと思った。  でもイライラが止まらなかった。家に帰って風呂場で髪の毛を抜いた。痛みは快感に変わってするすると感情は抜けていく。もっと快感を見つけたいと思った。肌をつねった。噛み付いた。  日々苛立ちは増していく。  放課後トイレに連れて行かれ裸にされた。写真を撮られた。一年生のLINEグループで拡散されたらしかった。泣きたくてもみんなの前では笑顔になるしかなかった。  あたしはその日カッターを買いに行った。一回だけ刃先で腕をなぞった。血が滲んで、少し痛い。この跡を誰かに見てほしい。そう思ってその次の日、何回も同じ場所をなぞった。  誰も気づいてくれなかった。それはそうだった。あたしは跡をとにかく隠した。自傷をした自分を見つめるのが嫌だった。そしてこの傷を見られてまたいじられるのも嫌だった。でも誰か気づいてくれるかもしれない、だなんて甘い考えは燻っていた。  学校のトイレのゴミ箱に捨てた生理用品を晒された。あたしの名前がチョークで書かれた黒板にはられた。俯くあたしに罵声が投げられた。でもこれは「いじり」だったらしい。  あたしはその日ブロンを買いに行った。試しに10錠まとめて飲んだ。ネットでみんなが言ってるように副作用が現れることも頭がふわふわすることもなかった。何も現れなかったのだ。あたしは酷くがっかりしてブロンの瓶を棚に押しやった。  そんな日々が続いて気づいたら2年生になっていたのだ。あたしはなんだかんだ気楽に過ごしていた。腕の傷跡は増やしたし消えなかったけれどやっぱり親も先生も気づいてくれなかった。親は大学受験をする姉にかかりっきりだった。先生はそもそもあたしに関心がなかった。  いじられがエスカレートしているのはわかっていた。靴に画鋲なんていつものことだし最近だとスカートに長い切れ目が入っていた。  全てがどうでもいい。快感を得られればもう何でもいい。  
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!