バナナ代返金要求書 第一話

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バナナ代返金要求書 第一話

 拝啓 塚本スーパーマーケット様  貴店に置かれましては、時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。  私はその名をMKと申します。今回の一件について、簡単にご説明しますと、数日前の昼ごろ、貴店を訪問いたしまして、バナナをひと房単品で購入した者です。今日になって、考えるところが色々とあり、突然ではありますが、完全に正常なる精神状態のもとで(実はこの主張こそが、この文章の核となる非常に重要な部分となるのでありますが)このバナナを貴店に返品いたしたく思った次第です。とは申しましても、貴店からすれば、私の存在は一般的な同年齢の男性と比較して、その外見にしても内面にしても、やや個性的ではあるにせよ、日々、この店を利用されている、大勢の顧客の中のひとりに過ぎません。ですから、このような手紙を突然つかまされたところで、(本件が数日前のことで、まだ現実的であるとはいえ)いったい、どの件について語られているのかと、皆目見当もつかないのではと思います。ですから、本題に入る前に、まずは、数日前にこの身に起こったその経緯と真相を、かいつまんで説明させて頂こうと思います。  私は今年で四十一歳になる無職の男です。都内の中堅商社に勤めておりましたが、長引く不景気を理由に、上司から執拗に退職を要請されるようになりました。会社を追い出される羽目になりますと、信用を置いていた友人や同僚、親戚のコネもない私としては、どこへ転職するあてもありません。当初は嫌がらせに耐え、仕事量を増やすことで評価を上げ、なんとか社内に踏みとどまっておりました。しかし、他の同僚の見下すような冷酷な態度や、上司からの強い圧迫感に押し出される形で、約五年前に自己都合で仕事を辞めました。ひとりの成人男性が職を失うことになれば、必然的に家庭は不和を生み出し、家族関係は破綻を招くことになります。これは現代社会においては、ほぼ必然です。結局、三年前に消費者金融と金銭をめぐるトラブルを起こし、妻子にはまんまと逃げられました。長年に渡り、数少ない味方であった二人に対して、注いできたつもりの愛情は、経済上の苦境の前では何の実績ともならなかったわけです。彼女らが出て行く際には「今までありがとう」の一言すらなかったのですから。  この私自身も、安定した収入を失ったことにより、これまで住んでいた住居を維持することは困難となり、現在は昭和の末期に建てられた、郊外の木造アパートを新しく借りて、ひとりで住んでいます。部屋は四畳半の一室のみ。畳の上には、食いもののこぼれカスや、飲み物の染みでひどく汚れています。視力の衰えたこの眼にも、明らかに目立って見える、壁や柱の長くうねるひび割れは、近い将来、必ず起こるであろう、大きな震災の発生により、この住処は自分の命にとって何の保証にもならないことを示唆しています。わずかな失業手当と、自分をうち捨てて行った妻子が、なぜか、一円たりとも手をつけなかった少ない貯蓄に助けられる形で、ここ数年はアルバイトすらせず、昼間から大酒を飲んで、寝たり起きたりの生活を送っていたわけです。しかし、ニ週間ほど前には、以前の会社から受け取っていた退職金も、ついに底を尽きました。役所からは負け犬をさらに追い込むような、住民税の督促状も届きました。もちろん、経済的に頼れる親戚も知り合いもいるわけはなく、生きるための最後の糧を求めて、街中をぶらぶらと徘徊する生活にまで、落ちぶれることになったのです。このままでは遠からず、大家に家賃を支払うことすら、できなくなり、いよいよ、ホームレス生活に入る他ないのでは、と悲壮な思いを背負うようになったのです。  では、話を本題に進めましょう。三日前の午前中、私は生きる目的を完全に見失った、社会からの落伍者の一員として、食べ物を求め街を徘徊していました。周囲を行き交う大衆は常に無慈悲です。目にも明らかな社会的弱者に対して、金銭や食料を恵もうとする善人は、ついぞ現れませんでした。ふらふらと家を出て、五百メートルも歩かないうちに、ついに空腹の極みにより、倒れこむことになったのです。起き上がろうにも、強烈な目眩のために足腰に力が入らず、それもままなりません。もしかしたら、空腹以外の重大な健康上の要因があるのかもしれません。しかし、冷徹な国家により、無慈悲に設定された高額な医療費を払う余裕など、私のぼろの革財布には、すでにありませんでした。何を隠そう、その倒れ伏した地点が、ちょうど貴店のまん前だったというわけです。  私が地べたに倒れ込んだとき、大きな衝撃音と「いてっ」という異常を知らせる叫び声を上げました。しかし、それを聴きつけて、駆け寄ってくる人は、まるでなかったのです。人生の奈落にまで落ち込もうとしている人を助けあげようという気持ちすら、誰も持っていない悲しい地域なのです。「日本という国は、諸外国と比較して、困っている人に手を差し伸べられる、心の優しい人が非常に多い」などと、海外のニュースで報じられることが多いらしいですが、この自分にとっては、まったく現実とはなっていないのです。泥と砂で汚れたアスファルトを枕にして、しばらくの間、身動きひとつせずに寝っ転がっていました。不幸な人生の終着駅が、眼前に見えたような気がしました。もはや、何の解決案も思い浮かびません。この先に待つあの世へと、その思いを向けながら、ただ、雨予報の出ている曇り空を見上げていますと、「もう、このまま天の国に召されても、致し方ないな」という悲壮極まる思いも自然と沸いてきたのです。  世は二十年も続く大不況の真っただ中、こんな暗いご時世です。多くの国民がこういう情景を見慣れています。どうせ、誰も助けには来てくれません。かつての昭和のよき時代、あのバブルの全盛期でしたら、こんな私の身を憐れんで、千円札の一枚でも、ロングコートのポケットから取り出して、投げてくれる、心優しき紳士淑女の姿があったのかもしれません。しかし、今は富の二極化時代、街を行き交う市民たちも、財布に入っている紙幣は決して多くはないのです。立ち並ぶ店舗の煉瓦は剝げ落ち、アスファルトは舗装もされず、屋根瓦は数年も前に地面に叩き落とされ、通りを行き過ぎる人々は皆貧しく、浮浪者を思いやる優しい心などは、どこにも存在しません。自分の上着を剥ぎ取ろうと寄って来る同業者なら、そろそろ現れる頃合いかもしれんな、とまで思ったものです。結論から申し上げますと、自分の未来にとって、何の得になるかもわからない他人の窮地を助ける義理など、誰も持ち合わせていない時代なのです。もう十数年は乗り込んでいる、全体に錆の付いたチャリンコで、偶然にもここを通りがかるであろう、巡回中の警察官か、あるいは、ガソリンの補給に向かう途中の他意のない救急車に発見される奇跡を祈るしかありませんでした。  そんなときです。こんな状態にあった惨めな私に、スーパーの入口からのっそりと出てきた一人の男性が、声をかけてきました。それは、とてもよく通る声であり、力強い呼びかけであったのを覚えています。 「あれ、そこのお方、こんなところに倒れられて、いったい、どうなされたんですか?」  記憶はかなり曖昧ですが、そういった台詞だったのを覚えています。私が倒れていることへの疑問というよりは、自分の店の目のすぐ前という、こんな大胆な場所で、名も知れぬ男性が白昼堂々と寝そべっていること自体に、少し脅えたような、今後の展開を懸念するかのような、そんな戸惑いの空気や雰囲気を持って投げられた言葉だったように感じました。私は相手の顔も確認せずに、こう返したのです。 「あなたはいったい誰なんですか? いや、もう、放っておいてください。いや、こんな大苦境になってから、のこのこ現れた人間など、今さら誰でもいい。どうせ、私の人生はここでもう終わりなんだ。思えば、どこがピークなのかもわからなかった。偶然ここに現れたあなたとしても、窮地に陥った私に資産の一部を分け与えてまで、快く助けてやろう、などとは考えていないわけでしょう?」  しかし、その方の話をよくよく聞いてみると、その声の主はこのスーパーを仕切る店長だったわけです。自分の店の前で、名も知れぬ者が行き倒れているという客からの通告を受けて、いくらか気がかりになり、いったい何事かと、いったん仕事を打ち切ってまで、様子を見にきてくれたらしいのです。すでに空腹により身体には力が入らず、私は事情を説明することすら億劫な状態でした。しかし、この界隈の責任者を前にして、ただ黙っているのもよくないと思い、今にも断ち切れそうな弱々しい口調で、これまでの経過を話しました。それはつまり、人間がまともな生活を長期間にわたり営んでいくためには、ある程度のまとまった収入が必要であるということです。しかし、自分はあえなく職を失ってしまい、ほとんど蓄えも身寄りもない、ということを話したのです。そして、今は空腹のために気力体力も底を尽き、あとは野垂れ死にを待つのみだと、なるべく手短に伝えました。  すると、その店長は静かに頬笑みました。「人間はお金が足りないくらいで、生きることを投げてはだめですよ。長い人生の中では、誰でも一時的に追い詰められる瞬間はあります。でも、現在の苦境さえ乗り越えれば、いずれ、元の運が立ち返ってくるのです。前を向いて懸命に生きていれば、生活の方に必要なものは、後から付いてくるものなんです。長く生きれば、何度となく大きな波にぶつけられることは避けられません。そのとき、自分を見失わず、慎ましく生き続けていれば、豊かな生活と仕事は、やがて、向こうからやってきますよ」と、そう語ってくれたのです。私は久しくまともな思考回路を持った人と話していなかったので、この店長の言葉には、いたく感激してしまったわけです。  その偉大な人は、私がこれだけ長い体験を正確に話す元気があることで救急車を呼ぶ必要はないとの判断をしたようです。その上で、一度店の中に引き返して行ったのです。しばらくして、ここに戻ってきた彼の片手には、ひと房のバナナが握られていたのです。 「さあ、これを差し上げましょう。すぐにお食べになって元気を取り戻してください。私やあなたのような一般の人間でも、明日が来れば、今日とは違う素敵な物語が待っているのですよ」  まるで、天上から響いた来たかのような、神がかった言葉たちに圧倒されて、私はしばらく返すための声も出なかったのです。菓子を手にした、幼児の口からでも出てくるはずの「ありがとう」が言えず、二分以上もそのままの姿で寝っ転がっていたのです。やがて、正気に返ると、下半身にぐっと力を込めて、何とか立ち上がり、他人に自慢できる物を、何ひとつ持たない人が、聖人からの施しを受けた際に示す、いくつかの不自然な仕草をしました。そのバナナを受け取り、汚れたズボンの右のポケットをまさぐって、十円玉を一枚取り出すと、少しかしこまって、店長に手渡しました。 「今は、これしか払えませんが、あとひと月ほど待ってください。この終わりかけた人生を、もし、やり直すことができたなら、必ず、多額のお礼をもって馳せ参じます。今日はこれで勘弁してください」 「私はあなたに立ち直ってもらうために、このバナナをプレゼントしたかっただけで、別に代金など必要ありませんよ。ただ、あなたがそのお金を支払うことで満足なさるというのであれば、ひとまず受け取っておきますよ」  店長はその言葉を残すと、一礼して店内に引きさがっていきました。この短い時間で実に多くの実りを得たような気がしました。ちっぽけなスーパーの店長にしておくには、もったいない器量を備えた人物のように思えました。私は時折曇天を見上げながらも、しばらく、茫然と立ち尽くしていたのです。  数分でしょうか、それとも十分ほどが経過した頃でしょうか、一歩も動けずに立ち尽くしていた私でしたが、地面で餌をついばんでいた数匹のハトが唐突に飛び立ったのを合図にして、まるで、からくり人形のように、ぱっと正気に戻りました。先ほどの心優しい店長との会話を、幾度となく頭の中で反芻していました。それは、ここ最近感じることのなかった、とても心地よい他人との対話でありふれあいであったのです。何しろ、ここ数年で他人との関わりをすべて失う羽目になった頭の内部に、微かな記憶として思い出される会話といえば、暴力と毒舌を交えながら、執拗に退職を促す上司と、発情期の猫のように、きゃんきゃんと喚きながら、離婚の調停の議論をした、恐妻との対話だけだったのですから。  私はその感激のあまり、意図せず少し早足になっていました。他人の視線に笑顔を隠さず、スキップでも踏むような心持ちで自宅に帰りつきました。そして、手を洗う習慣すらも忘れて、先ほどもらったばかりのバナナに勢いよく喰らいつきました。それは賞味期限の切れる前の、真っ当な食べ物。幸福のオーラに包まれた一般の人が食するのと同程度の食べ物をこの口にしたのは、約一週間ぶりでした。舌がその甘みを知った途端、私が全身で感激を表してみせたのは、説明するまでもないことでしょう。まるで、腹をすかせたサバンナの猛獣が、木立の陰に獲物の鹿をやっとこさ見つけ出し、数時間の追撃戦の末に、死に物狂いで捕らえたときのように、むさぼり喰いました。果物特有の甘みがあり、適度な酸味もあり、何より、肉料理のような食べごたえがあり、このバナナ自体にはとても感心したのです。胃の中が空っぽになり、飢餓状態にあった私にとって、まさに砂漠の中のオアシス以上の存在だったといえます。  私はそのバナナを噛み締めながらも、この久しぶりの食べ物を与えてくれた、あの優しい店長に対して、再度心中で感謝したものです。彼は数万人以上にも及ぶ、砂漠の奴隷たちを勇敢にも開放してみせた、あの救世主にも匹敵する存在でした。そして、彼の過度の期待に何とか応えるためにも、自分のこれからの人生を真剣に考え直し、少しでも良い方向へと立て直していこうではないかと、決意を新たにしていたわけです。貧困家庭への警句として頻繁に用いられる、あの高名な短編小説『一杯のかけそば』のように、今後数年間の地道な努力によって、年収数百億円の大実業家として成功した姿を、あの店長に見てもらいたい、とまで思うようになりました。翌日からは、心機一転して、新卒バリバリの若人のように、活発に動き出し、すぐにでも新たな就職先を見つけてやろうと思いました。さすれば、幸運の女神も裸で舞い降ります。いつのまにやら成功していけば、これはテレビのドキュメンタリー番組で取り扱ってもらえるほどの美談になったことでしょう。  そんな妄想をグルグルと人の限界まで膨らませながら、通常では考えられぬほどの長時間をかけ、バナナを食べました。しかし、どうしたことでしょう。食べ進めるほどに、小さな部屋の片隅から、知らない誰かに覗き見られているような、小さな不安を感じ始めたのです。そして、開封してから三十分ほどが経過しました。不安はさらに暗いレールを進みます。全体の半分ほども消化した頃には、少しずつではありますが、頭の中に別の奇妙な考えも浮かんでいたのです。それは、ダメ人間特有の思考体系なのかもしれません。「バナナを数本かじったくらいで、あるいは、たった一日分の食欲が満たされたくらいで、自身の能力や特性は何も変るものではないな」という思いであります。旧ドイツ軍の有能な諜報隊員のように、巧妙な手口で脳内へと侵入し、たちの悪い細菌は、瞬時に増殖を始め、思考を誤った方向に支配しようと企んでいたのです。  最初はもちろん、このような醜悪な考えを嫌いました。「そんな情けない、負け犬思考を持ってはだめだ! そんなことでは、せっかく助けてくれた、あの店長を真っ向から裏切ることになってしまう!」そう熱く念じることで、心中から、その悪しき考えを何とか追い払おうとしたのです。このまま転落していけば、私の人生は本当の道化で終わってしまうからです。一瞬の些細な気の迷いに思考が犯されてしまったがために、普段は大人しいはずの常人が精神状態を悪化させ、段階を経ていき、いつしか殺人鬼へと姿を変えてしまうことも……。そして、包丁や猟銃を手に持ち、周囲の人々に襲いかかり、多くの無実の人たちの人生を台無しにしてしまう事例だって過去にはあるわけです。道徳観念を保つためにも、人間とは常に他人への感謝と誠意を忘れてはならない生き物であると、そう思い直して、漆黒の闇にも通じる、この悪しき考えを、脳から完全に吹き飛ばそうともしました。  しかし、たったひと房のバナナを無垢な処女のように素直に受け取ってしまい、さらには、見も知らぬ人に過剰な感謝の意まで表明してしまった自分の姿を、少しずつ毛嫌いし始めていたのも事実なのです。発生原因すら判明せぬ細菌のようにして生まれた、この小さな小さな悪意は、時が経過するごとに、ますます心中で勢いを増していき、目で確認できるほどに大きくなっていったわけです。そして、ついには、あれから、たった二時間も経たないうちに、理性を完全に支配するところまで成長してしまいました。残念ながら、私は自分の心のあまりの変容に際して、その現象に呆気にとられるだけで、少しの抵抗もできなかったわけです。心中に若き頃から確かにあった「常識で塗り固められた道徳観」はあっさりと白旗を上げてしまい、国家や企業社会全体から、何ら恵みを受けた経験のない、貧民ならではの連想を繰り返し、煉獄の餓鬼のような劣等感、そして目の前でラブホテルから出てくる彼氏を偶然に見つけたOLのような激しい嫉妬感に狂わされ、その進むべき道を完全に捻じ曲げることになってしまったわけです。
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