第六話

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「——いらっしゃいませ! これはこれは、数ある宿の中からうちを選んでいただき誠にありがとうございます!」  宿に入り受付に向かうと、主人と思しき男が応対してくれた。恰幅がよく大らかそうで、立派な髭が特徴的な男だ。宿の主人とトスイのやりとりを横からアニタは静かに見守る。 「今夜ここに泊まりたいんだけど、空いてる?」 「ええ、ええ、勿論でございます! うちは階によって部屋の雰囲気が異なりますが、何階にご宿泊するのか既にお決まりですか?」 「うん。通りで呼び男が言ってた3階がいいかな」 「3階ですね! その階のお部屋でしたら、うちの宿では最高品質のものとなりますので……えー、通常料金に、当日宿泊料金と、防音保証追加料金を足させていただいて……料金はこちらになりますが、よろしいですか?」  やたら仰々しく計算器を弾いた後、宿の主人が料金表を見せてくる。通常料金だけではなくて、当日宿泊料金? 宿なんて大概当日に泊まるのを決めるものだと思うが。それに、防音保証追加料金とは何だ。  なんだか怪しい。やっぱり怪しい。不安と疑念に駆られたアニタは、横からそっと料金表を覗き込んだ。 (たっっっっ…………!)  たっっっっかい。高い。とても1泊するだけの宿に払う料金とは思えない。冗談抜きで目玉が飛び出そうになる金額だ。これはもしかしなくとも、ぼったくりというヤツなのでは。  驚きで固まるアニタ。特に何も言わないトスイ。ニタニタと腹黒い笑みを浮かべる宿の主人。三者三様の反応を見せつつ、宿の主人の話は進んでいく。 「3階のお部屋は少々値は張りますが、極上のおもてなしをお約束しますよ。それに、もしお手持ちが足りないようでしたら他のもう少し安い階という選択肢もあります。1階の最も安い階は藁、2階の次に安い階は木を備えつきの家具に使用しておりまして。3階のお部屋には及びませんが、どちらの階も沢山のお客様にご利用していただいていますよ」  それはもう流暢に、ペラペラと宿の主人が他の階を紹介してくれる。この慣れた口ぶり、恐らくこれがこの宿の常套手段なのだろう。好条件な3階の部屋でまず客を釣り、実際その階に泊まるにはとんでもなく高い宿泊料金が必要だと伝える。当然払えない客は宿に勧められるまま他の階の部屋に泊まることになる。  せめて他の階の部屋が少しはマシだといいが。この調子だとあまり期待はしないほうがいいだろう。大体、藁で出来た家具って何だ。木はまだしも藁で家具など作れるのか。  こうなると他のもっとまともな宿を探した方がいいのだが、どこも満室になっているのは嫌という程分かっている。もう外も暗い。今から空いている宿を探すのは困難を極めるだろう。この宿で妥協するか、野宿するかの道しかない。  本当によくもまあ、こんな小賢しい真似を思いつくものだ。きっと呼び男の出てくるタイミングの理由もトスイの言った通りなのだろう。他の宿が空いてる時にやっても客が集まらないのだ。まともな宿ではないから。  そういえば、さっきからトスイが言葉を発していない。一体この男はどうするつもりなのだろうか。ちらりと横を窺うと、ぱっちりばっちり目が合った。それを合図に、彼はアニタにだけ聞こえる声量で話しかけてきた。 「ねー、君ってさァ、今更俺と同じ部屋でも文句言わないよね?」 「は?」 「俺このあと夜中まで用事あって出かけるしさ、その間は実質1人部屋だしいいよね?」 「ま、待って。一向に話が見えないんですが」 「だから、1人1部屋ずつは予想より高くて無理だから同じ部屋にするよって言ってんの」 「同じ部屋って……、さ、3階の? あの高い部屋?」  ま、まさか払えるのか、あの金額を?  まさか泊まれるのか、専用風呂付きのあの部屋に?  アニタが驚きと喜びと興奮で口を震わせているうちに、トスイと宿の主人は支払いのやりとりを終えていた。まさか払える人間が来るとは思っていなかったのか、宿の主人の顔も驚愕に満ち満ちている。 「あ、そ、それでは、お部屋にごごご、ご案内します……! こ、こちらです……!」  加えて、何だか宿の主人が少し怯えているような……? 案内についていく道すがら、横を歩くトスイにこっそり尋ねてみる。 「あの人に何かしたんですか?」 「あ〜、あれね。支払いの時に目の色変えて料金釣り上げようとしたから、ちょっと脅しただけだよ。それに、あれくらい怖がってもらえると都合いいし」 「ええ……? 怖がってもらうメリットなんかあります?」 「弱くて金を多く持ってる奴なんかカモにされるでしょ。下手に隙見せると盗みに入られて部屋が荒らされたりすんの」 「な、なるほど……」  いや、なるほどではない。断じて感心している場合ではない。出来ることならそんな物騒な豆知識を知らないままでいたかった。過去に来てからというもの、アニタの周囲の治安が急激に悪くなっている。  そうこうしている間に案内は終了し、本日泊まる部屋に無事到着する。役目を終えた宿の主人は逃げるように去っていた。あの脂肪がぎっしり詰まっていそうな身体であれだけの俊敏さが出せるのは純粋にすごいと思う。  辺りを見回しても人の気配は無い。どうやら今夜この階に泊まるのはアニタ達だけのようだ。まあ、あの宿泊料を考えれば当たり前なのだが。 「何突っ立ってんの、さっさと入りなよ」 「あ、はい」  男に促されて、アニタも部屋に入る。中は広くて内装も家具も普通だった。そう、普通なのだ。あんな高い料金をとったくせに。唯一の救いは清掃はきちんとされていたところか。  ひとしきり部屋を確認してみて回ったところで、アニタは先程から何となく気になっていた疑問をトスイにぶつけてみることにした。 「そういえば、トスイさんはあんな大金をどうして持ってたんですか?」 「んー?」 「旅先ですから、多めの路銀を持っておくのは分かります。でもそれにしては、だいぶ多くはありませんか」  仮にトスイがとんでもない高級取りだったならそれでいい。だが彼の身なりは余りにも普通だった。アニタが城で働いた時に見た貴族や金持ちの商人の格好とは違う。  アニタの探るような言葉に、トスイは目を細める。……それは、あの時と同じ表情だった。アニタの箒を真っ二つに折った時の。 「ふぅん。君は疑ってるんだ? 俺の出した金がちゃんとした()()()()金なのかどうか」 「そんなことは……」 「いいや、君の気持ちは分かるよ。誰だって汚れた金でイイ思いをしたら後ろめたくなるものだ。……特に君みたいな薄っぺらい偽善者とか」 「なっ、」 「野宿は無理だし綺麗な宿に泊まりたい、でも汚い金でその料金を払って泊まるのは嫌だ。つまり君が言いたいのはそういうことだよね」 「!」 「別にそれはいいんだ。ただ、気に入らないのは金が汚いかどうか気にしだしたタイミングかな。君が本当に()()()なら、俺がこの部屋の料金を払えると言った時点でおかしいと指摘するべきだったんだ。さっきみたいに、お前なんかがそんな大金持ち歩いてるなんて怪しい、ってさ」 「…………」 「でも君はそうしなかった。それどころか、この部屋に泊まれることを喜んで興奮して、部屋でくつろいだ後にやっとだ。よっぽど野宿をしてこの部屋に泊まれないことが嫌だったんだ? 呼び男の客引きの声も熱心に聞いていたようだし」 「…………」 「はは、イイね。言い訳しない人間は嫌いじゃない。無言で自分の非を認めてる時の顔が惨めで面白いし」  容赦なく、なぶるように言葉の剣を振り下ろして、トスイは嘲笑った。  それでも何も言い返さないアニタを置いて、男は出入り口へと静かに向かう。出て行こうとしたところで、ふと何かを思い出したように此方を振り向いた。 「……ちょうどいいから教えといてあげる。あの大金はさァ、ドブみたいに汚れまくってるよ!」
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