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「う……ん……?」
鳩尾に不快感を覚えて、アニタは覚醒した。無意識に身じろぎしようとした身体が上手く動かせない。どうやら後ろ手に縄で縛られているようだった。口にも布が噛ませられている。
ここが何処なのか知りたくて、何とか周囲を見回す。窓もないので、残念ながら屋内ということしか分からない。アニタが今寝かせられているのはベッドのようだ。
(……私、さっきから意識失いすぎじゃない?)
ひとしきり状況を確認したところで、アニタはそんなことを考える。本来ならばもっと焦ったり怯えたりする状況なのは分かっている。だが、その反応は既に先程の汚い裏路地でやった。度重なる異常事態に、アニタは1周回って冷静になっていた。
「はへはひはへんはー……?」
一応噛んだ布越しに呼びかけてみるが、もちろん返事はない。周囲に誰もいないこと確認したアニタは、今度は己の手を縛っている縄に意識を集中させた。何とか縄を抜けられないか試してみる。
(あれ? 意外とゆるい……これなら何とかいけそう)
昔、もしもの時のためにと伯母の旦那さん——つまり血の繋がりは無いが伯父——から縄の抜け方を教わったことがある。その時の伯父の顔があまりにも必死で真剣だったので勧められるがまま習ったが、まさか本当に使う時が来るとは。
縄から無事逃れた後は、噛まされていた布も外す。涎がべっとり浸透していた。汚い。
「へぇ、縄抜け出来るんだ」
「ぎゃああああ!」
「声でか」
いきなり聞こえた背後の声にアニタの心臓はこれでもかと跳ね上がった。
完全に油断していた。ワタワタと慌てた拍子にアニタはベッドから転げ落ちる。そのまま追い討ちをかけるかのように、床に思い切り身体を打ち付けた。驚きと痛みで満身創痍なアニタに、若干引いた声が降ってくる。
「うわ、すごい音。痛そー」
「だ、誰のせいだと……!」
思わず文句を言いかけて、アニタは我にかえった。それから竦む足を何とか動かして、声の主と距離を取る。アニタの視線の先には例の銀髪の男がいた。その顔に貼り付けられた薄っぺらい笑みには、奴の底意地の悪さが滲み出ている……ような気がしなくもない。
「君ってさァ、よく分かんない子だよね。縄抜けはするくせに、ベッドから転げ落ちるような間抜けだし」
「……縄抜けは、伯父が騎士なので護身用に教えてもらっただけです」
「ふーん。でも縄だけ抜けても外に出られなかったら意味ないよね」
「そんなことないと思います。手が使えるのと使えないのでは大違いです。……何かされても、反撃できますし」
「何かされても、反撃ねぇ?」
男はヒョイと片眉をあげてアニタの言葉を復唱する。その余裕そうな表情が腹立たしいし、恐ろしい。けれど、簡単に潰されるつもりもない。できるだけ毅然とした態度に見えるように、アニタは背筋を伸ばした。
「へぇ。弱そうなのに、意外と気丈なタイプなんだね。もっと泣き叫んだり喚いたりするかと思った」
「……そんなことしません」
「なんで?」
「嫌いな人の前で泣きたくないだけです」
「……ふぅん。つまんない理由」
「…………」
人に尋ねておいて失礼な男である。アニタは無意識にお仕着せのスカートをキツく握った。路地に寝ていたせいか、エプロンが少し汚れている。
「そうだ、こっちおいでよ。お茶でもしながらゆっくり話そう」
自分の言いたいことだけ告げた後、男はさっさと奥の扉へと消えていってしまう。周りを見回しても出入口はその扉ひとつしかない。どうやら従う他に道はなさそうだ。
「……大丈夫。きっと何とかなる」
小さく自分にそう言い聞かせる。
男の目的はまだ分からないが、アニタを殺すつもりならもうとっくに殺しているはずだ。お茶に誘う必要もない。少なくとも今すぐ命の危険があるわけではないはずだ。
冷静に状況を分析したアニタは、その足で扉へと向かった。
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