走り、だす

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『森本レナのある日の夕方』 「こんなに短いスカートで全力で走ったら見ていられない格好になるから、最近の若い女の子は走らないんだと思ってたわ」 バイト先のスーパーの店内での事だった。 パートのオバさんが転んだから慌てて駆けつけたのに言われた事はこれだった。 「大丈夫ですよ、下に履いてますから」 自分で歩けそうだったけど、取り敢えず休憩室についていき、座らせた。膝から血がトロッと出てきていたから絆創膏を探した。 ついいつものクセが出てしまった。 私は弟が転んだ時、泣き出す前に側にいるようにしている。 大したことではないというフリをして起こすと弟はつられて何もなかったように立ち上がるからだ。 「そうなの、でもそれでも捲れてるのをみたらドキッとしない?」 助けたお礼も言わず清水さんは話し続ける。 心の中で舌打ちした。 あんたさっき何にも無い所でけつまずいたよね。 私はそもそもそこまで鈍くないから。 そう言いたいが黙っている。 この人を敵に回すと大変だから。   主にイジメで。 「そういうのをじーっと見るのはキモいおっさんしかしませんよ」 休憩室でカップ麺を食べていた工藤君が言った。 「ふうん」 おばさんは、工藤君の方をジッとみる。 工藤君は、もうこちらに関心無さそうに麺を豪快にすすった。 なにげに失礼な発言だったから一瞬ヒヤッとした。 でも大丈夫だろう。 『男の子だから』という理由でこの世代の大人は彼には甘い。 世の中には、何を言っても、気が利かなくても男というだけで許す人種がいる事にここでバイトし始めてから気付いた。 男だと言う事にどういう価値があるかさっぱりわからないけど、店でジジイが偉そうにするのは女に対してだけだし、よく「女じゃ話にならん、責任者呼べ」って怒鳴ってる。 そして何故か女は同性に厳しい。 たまに「娘と年が近いから」とやさしいおばさんもいる。 でも、大体は挨拶のあるなしや、仕事のやり方や、挙げ句には、やる気があるとかないとかの精神論まで、何にでも文句をいう。 特にこの人、清水さんがうるさい。 多分私が若い女だから。 敵視されてる、そう感じる。 オバサンなのに。 清水さんは私と同じ『女』という線上にいるつもりだろうか。 それならまず、私の足のラインと自分のお腹のラインを見てからものを言って欲しい。 あんたが、工藤くんにどう思ってようが、彼はハナから相手にしていないって。 最近、工藤君はバイト終わりに私を最寄りの駅まで送ってくれる。私が帰る支度が長くても、ちゃんと待ってくれている。 きっと今日もそうしてくれるに違いない。 私は俯いて自然と口の端が上がるのを隠した。 『清水さんのある日の夕方』 私が転倒した時、一目散に駆けつけてくれたバイトの女の子は、その親切な行動とは裏腹に能面の様な顔をしていた。 あまりに怖い顔をするから、私は何かとんでもない失態をおかしたのかと思ったよ。 転んだだけなのに、何だってんだ。 膝は痛いし、皆に見られて恥ずかしいし、やりきれない。 バイトの子はそのままの表情で休憩室まで付きそってくれた。 バイトの子は、森本レナという最近店に入った子だ。 今時の子。見た目も中身も。 長い手足に、どぎついメイク、ペラペラな丈の短い服をいつも着ている。しゃがんだら服の間から見える背中、あらわになる太腿。 見ているこっちがハラハラして落ち着かない。 それに加えて世間知らず丸出しの態度も気に入らない。 携帯電話は店内に持ち込み禁止の筈なのに平気でお客さんの前で携帯をいじる。 店長に注意されても「そんな話は契約時に聞いてない」の一点張りで離そうとしない。 仕事を休む時も直前にラインで知らせて来るから、代わりの人を急に手配出来ず、そこにいる人がそのまま残業したり、少ない人数で店を回す事になる。 なのに後で謝りにもお礼にも来ないし、その休みの理由も後から聞けば放課後に友達と遊びに行っただけだったと聞いた。 自分さえ良ければよくて周りに迷惑をかけてるなんて考えもしない。 店長は「まだ学生で社会経験がないからわかんないんだろうなあ」なんて多目に見てるけど、迷惑を被ってるのは定時に帰れなくなる主婦パートの私達だ。 だから私はちょくちょく注意している。 その時は彼女は黙って聞いてるけど時間がたつとまた同じ事を繰り返している。 まあ、それでも 今回は意外にも助けに来てくれたんだからお礼はしとかないとね。 『工藤君の夕方』 昼休憩に入って間もなくして、ドアの向こうが騒がしくなって休憩室に人が入ってきた。 一人は今交代したばかりのパートの清水さん、もう一人は学生バイトの森本レナさんだ。 珍しい組み合わせだと思っていたら森本さんがケガをした清水さんを介抱しているようだった。 それもまた珍しい。 「そうなの、でもそれでも捲れてるのをみたらドキッとしない?」 清水さんは痛そうな顔をしているのに全くケガとは違う話をしていた。 多分森本さんのスカートの丈の話だ。 森本さんが僕がいるのを見つけて睨みつけた。 「そういうのをじーっと見るのはキモいおっさんしかしませんよ」 思わず声が出た。 俺は見てない、気にはなるけど。 見ているのがバレたら格好が悪いし、後で何を言われるかたまったもんじゃない。 店長や社員さんはみてるよな。お客さんは遠慮なしだ。羨ましいくらいに。 内線電話がかかってきた。 店長からだ。 「そこに清水さんと森本さんいる?」 「はい」 「休憩中悪いんだけど、工藤君、早めに店出れるかな?そろそろ惣菜始めないと夕方に間に合わないから、清水さんの代わりにそっちにまわって」 「了解です」 「悪いね、それと森本さんに品出しに戻って欲しいって伝えて、それと清水さんに話に行くからまだ帰らないでって伝えといて」 「わかりました」 「宜しく」 清水さんはその後、早退して店長の車で病院に行った。 仕事が上がる前に店長が戻ってきたから話を聞いた。 清水さんは骨に異常もなく大事には至らなかったらしい。 俺はいつものように森本さんが準備するのを待って一緒に帰った。 駅までの帰り道は飲み屋街を通る。 平日の夜は酔っぱらいが多くて騒がしい。 それで清水さんは俺に女子のバイトの娘がラストまでいたら一緒に帰ってやれ、とうるさくいう。 「びっくりしたよね、清水さん」 「まあ」 いつもより森本さんは話しやすかった。 普段はは携帯電話の画面ばかり見ているから。 自分の"推し"がsns上にいつ現れるか気になって仕方ないのだ。 森本さんの世界はそのアイドルが中心に回っている。 ネット上の公式のツールは通知設定している上に、更に”ネットパトロール"しているらしい。 彼女がわざわざ電車に乗ってこのスーパーにバイトをしに来ているのも、どうやらそのアイドルの家の最寄り駅がここだと突き止めたかららしい。 時々、急に休むのも"推し"の目撃情報が上がったからだと聞いた。 彼女は推しの話をする時だけイキイキしている。 彼女の社会は"推しのいる世界"としか、繋がっていない気がする。 後日、清水さんから森本さんにお礼がし?!たいんだが何がいいか聞かれた。 「…何ですかねぇ」 「あんたいつも一緒に帰ってんでしょう?どんな話してんのよ」 「話はあんまりしませんよ、ああアイドルグッズとか?」 「へぇ、あの子意外にミーハーなんだね」 清水さんはケラケラと笑いながら言った。 『みーはー』って何だ? 「誰が好きなの?私結構詳しいわよ」 「なんだっけ?地元がこことかいう人で…ええっと確か『リトル=コト』とかいうグループの京都の寺の名前でヤサカじゃなくて…キヨ…なんだっけ?」 「…」 「わかります?」 「えっ…ああ…あの、キヨミズかな?」 「そうそう、キヨミズっていう人、やっぱりよく知ってますよね、さすがだな」 俺は清水さんを見た。 彼女はいつになく焦っているように見えた。 「…そう…森本さん…そうなの…」 清水さんは小さくつぶやくと、俺を見て「わかった、ありがとう」と言った。 彼女の顔はいつもより優しい顔をしていた。 翌日、森本さんが清水さんからキヨミズのサイン入りのキーホルダーをもらったと聞いた。 森本さんは感激してそれ以来、清水さんのいいなりらしい。 森本さんに聞いた話によると、そのアイドルグループはメンバーの名字が偶然にも京都の地名と同じだった事からリトル=コト、つまり小さい古都と名付けられたらしい。 メンバーは3人。 ヤサカ、ウジ、そして彼女の推しであるキヨミズなんだそうだ。 森本さんは気づいているのだろうか? 京都のキヨミズ寺は漢字で表すと清水寺だと言う漢字だと言う事に。 アイドルのキヨミズの本名は清水(シミズ)なんじゃないのだろうか。
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