オタクの体験入部

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オタクの体験入部

あの夜から春休み明けへ、俺は再び高1になっていた。 前向きな気持ちで登校するなんて久しぶりで、俺の心は弾んでいた。 一年前の俺が今の俺を見れば、きっと酷く驚いていたに違いないだろう。 もう人生を浪費してる暇なんて無くなったんだから。 久しぶりに太陽の下をまともに歩いてることもあってか、 春のやわらかな陽射しすらも暑いと感じてしまうけど。 風が運んでくる空気の匂いも美味しいおかげで、 高鳴る心のままに、俺は校門をくぐった。 幸運なことに、俺の高校にはダンス部があるのだ。 それも男女混合の部活だ。 おまけに俺の高校は私服制だから、練習着に大した規制はない。 まさに奇跡の巡り合わせだ。 特に俺の高校では部活になかなか力が入ってるらしく、 昨年では何回か大会で賞を取っていたりしたらしい。 目の前には白色の煉瓦造りの壁が印象的な体育館。 その正面に1本の大きなヤシの木が生えた土をレンガが囲んでいた。 それを囲うように設置された休憩用のベンチに腰掛けて、 俺は部活勧誘のパンフレットを広げていた。 大きく『ダンス部』という文字を覆うようにして、様々なポーズを取るメンバー達。 皆ダンス部用の衣装を着てるからか、いかにも青春してますって雰囲気が丸出しだ。 特にポイント(ロックダンスでいう指差し)してる人たちなんて、衣装が凄くお洒落で良いな。 と眺めていると約束の時間に迫ってきた。どうやら写真に集中しすぎていたようだ。 「さて、行くか!」 パンフレットを丁寧に鞄に仕舞って、一度深呼吸をする。 緊張で胸のドキドキを落ち着かせるようにぽんぽん叩くと、覚悟を決めて体育館に入った。 正面の入り口から入ってみると、左奥には2階への階段があって、斜め左前には柔道場。 右斜め前には男女それぞれの更衣室があって、真っ直ぐ奥に目的の踊り場があった。 奥の扉を開けて、踊り場の玄関で靴を脱いで下駄箱に入れてると、背後から声をかけられた。 「君は入部希望者かな?」 振り向くと、まず目に入ったのは靴だ。 これがダンスシューズなのだろうか。紫色がベースで凄く派手な色合いだ。 上を見ていくにつれて、また心臓が暴れ出したのだ。 艶のある長い黒髪が、よく手入れされてるとわかる程に整っていた。 う、綺麗な人だな…。 黒と紫を基調にしたコーディネートで、とにかくお洒落な雰囲気だ。 何より、体のラインを若干浮き彫りにしている服装が、 童貞の俺にはなかなか刺激が強過ぎるように思われる。 ひと目にダンサーだとわかったが、こんなところで躓いてる場合じゃない。 落ち着け星宮陽翔17歳。これが我が最初の試練だ。 「は、初めまして。星宮陽翔と言います」 あまりにも美人だったからつい口籠もってしまったが、 最近までの俺の有様と比べたら凄まじい進歩であろう? すると彼女は、「ん〜?」と分析するように俺を眺め、 人差し指の甲を唇に当てながら、その唇を動かした。 「初めまして。ダンス部の中村美紀子(なかむらみきこ)よ。君は……卓球部の入部希望者かな?」 「い、いえ。ダンス部の、です」 「あ、そうなのね!勘違いして悪かったわね。じゃあ、案内するからついて来て」 中村さんは驚いたような表情で笑った。 唐突な女性との会話イベントにドギマギしてしまったが、 この反応は妥当なところだろう。 何せ見た目は運動とは無縁だろう体付きで若干お腹がぽっこり主張しているし、 いかにも青春って雰囲気の空間に、眼鏡をかけたオタクがどさくさに紛れ込んで来たら、 大抵の運動部は驚くか苦笑するだろう。 せめて服くらい、替えた方が良かったのだろうか。 Tシャツの胸元には、よくわからないアヒルがサングラスをかけてドヤ顔している。 流石に場違いにも程がある格好だったか。 「……はい」 気恥ずかしい気持ちで、中村さんの後をついて踊り場の奥に入っていった。 中はバスケットコート2つ分のスペースがあり、 真ん中を天井から吊るす大きな緑色の編みで区分けされていた。 奥に行くと広い面積の鏡があって、その前で数人の先輩方であろう人たちが踊っていた。 少し後ろで談笑しながら柔軟しているグループもある。 見たところでは30人くらいか。 女性の方が圧倒的に多い気がする。 「もしかしたらパンフレットで見ているかも知れないけど、うちのダンス部は主に月、水、木の16時から練習しているわ。体育館を卓球部やバスケ部と分けて活動しているからね」 「そ、そうなんですね。部員は、何人くらい居るんですか?」 「今来てるのは一部で、80人くらいいるよ」 「は、ハチジュウニン!?」 そんなに多いのか。やはりうちの高校は本当に凄いようだな。 流石に部活に力を入れているだけのことはある。 それにしても、たった週3回の活動でよく何かしらの大会で賞を取れているな……? 「ふふふ、良い反応だねぇ。まあ、全員が集まる事なんてそうそう無いからね!結構な人数の幽霊部員も居るくらいだわ」 中村さんが上品に笑うと、それに気づいて踊りの練習をしていた男が一人歩いてきた。 赤い靴に、黒いシャツの上からもわかる程に隆起した筋肉が目立つ。 さっきチラッと見えた練習中の動きからして、相当上手そうな印象を受けた。 「美紀子。やっと戻ってきたか。副部長たちが揃うまで待っていたんだから、そろそろ始めるぞ」 「わかったわ。新入生を真ん中に集めよっか」 中村さんは入り口付近に置いていた自分の鞄から上着を取り出して着ると、 俺の肩をぽむっと叩いて、中央スペースに向かった。 唐突なボディタッチだと……? 童貞に気があるそぶりなんて見せたら勘違いしちゃうぞ。 たぶんこの人は誰とも分け隔てなく、距離の詰め方がバグっているのだ。 恐らく天然の童貞殺しだ。いちいち深読みしていては彼女の術中に嵌ってしまう。 とはいえ、ドキッとさせられてしまった俺は、どもりながらも聞いてみた。 「な、中村さん。副部長だったんですか?」 「ええ、そうよ。2年生で副部長をやらせて頂いてるわ。わからないことがあれば、なんでもウチに聞いてね。で、さっきの男がウチのダンス部の向堂(むかいどう)部長よ。彼も頼るといいわ」 そうやって機嫌良く笑う中村さんの笑顔が、眩しい。 俺と年齢が近い女性から何の屈託もない笑顔を向けられたのは、本当に久しぶりだったのだ。 生きてるって素晴らしいんだな、とさえ思えた。 「ほら、あの子達も君と同じ新入生で体験入部に来たの。頑張って仲良くなってね?」 ……俺の正体は同じ学年を繰り返す禁忌を破りし者なのだが、真実は闇の中に葬るに限る。 中村副部長が指差した先には15人ほどの、正真正銘の新入生が集まっていた。 それに、ほぼ女子ってのがとてつもなく気まずいぞ。 俺は、例の黒歴史を体験したせいで、女子と仲良くなるのに前向きになれないのだ。 いや仲良くなりたい意思は山々だが、自分から行動するのは正直怖い。 「が、頑張ります……」 ああして俺の方を冷たい視線で見る女子達と親交を深められるかと言うと、滅茶苦茶に不安だ。 コソコソと耳打ちしている子達までいる。俺だって分かっている。 何でこんな、不衛生の洞窟から這い出て来たかのような陰キャが、 ダンス部にまで陰キャウィルスを撒き散らかしに来たのよ。 立派なバイオテロだわとかでも思われてるんだろうな。 もう既に疎外感を感じてしまっているが、お構いなしに部活が始まった。 「さて、これからダンス部を体験してもらおう。俺が部長の向堂碧人(むかいどうあおと)だ。補助に副部長の中村と元川(もとかわ)についてもらうので、俺に聞きにくいことは遠慮なく2人を頼ってくれ」 向堂部長の横には大人びててリア充オーラ全開のお姉さんである中村先輩と、 理知的で笑顔が爽やかな雰囲気なお兄さんの元川先輩が立っていた。 「よし、頑張るぞ!」 今この瞬間から始まるのだ、俺がダンスと向き合っていく物語が。 緊張が少しほぐれて来たところ、憧れのダンスライフの一歩目をしっかりと踏み出すために、俺は拳を握り締めた。
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