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第四話
剣を首元に突きつけられたのは人生で初めてだ。
ついでに言うなら、過去に飛んだのも、隠密と間違えられて気絶させられたのも、寝てる間に服をひん剥かれて持ち物を調べられたのも、その犯人と一緒に紅茶を飲んだのも、人生で初めてだ。……たった1日で、アニタの人生は些か濃くなりすぎではないだろうか。
「足が震えてるね。怖い?」
こんなもん怖いに決まっているだろう。馬鹿なのか。そんなことを訊く暇があるなら、さっさとその物騒な切先を下ろせ。いきなり人に剣を向けるとは何事だ。
目の前の男をそう詰ってやりたいのに、喉の奥が引き攣って大きな声が出ない。必死に声帯を震わせて、やっとの思いで出たのは搾りかすみたいな声だった。
「……最初から、わたしを殺すつもりだったんですか」
「まぁね」
「ほんとうに?」
「……この状況で、嘘だと思ってんの?」
「いいえ、そういうんじゃありません」
相変わらずの搾りかすボイスは改善しないが、淀みなく返事をしたアニタに男が少し目を見開く。
その微かな変化に後押しされるように、アニタは言葉を続ける。
「本当に、私を殺していいのかと確認しているんです」
「…………」
「貴方が言った通り、私は確かに5年後の未来から来ました。しかも職業は城の掃除婦です。その価値が、貴方になら分かるんじゃないですか?」
これはもう賭けだ。
どうすれば殺されないか。剣を向けられたその瞬間、アニタは足りない頭を巡らせてそれを考えた。そして思いついたのは、自分だけが持つ有用性を示すことだった。
「最初から私を殺すつもりだったなら、密書や武器を持っていないことを確認した時点で殺せばいいはずです。でも貴方はそうしなかった。……それは、私に何かしらの生かす価値があると考えたからですよね?」
これは男にお茶に誘われた段階から考えていてたことだった。アニタを本気で殺すつもりなら、殺す機会は今までに何度もあったはずだ。それをわざわざスルーして、お茶まで淹れてアニタと話をした。きっと、男は確かめたかったからだ。アニタが本当に未来から来たのかどうか。
「貴方は言ってましたよね。私を城の隠密と間違えた。密書を奪ってやるつもりだったって」
それはつまり、男が王城についての確かな情報を欲しがっているということになる。その情報が何なのか、男の目的は何なのか、そんなものは分からない。だが今のアニタにそのことを利用しない手は無かった。
「私これでも、城で働き始めて5年目なんです。その間に色々なことを見聞きしてきました。なんせ掃除婦は城中あちこちを動き回りますから、嫌でも情報は入って来るんです」
これは嘘だ。アニタは勤続5年目の掃除婦などではない。正真正銘今年入ったばかりの新人だし、城のことなんてまだ殆ど知らない。城に関して持っている情報といえば、比較的どの部屋が掃除しやすいかぐらいである。
けれどそんなことを馬鹿正直に言ってしまえば、目の前の男にとって自分は生かす価値無しと告げているのと同義だ。
「それに私、記憶力にも自信があるんです。今から5年の間に、お城や城下でどんなことが起きたのかも、昨日の事のように思い出せます」
これも嘘だ。アニタは別にそこまで記憶力も良くない。毎日忙しすぎるのだ。いちいち覚えていられるものか。この5年の間でアニタが自信を持って提供できる情報といえば、父親がぎっくり腰をいつ患うかぐらいである。目の前の男にとっては、恐らくこの世で一番要らない情報だろう。
「その記憶の中に、貴方が知りたい情報もあるかも知れませんね」
あと、もう一押し。
「城の隠密なんかより、よっぽど正確だと思いますよ。これから先、未来で何が起こるのかを私は実際に見聞きして体験しているんですから」
「……なるほど?」
これまで閉ざされていた男の口が再び開く。それに呼応して、アニタの身体にも緊張が走る。
焦りは禁物だ。今まで言ったことがハッタリだとバレた瞬間、色々な意味で終わるのだから。
「君の言いたいことは分かった。確かに君を殺してしまうのは惜しいね」
「そう思うなら剣をさっさと下ろしてください」
「でもさ、それって今ここで無理矢理に吐かせれば良いだけの話じゃない?」
「……私を痛い目に合わせるのはお勧めしませんよ」
「へぇ。なんで?」
「よく言うじゃ無いですか。痛みやショックで記憶喪失になってしまうって。それに、つい間違った事を口走ってしまうかも」
言外に「無理矢理言わせようとしても本当の事は教えない」と伝える。拷問にかけて吐かせようとするなど、いかにも目の前の男がやりそうな手段だ。もしかしたら、実際に何度かやって来たのかもしれない。
「そんな野蛮な方法よりも、もっと平和で友好的かつ確実な方法がありますよ。聞きますか?」
「え〜? 聞く聞く」
「私を王都へ連れて行ってください。安全に、五体満足な状態で」
その時、男のこちらを見る目が少し変わったような気がした。今までは何処か面白がる視線だったのが、興味深そうな視線に変わったような。……いや、どちらも同じことか。見世物扱いに変わりは無い。
そんな事を考えながら、アニタは話を続ける。
「そして貴方が無事に私を王都へ連れて行ってくれたなら、私が知っている未来のことを全てお話しします」
「……ふぅん。交換条件ってわけ?」
「そうです。貴方は確かな未来の情報が得られて、私は安全に王都に行ける」
「でも君が嘘を吐く可能性もあるよね」
「それはお互い様です。貴方が私を無事王都へ連れて行かない可能性もある」
じっと、相手の目を見る。ここで逸らしては絶対に駄目だ。きっと負ける。確実に何かに負ける。
……ふいに、男の目が細まった。睨みつけているのではない。弓形に細められて──笑っているのだ。こんな状況で、随分と楽しそうに笑っている。
「はは、君すごいねぇ! 首に刃物当てられてるのに、交渉始めて自分の方が優位に立とうとするんだもんなァ。普通だったら逆上されてぶっ殺されてるよ」
「ぶ、ぶっころ……」
顔と台詞が全く合っていなくて怖い。
それにバレている。さっきのアニタの思考回路が完全にバレている。確かに、物理的にも立場的にも明らかに不利なのは此方なのに、「未来のことが知りたかったら王都に連れて行け」と交換条件を言い出したのは少々無謀すぎたかも知れない。
「それにさァ、自分を殺そうとしてきた相手に向かって無事に王都に連れてけって、普通頼む? 明らかに人選ミスでしょ」
こうして改めて他人の口から自分の発言内容を聞くと、ヤバさが際立っている。矛盾がすごい。
「俺はてっきり、“未来について知っていることを全部話すから見逃してくれ”って命乞いされるのかと思ったよ。実際、そうさせるつもりで刃物向けたし」
「えっ、じゃあ本当は殺すつもりじゃなかったってことですか⁉︎」
「ん〜。まあ、大体はね」
大体って何だ。大体って。そんな適当なニュアンスで人の命を握るな。
アニタの引き気味の視線をものともせず、男は笑みを深めた。
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