川上弘美 著/センセイの鞄

1/1
前へ
/6ページ
次へ

川上弘美 著/センセイの鞄

本棚へはコミックを先に詰めたので、文庫はまだ未整理のまま。平積みの本を積み替えてひっくり返すものの見つからない。 今回はそんなお気に入りで迷子な本のお話です。 『川上弘美 著/センセイの鞄』 川上弘美さんの小説が大好きで結構集めたんですが、そのなかでも一際大好きな本です。淡々とした文体なのに時々湿って粘りつくような筆致が最高。 いま手元に現物がないのであらすじは若干うろ覚えです。 物語はツキコさんという三十代独身の女性の視点で進みます。ある日、居酒屋で一人お酒を飲み食事をしていた彼女は、隣の席のご老人と肴の趣味が同じなことに気づきます。 するとそのご老人が声をかけてきます。そこで老人が高校時代の恩師だと思い出したツキコさんは、失念した名前の代わりに「センセイ」と呼びかけるのでした。 それ以来、「センセイ」とツキコさんは淡々と飄々と交流を深めます。 あらすじにすると物語の良さが全て消えた気がする。私の要約が下手すぎるだけかもしれませんが。 このお話、六十代の元教師と三十代の元教え子の恋愛、という一見扇情的でセンセーショナルな題材なのにまったく厭らしさありません。昔気質の教師らしく振る舞う「センセイ」と、居酒屋で手酌で酒を飲むツキコさん。始終敬語を崩さず、どちらも枯れた男女に見えます。 でも繊細な文章には仄かな色気が常に漂っていて、性愛とは無縁そうな二人の佇まいと相まって寧ろとても官能的。作者の文章力故の魅力ある設定だなと感じます。 私はこの人の文章が好きで好きで堪らないんですが、『蛇を踏む』で芥川賞をとった純文系の作家らしく好きだの愛してるだの大袈裟な言葉は使いません。 でもなんでか匂い立つように情感が浮かび上がるんです。むしろ直截的な言葉を使わないことにより細やかな感情の揺らぎが表現されている。行間、もしくは余白の使い方がめちゃくちゃ好み。 この人の小説を読むと、「言葉」というものに収まらない人の業のようなものを言葉に収める、という神業に文学の底力を感じます。 辛いことがあったとき、しんどい時、疲れた時、心を穏やかにしたい時。そんな時に静かに柔らかく適度な距離感で寄り添ってくれるお話が多いです。おすすめ。 そういえばこの本は映画化もされています。観ましたけど、原作が好きすぎる人には向かないかな。キョンキョンも柄本明さんもとっても好きな俳優さんだけど、これはなんかちょっと違う。いや、原作ファンの納得する映画化なんて殆どないんですけどね。 でも小説のどこか非現実的な世界観がなくなって、歳の差ラブストーリーになってしまったのは悲しかったかな。映画から入れば素敵なキョンキョンと柄本さんが楽しめるかも。 話は変わりますが、ひどい映画化といえばトルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』はびっくりした記憶があります。ちなみにこっちは映画を観てないのであらすじしか知らないんですが。 そのあらすじの段階で思わず「別もんやないかーい」って叫びましたね。原作は読んだんです。こちらは割と好き。でも間違ってもラブコメじゃないし、ハッピーエンドでもない(元々ハッピー、アンハッピーという小説ではない。というか恋愛小説ではない)。 オードリー・ヘップバーンのお人形みたいな愛らしさは大好きですが、これはないよね。なんで映画化したんだろう。 さらに脱線するとカポーティの生涯を映画化したのもあるんですが、これはある意味おすすめです。 カポーティは背が低く、髪が薄く、小太りで吃音。声が高く、女の子のような声で話す。親とうまくいかなくて自己肯定感が低く、繊細、でも時に大胆な振る舞いをする。主演俳優が忠実に再現した男性はなかなかチャーミングで個人的にとてもタイプ。 しかもゲイで、カポーティの才能と性格に惚れ込んだイケメンでスタイルの良い彼氏あり。尽くしてくれます。 私の若干マイナーな腐女子センサーにビンビンと引っかかる映画でした。ストーリー自体は自伝的なんで可もなく不可もなく。最後に主人公が薬物中毒で死んじゃうので結構暗い映画です。もし興味が湧きましたら、タイトルはズバリ『カポーティ』なのでぜひ。 閑話休題。 半分くらい章題と関係ないことを書いてるなあ。 でも本当に好きなんです、川上弘美さんの小説。大いなる好きの前には語彙が死んじゃう。好きが溢れてうまく言葉が出てこない。 淡々と進んでいった後のラスト一行はぐっと胸にくるものがあります。何度読んでも思わず泣いてしまう。 また読みたいのにどこ行っちゃったのかな。仕方がないのでまた本の山を崩しながら探してこようと思います。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加