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緑地深層
色とりどりの鮮やかな花咲く花畑。
瑞々しい緑の茎や葉が、更に彩りを添える。
美しい光景。
美しい景色。
俺と彼は正反対で。
俺は美しい花畑は土に埋もれて同化して形を失った、数え切れない程の死体と悔恨と苦痛と涙を養分に緑は芽生え、花は咲くと解釈し、描写した。
彼はその瞬間の美しさだけを切り取った。
まるでその瞬間のみが大切で、その他は不要とでも言うように。
グロテスクな世界を見て、見たそのままの醜悪な世界を描く俺は、君の写真を見た瞬間だけ、この世界の美しさに涙するのだ。
俺のこの瞳に映る世界は、物心ついた頃からグロテスクだった。
家の中では母を口汚く罵倒する父親は、一歩外に出ると穏やかで優しいと評判だった。
その父親の不満、義実家や実家の両親の不満、世間や社会への不満を愚痴る母親も、外の人間の評価は明るく快活な女性だった。
父親も母親も、一皮向けば憤怒と憎悪と欺瞞に塗れた醜悪な本性を曝し、俺自身もこの腹部にスッと刃物を走らせれば、剥き出しになるのはグロテスクに蠢く生ぬるい臓器だ。
誰も、彼も、人間も、犬も、猫も、兎も。
優しいのも、明るいのも、元気がいいのも、美しいのも、可愛らしいのも。
それはあくまでも表面だけのもので、スッとナイフを走らせるだけで引き摺り出されるのは醜悪な中身。
俺は気がついた時にはグロテスクで醜悪な世界を、俺の見た世界を描写していた。
最初はスケッチブックにクレヨンで描いた。
その絵を見た母親が、悲鳴を上げて俺を叩いた。
明るく快活とは程遠い、悪鬼のような表情で。
ほら、やっぱり世界はグロテスクだ。
叩いても、蹴っても俺は描くのをやめない。
母親がクレヨンとスケッチブックを奪えば壁や廊下にマジックでグロテスクな世界を描き始める。
そんな俺を、手に負えなくなった両親は児童精神科病棟に放り込んだ。
児童精神科病棟は更にグロテスクで醜悪な世界だった。
餓死寸前で保護された少年。
実の父親から強姦され続け、妊娠と中絶を繰り返した少女。
熱湯を浴びせられ、火傷で男児か女児かも判別できない子供。
世界の裏側の縮図がその世界にはあった。
強者に喰い潰される弱者。
男に喰い潰される女。
親に喰い潰される子供。
家父長制の犠牲者。
家庭という無法地帯の人身御供たちが集まる児童精神科病棟。
だが、そこは俺にとっては楽園でもあった。
俺は入院患者の子供たちの中では、手がかからない部類であったらしい。
描く絵がグロテスクなだけ。
絵さえ好きに描かせておけば扱いやすい子供だと判断されたのであろう俺は、思う存分俺の世界をスケッチブックに描くことができた。
外泊して自宅に戻った時に細々とネットにアップし続けていた絵が、ある日ロックバンド、エリュシオンの目に止まった。
あのグロテスクで醜悪な絵を評価され、彼らのCDのジャケットに起用されたのをきっかけに、次々と絵の仕事が舞い込んだ。
17になっていた俺は、病院側や両親と相談し、通院しながら絵の仕事をすることになった。
だが、やはり両親が耐えられなくなった。
仕事とはいえ、グロテスクで醜悪な絵を描き続ける俺の不気味さや、俺が有名になってしまったことで、職場や近所から陰口を叩かれるようになったのが原因らしい。
この頃には既にそこそこの収入があった俺は、実家を離れて一人暮らしを始めた。
通院の帰りに立ち寄った書店で、俺は生まれて初めて“ただひたすらに美しいもの”に出会った。
写真家でタレントの御劔恭一郎の写真集『深緑』。
植物を中心に撮影した写真は、そのひとつひとつがまるで宝石のように美しかった。
そして、その切り取った時間の前後は不要と断言するかのような迫力。
美と強さの調和した、御劔恭一郎の世界の美しさに、俺は息を飲んだ。
激しく脈打つ心臓を押さえ、俺は『深緑』を持ってレジに駆け込んだ。
そのまま真っ直ぐに帰宅して、写真集を広げた。
涙した。
あまりの美しさに。
迫力に。
神々しさすら感じて、言葉を失った。
俺は御劔恭一郎の写真集を買い集めた。
けれど、御劔恭一郎の世界に出会ったことで、俺の世界が変わることは無かった。
俺の瞳に映る世界は相変わらずグロテスクかつ醜悪で、俺の描く世界もそのままだった。
俺の存在する世界で、御劔恭一郎の写真だけが、ただ唯一の“美しいもの”だった。
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