緑地深層

5/6
前へ
/6ページ
次へ
桜の木の下に死体が埋まっているという話を聞いた事があるだろうか? あの話は別に桜に限った事では無い。 俺たちの足元、この大地には、死体が埋まっていない土なんて無い。 俺たちは常に誰かの死体の上を歩いている。 俺たちは死体を養分に芽吹いた植物を食べている。 俺たちは常に動植物の死体を食べて生きている。 死体を養分に植物は美しい花を咲かせる。 死体を栄養分に俺たち人間は今を生きている。 美しいだけの花は存在しない。 善良なだけの人間は存在しない。 凶悪犯罪者は俺たちの可能性のひとつだ。 俺たち人間はいつだって加害者に成り得る。 誰だって人を殺す可能性がある。 いや、俺たちはまだ気づいていないだけで。 既に誰かを深く傷つけているかもしれない。 俺たちが発した些細な言葉が心を抉り、既に誰かが死を選んでいるかもしれない。 それは、恭一郎も同じ。 最初から、彼が善良で優しいだけの人間だとは思っていなかった。 恭一郎が仕掛けた隠しカメラをハッキングして、恭一郎が俺の部屋を飛び出す映像を眺める。 恭一郎は苦しそうに長身を折り、俺の部屋の扉の前に蹲った。 恭一郎が入るなと言った部屋の惨状も、そこで恭一郎が何をしているのかも知っている。 恭一郎の願望も知っている。 俺を閉じ込めたい。 俺を監禁したい。 俺を拘束したい。 俺から絵を奪いたい。 俺を壊したい。 俺を殺したい。 俺に生きて欲しい。 俺にずっと傍に居て欲しい。 芸術家の園崎葉月を敬愛している。 その才を思う存分発揮して、活躍して欲しい。 恋人の園崎葉月を独占したい。 葉月が逃げるのであれば、殺してでも自分のものにしたい。 相反する願望に苦しむ恭一郎。 そんな恭一郎こそが、俺は心底愛しい。 自分の醜さを嫌悪し、それでも尚懸命に立ち上がり、生きようともがく恭一郎こそが愛しくて堪らないのだ。 俺のこの瞳に映る世界は物心ついた頃からグロテスクで醜悪だった。 そんな俺に美しさや優しさを教えてくれたのが恭一郎だった。 そんな恭一郎の醜さに気づいた時、俺は安心感を覚えたのだ。 恭一郎も俺と同じ人間だったのだと。 だって、この世界で最もグロテスクで醜悪なのは俺自身だ。 俺たちは常に死体の上に立ち、死体の上を歩き、死体を食べて生きているなんて、伝えなくても良い事だ。 気づかなくても生きていけるし、気づかないまま死んでもいい。 光が必ずしも正しいものだとは限らない。 真相は闇の中に閉ざした方が、多くの者が幸せでいられる事だってある。 全てを白日の下に曝す行為が、必ずしも善だとは限らないのだ。 俺が行っている行為は、俺が描く絵は、誰かの心を抉り、傷つける可能性がある。 そうでなくても不気味に感じたり、恐怖で気分を害する人も居る。 それを承知の上で、それでも自身の欲望のままに描き続ける俺は、この世界で最もグロテスクで醜悪な存在だ。 だからこそ、恭一郎の裏の顔に気づいた時、俺は歓喜に震えたのだ。 宝石のように美しい一瞬を切り取り、常に優しく紳士的な恭一郎が、俺と同じ人間だったのだ。 喜びこそすれ、嫌悪などする筈が無い。 そして、闇を見知った恭一郎の写真は、世界は、より洗練され、どんどん輝きを増しているのだ。 ネットフリマやネットオークションで安値で叩き売られているのは、磨かれてゆく恭一郎の芸術性に、タレントとしての恭一郎を目的としていたファンがついていけなくなっているのだろう。 実際、エリュシオンの打ち合わせの合間に話題に出した時、現在の恭一郎の写真は好評だったのだ。 「もっともっと美しい写真を見せて、恭一郎」 パソコンの画面の中の恭一郎にそっと口づける。 恭一郎が設置したカメラの位置は全て把握している。 それどころか、こんな風に利用して、俺も恭一郎を観察している。 最初から、綺麗な桜の木だけを愛する気など無い。 色鮮やかで美しい花畑だけを愛する気など無い。 グロテスクな世界しか見えない俺は、それらを育んだ死体や、死体が死体になる過程、人間という生き物の醜悪さごと愛しいのだ。 「愛してる、恭一郎」 君がもっともっと醜い自分に気づき、嫌悪しても。 俺はその醜さごと君を愛している。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加