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⚜ ミハル・イーレー ⚜
踝まであるキャソックの裾を翻して、その男は突然現れた。
体のラインに合わせて作られたキャソックも、肩に掛けられたストラや十字架の束も、まるで神父のような出で立ちの男。
しかし、白で統一されたその服装を纏っているのは、ひょろりとした優男、ましてや年老いた白髪の爺でもなく、色黒の屈強な大男だった。
ガッシリと肉のついた肩に掛けられた青のストラは、金と白の刺繍で彩られ布端には金のタッセルが揺れている。
金の十字架は二重の鎖とともにぶら下げられ、白い手袋の上には同じく金の指輪がはめられていた。
白、青、金の三色で、主張しすぎず美しく、それでいて豪華なその衣装は同じ色調のホールに上手く調和している。
褐色の肌に白銀の髪、濃紺の瞳の大男は、その体躯に見合わない朗らかな笑顔を浮かべると、一歩前に出て声を張り上げた。
「遅れてすまない。わたしが海蛍イーレー家現当主、ミハル・イーレーだ」
神父然とした格好のその男の声は広いホールによく響き渡った。
ミハルが言葉を発した瞬間、女達の目が一斉にミハルへと向けられる。
いやミハルがホールに現れたその時から、女達の目はミハルに惹き寄せられていたかもしれない。
マリアナはミハルのそのカリスマ性に、只々圧倒されていた。
しかし当の本人は大勢の視線を無視して、目線をある女によこした。
黒髪と切れ長の黒い糸目に褐色肌の、刃のような鋭利な風貌の女。
その女は、他の女達と同じく、最初からこのホールにいた者だった。
どうやら、応募者ではなく流蛍屋敷の者だったらしい。
ミハルから目線をよこされた女は、滑るように女達の間を縫って進んでいく。
そして女は足音も立てず、静かにミハルの横に並び立った。
まだ随分若そうだったが、相当な場数を踏んできたような貫禄を感じさせる。
女はニコリともせず、薄い唇を開いた。
「皆様、流蛍屋敷にようこそ。流蛍屋敷の給仕に応募してくださり、誠にありがとうございます。
いきなりですが、不合格者をお伝えします」
「えっ?」
抑揚のない声で少し間を開けて発せられた言葉に、ホールにいた全員が動揺したような声を上げた。
先程まで静まり返っていたホールが、一気に騒々しくなる。
それもそうだ。
無愛想な挨拶をされたと思ったら、さも当たり前のように不合格者を告げると言われたのだ。
女達が動揺するのも無理はなかったが、マリアナたちの心はまた違った不安に囚われていた。
「アレン様、私たちの会話、聞かれてたのでは……」
「……そうですねぇ、…できればそうでないことを祈りたいですが、マリアナ様、お出口は右側です」
「了解です」
皇帝陛下の妹と宰相の弟が一緒にこんな所にいれば、潜入調査に来ましたと言っているも同然。
潜入調査をしようとしていたという事実が御三家に知られてしまえば、嘘で表を取り繕いなんとか繋いでいた薄い糸のような関係はぷっつり途切れてしまうだろう。
最悪、ラガン一帯が御三家によって独立し、新しい国が形成されてしまう可能性もあるのだ。
そうなると、ラガンしか港を保有していない皇国がどうなるか、それは火を見るよりも明らかなこと。
完全に相手の縄張りに踏み込んでしまった二人は、緊張と不安に苛まれている極度の精神状態を、なんとか平常に保とうとしていた。
「では、発表いたします」
ミハルの隣に立つ女が、その薄い唇を開いた。
「合格者は、チヨ・サキラ」
チヨの名前が呼ばれた途端、全員の視線が一勢にチヨへと向けられた。
恐らく、先程大声で話していたためにチヨの存在は全員の知るところとなったらしいが、当の本人は、目と口をぽかんと開けて呆然としている。
そんなチヨに、黒髪の女が少し眉を顰めて、「返事」とぶっきらぼうに言い放ったことで、チヨの意識が覚醒した。
チヨは慌ててスカートの裾を摘み、腰を折る。
「はっ、はい!」
慌てて発した返事は、声が震えてどもっていた。
黒髪の女はなおも機嫌が悪そうに、「続けます」と言った。
女達の視線が黒髪の女の薄い唇に向けられる。
この女が、この場にいる女達の命運を左右していると言っても過言ではなかった。
女の薄い唇が、再びゆっくりと動き出した。
そこから紡がれた吐息さえ、不気味に静まり返ったホールに嫌というほど響き渡る。
「合格者、」
全員が、息を止めた。
「──────アナ・ウィーツェ」
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