第一話

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 その後、アニタが無事に昼食を終えた頃。  ——ゴーン、ゴーン、ゴーン  午後の仕事10分前を告げる鐘が鳴る。その鐘の音を聞きながら、アニタは同僚達と一緒に次の持ち場へと向かっていた。和気あいあいと他愛のない話をしながらも、その足は自然と早まる。 「やっぱり1人で部屋ぜんぶ掃除するとなると大変だね」 「ねー。先輩と一緒にやってた入りたての頃がどんなに恵まれてたか分かるわ」 「あんた次の持ち場どこ?」 「えっとねぇ、確か東棟の方だった気がする」 「あ、それなら途中まで一緒に行こうよ。私もそっちの方角だから。アニタは?」 「私は時の石の部屋だよ」 「あー、あそこか。狭くて物がいっぱいのとこだよね」  アニタの午後の持ち場を聞いた同僚の1人が苦虫を噛み潰したような顔をする。それが50匹ほど潰したのかと思うほど凄い顔だったから、アニタは思わず吹き出してしまう。どうやら彼女は時の石の部屋の掃除が相当苦手なようだ。 「ぶふっ! すごい顔!」 「だってあの部屋本当に面倒くさいんだよ! いちいち物どかさないといけないしさぁ! すごい埃っぽいし! アニタは嫌じゃないの?」 「うーん、私は別に。物は多いけど広い部屋より掃除しやすいし」 「そーお? 時の石伝説だか何だか知らないけど、あの部屋ほど面倒くさい掃除場所はないよ」 「まあまあ、掃除するのはあんたじゃなくてアニタなんだから」 「それもそっか。頑張りなよ、アニタ!」 「うん。ありがと」  同僚の応援に礼を言ったところで、丁度別れ道に差し掛かる。左に行くという同僚達に手を振って別れて、アニタは右の廊下を進んだ。  それから暫く歩いた後、とある部屋の前で止まる。部屋の扉は重厚な装飾が施されていて、見ていると少しだけ気圧されてしまう。無意識のうちに深く息を吸ったアニタは、ゆっくりとノブをひねって午後の仕事場に入った。 「失礼します……」  部屋の中が無人なのは分かっているが、一応入室の挨拶はしておく。これはもう癖みたいなものだ。  中は薄暗く窓から差し込む光がキラキラと埃を照らしていた。部屋の中央に視線を移すと、台座の上のガラスケースの中に大きめの白い石が収められている。これが時の石だ。 「時の石」はその名の通り、時を司る石である。過去や未来などの時空を行き来できる力を持っているという。この国ができる遥か昔には、時の石を巡って世界大戦も巻き起こったとか。それが「時の石伝説」である。  だが、今では時の石伝説を本気にしている者は殆どいない。城としても、古い言い伝えを守るという名目で時の石を展示するこの部屋——時の石の部屋を作ったはいいが、訪れる人は清掃のためにやってくる掃除婦ぐらいだ。  加えて、この部屋は時の石の説明やら関連文書の展示やらで物が多かった。狭い割に掃除が大変なこの部屋は掃除婦達からもあまり人気はない。  アニタは別にこの部屋のことが嫌いではないが、特別好きと言うわけでもない。さっき同僚に話した通り、物は多いがだだっ広い部屋よりは掃除がやり易いと思う。他に良いところがあるといえば、展示室の長椅子くらいか。早く仕事を終わらせたら、そこでちょっとの間は休憩ができる。  兎にも角にも、仕事に取り掛からなければ。部屋の隅にある小さな物置へ向かい、そこから箒、雑巾、ハタキなどを取り出す——が、なかなか上手くいかない。 「くっ! 取れない……!」  どうやら物置の中で箒同士が複雑に組み合わさってつっかえているようだ。  綺麗で掃きやすそうな箒はビクともせず、1本のやたら小汚くて掃きにくそうな箒だけが取り易い位置にある。前の清掃担当者は一体どんな箒の入れ方をしたんだと問い詰めてやりたい気分だが、今は掃除するのが先だ。  仕方なしにアニタがその掃きにくそうな箒を手にした時だった。  突然の眩い光が背後から彼女の視界を襲う。  気づいた時には壁も天井も何もかもが真っ白で、影という影が消えていた。 「な、なに⁉︎」  驚いたアニタは咄嗟に持っていた箒を振りかぶる。だがそれは虚しく空を切り、何の意味もない。  振り返った先はさらに眩しくて、腕で目元を庇う。それでも恐ろしいほどの白い光は襲ってきて、思わず目を眇めた先には例の「時の石」があった。部屋の中心から発せられたその白く強い光は、ガラスケースに反射して幾筋にも折れている。 「なっ……これ、時の石のせい?」  呟いたアニタの問いに応えるかのように、光がますます強くなる。  これ以上はもう見ていられない。本能的にきつく目を瞑ったと同時に、アニタの意識はそこで途絶えた。
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