第五話

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第五話

 それから、箒バキボキ事件の後。  アニタが王都行きを取り付けた男の行動は実に早かった。夜が明けて日が上り、街の市場に向かったかと思うと、あれよあれよという間に旅支度を終えてしまったのだ。  城のお仕着せは目立つからとアニタが旅装に着替えた頃には、既に移動用の馬まで準備万端だった。流石にここまで用意が良いのはおかしい。そう思ってわけを尋ねると、意外な答えが返ってきた。 「だって俺、もともと王都に行くつもりだったし」 「えっ」 「言ったでしょ、俺も行かなきゃいけない場所があるって。その場所が王都」  そういえば剣を突きつけられる前に、男がそんなことを言っていたような。その後が急展開すぎて気にする余裕もなかった。 「もともと君に吐かせてからすぐに出立する予定だったからね。まー、その点では君が俺に王都行き頼んだのはだったかもね」 「そうですね……」  もう物騒な前半部分の台詞に突っかかるほどの元気はアニタには無かった。慣れたといってもいい。とにかく今は王都に向かうことが先だ。  そう心に決めたアニタは、これから長旅の相棒となる馬の元へと颯爽と向かった——のだが、 「……あのさァ、もうちょい身体の力抜きなよ」 「こ、これでも抜いてます!」 「そー? さっきから石像みたいにガチガチだけど」  現在アニタ達は南部都市を出た街道に居た。  もちろん徒歩ではなく馬に乗っている。残念ながらアニタ1人では馬に乗れないため、男と2人乗りしている形だ。前にアニタ、後ろに男が乗っている。  本来ならば、こんないつ後ろからアニタの頭を捻り潰してきてもおかしくない物騒な男と2人乗りなど気が気ではないが、今のアニタは別のことで頭がいっぱいだった。 「ほん、本当に、落ちませんよね? 落ちませんよね?」 「落ちない。君と違ってこの馬は賢いから、そんな簡単に振り落とさないよ」  余裕綽々、飄々と後ろの男は嗤う。どさくさに紛れてアニタのことを馬鹿にしてきたのには腹が立つが、今はその余裕が羨ましくて仕方がなかった。  アニタには乗馬の経験がない。生まれて初めて乗った馬の背は想像よりもずっと高くて怖かった。馬が一歩一歩進むたび、その振動が全身に伝わってきて今にも自分が落ちてしまいそうな不安に駆られる。  対して、アニタの後ろに座って手綱を握っている男はというと、実に慣れた様子で馬に身を任せ、さっきから気怠げに何度も欠伸をしている。 「な、なんか、こう、怖くなくなるコツとか、ないんですか?」 「え〜? だから身体の力抜きなって」 「だから、これでも抜いてるつもりなんです……」 「じゃ、次は目を閉じてみなよ」 「目ですか?」 「ん。もしかしたら落ちるのだけじゃなくて目線が高いのが怖いのかも。ちゃんと支えといてあげるから、ちょっと閉じてみな」  一瞬、目を閉じている間に突き落とされやしないかと不安が脳裏をかすめたが、いちいち疑っていても埒があかない。そう思ったアニタは素直に己の視界を閉じた。  目を閉じても完全に真っ暗になるというわけではなく、瞼越しに太陽の光を感じる。肌の色を通しているからか、視界に薄ぼんやりと広がる太陽の色は薄橙だった。  そうしているうちに段々と他の感覚も冴えてくる。馬の蹄の音、それが踏みしめる草と砂利の音。顔に感じる少し速い風。一歩一歩で揺れる馬の動きも鮮明に感じるが、不思議と今は怖くない。穏やかな川の流れに身を任せるように、自然と己の身体もその動きに合わせていく。 「そうそう、その調子」  存外に近い距離で男の声が聞こえる。どうやら言った通り、ちゃんと身体を支えてくれているようだった。それに後押しされるように、アニタはゆっくりと目を開けた。  ……先程と景色はほとんど変わらないのに、今はもう怖くない。それどころかリズム良く揺れる身体が何だか心地よくて、アニタは少し目元を緩めた。 「すごい。さっきより全然怖くなくなりました、ありがとうございます」 「どういたしましてー。お礼は未来の情報でいいよ」 「……それは王都に着いてからです」  凪いだはずの心が、またすぐにざわめく。  そうだ。はじめての乗馬体験に癒されている場合ではない。男に話したウソ設定や提供する未来の情報、何より未来への帰り道。アニタが抱える問題はまだまだ山積みだ。それをどうするか考えなければ。  穏やかだったはずのアニタの顔が、再び険しいものに変わる。その様子を彼女の肩越しにじっと観察していた男は、ゆったりと口を開いた。 「ねぇ、聞きたいんだけど」 「何ですか」 「君が王都を目指す理由って、時の石があるから?」 「え……」 「未来から来た人間が王都目指すっていうならさァ。やっぱ王城にある時の石が関係してるのかなって思ったんだけど」 「…………」 「図星って顔してるよ」 「⁉︎」 「あ、やっぱアタリ?」 「⁉︎」  図星と言われて慌てて顔を押さえたところで、男に上手いことカマをかけられたことをアニタは悟る。  ……く、悔しい。隠し事がド下手くそな自分が悔しい。喋ってもボロが出るだろうからと敢えて黙ったのに。このペースでは他の嘘がバレるのも時間の問題だ。  男の言う通り、アニタが王都を目指すのは、この5年前の過去にもあるであろう時の石のためだ。あの真っ白な光に包まれた異常な状況からして、恐らくアニタが過去に飛ばしたのは時の石で間違いない。行きに時の石が関与しているならば、帰りも時の石を使えばいいのではないか。王城へ行き、何とかしてあの部屋に行けば、未来に帰る方法が分かるかもしれない。アニタはそう考えて、王都行きを決めた。 「時の石ねー。無駄に仰々しく飾られてる白い石にしか見えなかったけど。時の石伝説もおとぎ話か何かだと思ってた」 「時の石を見たことあるんですか?」 「まあね。だって俺、昔城に行ったことあるし」 「ええっ⁉︎ い、いつですか⁉︎」 「ヒミツ」  とんでもない新情報に激しく狼狽するアニタを見て、男は面白がるようにヘラヘラとしている。こんないい加減で嬉々として人を殺しそうな変態男が城に出入りしていたなんて信じられない。恐ろしすぎる。お城大丈夫か。  そもそも、アニタはこの男のことを少々知らなさすぎるような気もする。男が王都を目指す目的も、未来の情報を欲しがる理由も知らないし、果ては男の名前すらも知らない。 「あ、そうか。名前……」 「ん?」 「貴方の名前です。そういえばまだ聞いてなかったと思って」 「なに、君ってば名前も知らない男に王都まで連れて行ってもらおうとしてたの? 未来の女の子って大胆〜」 「貴方のせいで名前を聞くどころじゃなかったんじゃないですか!」  茶化す男にアニタが怒鳴る。名前も知らない女を誘拐して殺そうとしたのは何処のどいつだ。大胆どころの話ではない。 「俺は君の名前知ってるよ」 「えっ⁉︎」 「お仕着せ脱がした時、首のあたりの裏地に名前が刺繍されてたし。アニタ・メルディス、かわいい名前だよね」 「…………」 「黙っちゃった。照れなくてもいいのに」 「違います! 怒りのあまり絶句してるんです!」  自分がいる場所が馬上なのが惜しくてならない。もし地上だったなら、今すぐ後ろの男の足を思いきり踏んづけてやれるのに。 「それで、貴方の名前は何なんですか」 「好きに呼んでくれていいよ。どうせ王都に連れてくまでの付き合いだし」 「……じゃあ、ロブで」 「ロブ?」 「実家のお隣さんで飼われてる犬の名前です」 「犬かぁ」 「犬です」 「犬ねぇ」 「犬です」 「…………」 「…………」 「俺の名前はトスイだよ。王都までの短い付き合いだけど、よろしくね」  犬のくだりを全部無かったことにするな。
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