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校門を出ると、冷たいものが身を濡らしていった。唖然として思わず立ちすくむ。バケツを持った制服の少女がバツが悪そうな顔をして背を向ける瞬間だった。
ボブカットの垂れ目の少女。確か、広葉綾といったはずだ。
滴り落ちる水の音がつっと遠くなっていく。いつもなら駆け足で笑いながら逃げていくはずなのに広葉は動こうとしなかった。いや、動けないように見えた。
早く行って欲しい。びっしょりと濡れた体を抱え、歩き出す。
囃し立てる声がわいていた。この瞬間だって動画に撮られているんだろう。そしてまた罵倒されるんだろう。
さらに駆け足であたしはその場から逃げた。広葉が追ってきているのは知っていたけれど。あの子は底辺だからあたしをそこまで痛めつけることはない。
無言で振り返らず進んでいく。ゲームセンターの音漏れが耳障りだった。
「……めん。ごめん。エリカ……さん」
小さな声が耳たぶを撫でた。びくっとして思わず足を止める。
「何ですか」
「……今日はさゆちゃんに言われて見られてたからやらなきゃいけなかったの。本当は私、エリカさんと友達になりたくて……」
カッと頭に血が上るのが分かった。叫びたい衝動に駆られ濡れた制服をぎゅっと掴む。こんなことをやっていて、そんなことをよく口にできるな、と思う。
何なんだ。「友達」って。
そうしてまた歩き出そうとしたところを広葉の腕が止めた。ブレザーから赤い傷がのぞいていた。
「私も……いじめられてるの」
知ってる。たまたま矛先がいつもあたしに向かってただけで対象なんてたくさんいた。広葉が放課後、みんなに呼ばれていたのも知っていた。でもあたしはそれを止めようとしないし広葉はあたしのいじめに加担することをやめない。そういうものだ。
「自傷、してるの?」
特に興味が向いたわけではなかった。少し気になっただけだった。
「時々。さっぱりするから。エリカさんもやってるよね。私この前見た」
「……気づいてたんだ」
それを聞いた時、嬉しいようなホッとした様な気持ちがじんわりと広がっていった。誰も気づかなかったこの傷に気づいてくれたのか。
「最近は慣れちゃった。あんまり痛くもないし気持ち良くないんだよね」
そこまで話す予定はなかったがついつい言葉が飛び出す。思えばあたしは誰かに想いを打ち明けたかったのかもしれない。
「わかるかも。だから最近はOD始めた」
「効いてる?あたしもちょっと前にブロン買ったけど何も起きなくて」
「一瓶飲んでみなよ。思ったより効くから」
ホント?と声を弾ませる。さっきまでの気分はどこかへ行ってしまったようだった。
広葉も嬉しそうに顔を綻ばせる。
「こんなこと初めて人に言ったの。ほら、相談したら咎められるから。私はただ寄りかかるものが欲しいだけなのに」
「……同じ」
うん、と二人で顔を見合わせて頷き合う。まるで二人だけの秘密を作り出したかのようだった。
広葉はポケットから錠剤の入った透明袋を取り出し、油性ペンで番号を書いて、あたしに渡した。
「私の電話番号。それから足りなかったらコレ飲んでみて」
「あり……がとう」
「じゃあ……またね」
やはり広葉は声を小さくしてあたしの前から去っていった。白い糖衣の錠剤が綺麗だった。
ほんの少しだけ心の辺りが温かくなる気がした。
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