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⚜ 流蛍屋敷 ⚜
マリアナとアレンは、白いホールに立っていた。
他にも何人か、メイド服を身に纏った年若い少女たちが、ホールに集まっている。
勿論、マリアナとアレンも白いメイド服に身を包んでいた。
つまりアレンは女装していることになるのだが、持ち前の顔の良さで皇都の令嬢よりも美女に仕上がっている。
ここはイーレー家の屋敷、流蛍のホール。
床は青く透き通ったタイルが敷き詰められ、天井にはブルーサファイアをあしらった大きなシャンデリア。
壁には花菱草の模様が彫刻され、金箔で縁取られている。
成金の趣味とは思えないほど、色調の統一された美しく豪華なホールだった。
「マリアナ様、わたしこの格好嫌なんですが」
アレンがメイド服の肩紐を引っ張りながら、小声でマリアナに囁く。
アレンは今、金髪の鬘を被って目の色を変え薄くメイクをしていた。
おまけに服の下には綿を詰めて、胸の膨らみを再現している。
声さえ出さなければ、流し目がよく似合う儚げ美少女のアレンは、不服そうな顔でマリアナを見ていた。
「我慢してください、メイドの募集しかしてなかったんですから」
マリアナは心の底で少し申し訳無さを抱えながら、アレンを宥めた。
ちなみにマリアナも身バレしてしまうと困るので、桃色の鬘を被って、瞳の色を隠している。
何故二人が変装して流蛍屋敷のホールに立っているのか。
それはついさっきのこと、街をぶらぶら歩いていたマリアナたちは一つのチラシを見つけた。
【流蛍屋敷の新しい給仕を募集中!誰でも大歓迎!】
二人は顔を見合わせ、これだ!と叫んだ。
その後二人は、人で溢れる街中を駆け回り、メイド服や鬘やらの変装道具を一式揃え、宿でそれらに着替えた。
アレンは激しく抵抗していたが、マリアナの「アレン様が来てくださらないと、私心許ないですわ」という言葉で大人しくなった。
メイド服を着るまでは良かったが、アレンは勿論、いつもルルカに任せっきりにしていたマリアナは、メイクが全くできない。
仕方なく宿屋の女将に頼んで薄く施してもらい、さらにアレンの服に綿を詰め込んで胸を作る。
マリアナの瞳は、なぜか魔法でも瞳孔の形を変えることはできなかったので、色だけを変えた。
皇国民には珍しくない、茶色の瞳に桃色の頭髪の美少女。
薄紅色の瞳に、庶民には時々見られる薄金の髪の美女。
女性にしては高いアレンの身長が心配だったが、儚げな美貌のおかげでそれも気にならない。
初めてにしては二人の変装は完璧だった。
人目につかないよう魔法で流蛍屋敷に入り、受付と思われる玄関で登録を済ませる。
そしてホールに案内された二人は、かれこれ三時間イーレ家当主の登場を待っていた。
「……遅い……」
「……遅いですね」
痺れを切らしたように発されたマリアの言葉に、アレンが疲労感を滲ませながら頷く。
ホールは既に大勢の女達によって埋められており、扉から新しい女が入ってくる様子は見られなかった。
しかしイーレー家当主は姿を現さない。
(早く、この女装をときたいんだが……、)
履き慣れないスカートに言い知れない気持ち悪さを感じながら、アレンはホールをぐるりと見渡した。
すると、アレンは一人の少女と目が合った。
胡桃色の巻毛にくりくりとした水色の垂れ目、幼子のような童顔に雀斑のある、可愛らしい少女。
少女はじっとアレンたちを見つめていたが、アレンと目が合うと顔を赤くして慌てて目を逸らした。
そしてまた、恐る恐る横目でアレンたちの方を覗う。
全く害意の感じられない、可愛らしい少女の行動にアレンは笑みが溢れるのを抑え、マリアナの肩を叩いた。
視線で「なんですか」と問いてくるマリアナに、アレンは少女を指さしておかしそうに笑う。
アレンの、くつくつと小さい声で少し前屈みにになって腹を抑えながら笑う様子に、マリアナは目を丸くした。
初めて見るアレンの笑い方に、マリアナは困惑しつつも素直にアレンの指先を追う。
すると、顔を真っ赤にしながら恥ずかしそうにこちらを横目で覗う少女と目が合った。
またもや慌てて目をそらす少女に、アレンは抑えきれないというように笑い声を漏らし、マリアナも口の端が緩むのを抑えられない。
「話しかけてみましょう」
「ええ、いいですね」
マリアナは然程離れていない少女のもとへ歩いていった。
アレンもなんとか笑顔を取り繕いながらマリアナについていく。
「こんにちは」
「ふぇっ?!」
マリアナが少女に声をかけると、少女は驚いたように声を上げた。
後ろでアレンが笑う声が聞こえる。
少女は顔を赤くしたり青くさせたりしながら、口をパクパクしてあうあうと声にならない声で喘いだ。
マリアナはその様子がおかしくて、笑い声を漏らしてしまう。
アレンは堪えきれないというように天を仰いでいた。
「驚かせてしまってごめんなさい。貴女が私達の方を見ていたから、話しかけたくなってしまったんです」
マリアナは助け舟を出すつもりで少女に声をかける。
そのおかげか、少女は慌てつつも、やっと言葉を発した。
「あっ、いえ!私こそすみません、不躾にじろじろと見てしまって。あの、その、あまりにもお二人がお綺麗でしたから」
「ふふ、ありがとうございます。嬉しいです。わたしの名前はアナといいます。こっちの背が大きい方はレン。貴女は?」
「わたしは、チヨっていいます」
「チヨ、よろしくおねがいします」
マリアナが微笑みながら手を差し出すと、チヨは顔を紅潮させながら嬉しそうにマリアナの手を握って「はい、よろしくおねがいします」と言った。
ルルカ以外の、初めての女友達。
それも皇宮外という事実に、マリアナの口調が自然と弾んだ。
「チヨは普段何をしているんですか?」
「家のパン屋を手伝ってます。今年弟が生まれるので、少しでも家計を手助けできたらと思って、流蛍屋敷の給仕に応募したんです」
「弟が生まれるんですか?おめでとうございます、楽しみですね」
「はい。上に兄や姉がいるので、弟妹というのに昔から憧れていて、待ちきれません。ところで、お二人は何故ここの給仕に応募したんですか?失礼かもしれませんが、その容姿でしたらどこでも働けると思うんです」
「あ、えっと……」
偽名は決めていたが、急なことで設定を決めていなかったことを思い出し、マリアナはまごついてしまう。
どうしようかと慌てていると、後ろから低めの声が降り掛かってきた。
「実は昔、海蛍様に助けていただいたことがあるんです。その恩返しをしたくて、少しでもお役に立てればと」
「なるほど、そうだったんですね。人助けをされるとは、さすが海蛍様。お優しい」
アレンの助太刀に、マリアナは視線で感謝を伝える。
しかし、嘘であることを微塵も疑わないチヨは、意気揚々といかに海蛍様が偉大であるかを伝えようと、最初とは全く違う堂々とした口調で語りだした。
「海蛍様はとてもお優しい方です。その優しさはイェン地区のみに留まらず、ラガンに住む全ての人々に与えられます。何より海蛍様は子供がお好きで、ラガンにおける教育の礎をお造りになられたのは、あの海蛍様なのです!私も幼い頃、海蛍様のおかげで無償で教育を受けることができました。残念ながら高等教育は有償で、家計の事情で私はいけませんでしたが、それでも低中等教育で得られた知識だけで、ラガンでは十分生きていけます。海蛍様は私たちラガンの民にとって、神様のような御方なのです!」
マリアナたちがチヨの勢いに圧倒されていると、チヨがひときわ大きい声でそう言い切った。
チヨの頬は興奮で赤く色づいている。
凄い御方ですね、とマリアナが相槌を打とうとしたとき、後ろから白い手袋をつけた大きな手が伸びてきて、チョの頭をポン、と撫でた。
手袋に刺繍されている青と金の花菱草の模様を見て、マリアナたちは硬直する。
「こらこら、そんなに褒められては恥ずかしいじゃないか」
手の持ち主が朗らかな声音で言った。
振り返ったチヨが、「海蛍様!」と驚いたように叫ぶ。
マリアナたちは背中を嫌な汗が伝うのを感じながら、チヨの頭に乗せられた手を辿って、随分上に乗っかった色黒の顔を視認した。
褐色の大男は、にこにこと人のいい笑みを浮かべている。
男の視線と、マリアナの視線が交錯した。
「遅れてすまない。わたしが海蛍イーレ―家現当主、ミハル・イーレーだ」
男は大きな声で、そう言った。
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