緑地深層

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「うわ、何これキモい」 「ちょっと、こんなの廊下に貼らないでよ」 「申し訳ございません、来週エリュシオンが音楽番組に出演することになっていて……」 「だったらエリュシオンのアーティスト写真を貼ってよ。こんな不気味な絵を貼らないで」 「も、申し訳ございません。上と相談します」 普段なら気にも止めない言い争い。 でもこの時は何故か気になり、歩みを止めて振り返った。 『胎動』 エリュシオンというロックバンドのアルバムの発売日が記載されたポスターには、搔爬による人工中絶により泣き叫びながら掻き落とされる子供と、後悔と罪悪感で嘆き苦しむ母親がダイナミックに描かれていた。 一目見ただけで人間の罪深さや女性、子供といった弱者が犠牲になる社会への怒りが沸き起こる。 こんな絵画は初めてだった。 「すまない。もしこのポスターを撤去するなら、譲って貰えないだろうか」 僕が声を掛けると、先程まで共演していた女性アイドルの2人が驚きの声を上げた。 「御劔さん、エリュシオン好きなんですか?」 どう答えていいのか迷ったが、この絵を罵倒された怒りの方が、保身より勝ってしまった。 「エリュシオンというロックバンドはよく知らないが、ポスターに描かれているこの絵に芸術家の端くれとして絶句してしまってね。この絵はエリュシオンというロックバンドのメンバーが描いているのかい?」 女性アイドル2人のうち1人は、ばつが悪そうに俯く。 しかし、もう1人は先程の会話などなかったかのようにしれっと笑顔で答えた。 「このジャケットイラストは画家でイラストレーターの園崎葉月さんが描いたものです。ある時期からエリュシオンのジャケットイラストは園崎さんが描いています。ミュージックビデオにも園崎さんのイラストが登場しますよ」 先程“こんなの廊下に貼らないでよ”と怒鳴っていたのが嘘のようにドヤ顔で説明する彼女に若干笑顔を引きつらせながらも、ありがとうと礼を言う。 「そういえば、園崎さん今、近くで個展開いていますよね。アルバイトのADに園崎さんのファンがいて、嬉しそうに教えてくれました」 スタッフの言葉に、うげ……と俯いた方のアイドルが口にする。 彼女は相当、園崎葉月のイラストが嫌いらしい。 「そのアルバイト君はまだ居るかい?できれば場所を教えて欲しいのだが……」 「ちょっと待っててくださいね」 スタッフがスマホを取り出し電話を掛ける。 恐らく園崎葉月のファンらしいADと通話しているのだろう。 スマホを首と肩で挟みながら器用に書いたメモを、僕に手渡してくれた。 『園崎葉月 恐怖と狂気の世界』 あまりにもストレートな言葉に苦笑しながら、個展の会場の場所を確認し、笑顔のままスタッフとアイドル2人に礼を言う。 「ポスターの件は上に聞いてみます」と言うスタッフの言葉に、そういえばポスターが欲しいと言いながら会話に割り込んだんだと思い出す。 僕の心は既に、園崎葉月の個展に飛んでいた。
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