造花の町

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造花の町

 そこはかつて、見渡す限りに花の咲き乱れる美しい所だった。  どこまでもどこまでも広がる色彩豊かな過去の光景を懐かしみ、一匹の妖精がひっそりとため息を吐いた。 「……おかしい。そろそろ着いてもいいころなのに」  妖精の感傷なんてどこ吹く風で、一人の少女が荒々しくため息を吐く。  年のころは十を少し過ぎたところか。フワフワと癖のある栗色の髪を肩口で切りそろえ、質素だが頑丈な作りの服を身にまとっている。若者好みの華やかな服ではないものの、何よりも丈夫さと動きやすさを重視しているようだ。  その小柄な体躯には不釣り合いな巨大なカバンを背負い、少女は利発そうな眼差しを前方に向けている。 「徒歩でも半日はかからないって聞いたのに……」  少女の前方には道がある。もっとも、それは見た目からはとうてい道だとはわからないものなのだが。  見渡す限りに荒廃し、枯れた細い木や申し訳程度の萎れた草くらいしか見当たらない。全体的に固く砂利だらけの地は、まさに殺風景の一言だ。  空の色と地の色以外に色の無い景色の中、少女が一歩、足を踏み出す。  ポーン。  なんの変哲もない地面が、おおよそ地面では有り得ない音を鳴らした。それはどこか間の抜けた、例えるなら木琴を鳴らしたような音だ。 「道はこっちであってるのに。なんで何も見えてこないのさ」  少女が踏んだ地面は一見すると他の地面と見分けがつかない。 『道』。それはかつて人と人でないモノが分け隔てなく生きていた時代の産物だ。  それは遠い遠い昔のこと。  あるところに一人の盲目の旅人がいた。  盲目の旅人は竪琴の腕前がすばらしく、また歌もうまかった。  またあるところにいた音楽が好きな人ではないモノが、たまたま住処の近くで演奏していた盲目の旅人の音楽を耳にして、すっかり気に入り、共に旅をするようになった。  ところで、盲目の旅人には一つ、悩みがあった。旅人は盲目であるため自由に行先を決めることができないのだ。先人が切り開いたわかりやすく短い距離の道を使うか、あるいは乗り合いの車を利用するか。  もっと自由に世界を知りたい、安全で確実にわかっている行き先ばかりではなく、未だかつて聞いたことの無いような音や曲のある場所へも行ってみたい。  音楽が好きな人ではないモノは盲目の旅人の望みが、ちっともわからない。ただ、行きたいのなら行けばいいのに、とあきれたように言うのだった。  盲目の旅人は諦めた笑みを浮かべながら、一歩先にあるのが道なのか崖なのか、底なし沼か、気はいいが決して善人ではない人でないモノたちの住処なのか、目が見えなければ判断ができないっていうのに、どうしてそんな無謀すぎる旅ができるっていうんだい、と問う。  盲目の旅人の質問に、音楽が好きな人ではないモノはケラケラと腹を抱えて笑った。  何だ、そんなこと。  そんなこととはなんだい。人間にとっては大きなことだよ。  ワシにとってしてみれば小さなことさ。だがまあ、そうだな。ワシはお前のことが気に入っていることだし、一つ手伝ってやることにしようか。お前、目は見えぬが耳はよく聞こえているのだろう?  言うが否や、さっと旅人の耳にまじないをかける。  これでいいだろう。さあ、行きたい方向へ一歩、足を踏み出してみな。  盲目の旅人は半信半疑で、今まで足を向けたことのない方へと一歩、踏み出してみた。  すると、  ポーン。  地面から、どこか間の抜けた音がしたのだった。  驚く旅人に、人ではないモノはやっぱりケラケラと笑う。  この音を頼りにしたらいい。人間にとって危険につながる道やどこの町にもつながっていない道なんかは音が鳴らないからな。  盲目の旅人はこれ以降、さまざまな、本当にさまざまな世界を旅したという。  もちろん、音楽が好きな人ではないモノと共に。  盲目の旅人の音楽はますます磨きがかかってゆき、大いに満足した音楽が好きな人ではないモノは、盲目の旅人以外の旅人にも『道』が鳴らす音が聞こえるようにしてくれたのだとか。  ポーン。 「つまり『道』はこっちであっているってことなのに」  少女は『道』の音を鳴らして、再び荒々しいため息を吐く。  空はまだ明るいものの、野宿をするのなら、そろそろ支度を始めなければ暗くなるまでには間に合わない。 「花ではない花、人ではない人がいる町がある、なんて言われたら気になっちゃうものでしょ? 徒歩でも半日かからずに着くって聞いてきたのに、もう半日以上歩き続けてるよ。なのに、町なんて影も形もないじゃない。これってまさか、騙された?」  少女はぶつくさと文句を言いながら、少し道からそれた場所に野営のためのテントを張り始めた。 「外で寝る羽目になるなんてわかっていたら、あの町でせめてもう一泊くらいはして、のんびりと過ごしたのに。ねえ、ハナ?」  ハナ、という呼びかけに反応して、少女のポケットの中にいる妖精が鈍く発光する。……鈍く、というよりも、面倒くさそうに、と言った方が近いかもしれない。 「もう、ハナだって、こんな殺風景な所で一晩過ごすよりも、花の一輪でもある所の方がよかったでしょう?」  ここもかつては、花がたくさんあったんだよ、ウタ。  ハナ、と呼ばれた妖精は、人間の耳には届かない言葉でそう告げた。  ウタ、と呼ばれた少女は、ハナの妖精特有の黒々とした瞳にじっと見つめられ、何か言いたいことがあるのだろうということだけは察する。 「……もー、わかったよ。わかんないけど。文句言わないでさっさと野営の準備しますねー」  ウタは宣言通り、テキパキと準備をこなした。  一人用のテントを張り、近場から手ごろなサイズの石と少しでも燃えそうな枯れた植物を拾い集め、焚火台をこしらえる。辺りは徐々に暗くなり、ウタが火を熾すころには最初の星が瞬き始めていた。  小ぶりな鍋に水筒から水を注ぎ入れ、火にかけ湯を沸かす。固形のスープの素を椀に入れ、そこへ鍋から湯を注ぎ、干し肉と固いパンも用意して夕食にする。 「いただきます」  パンをスープに浸しながら、焚火を眺めつつ、ゆったりと食事を堪能するウタ。  ハナはその間、ウタが食事するのを不思議そうに眺めていた。  鍋に残った湯で、食後にインスタントコーヒーを淹れ、ウタは夜空をぼんやりと眺める。 「明日には、町にたどり着けるかな?」  ウタの呟きに、ハナは特になんの反応も示さない。  時間と共に小さくなり、ほぼ消えかけた火に砂をかけて完全に鎮火させ、使った鍋と椀をカバンにしまう。  テントに潜り込み、花の刺繍があるハンカチを枕元に置くと、慣れた様子でハナはハンカチにくるまった。 「おやすみ、ハナ」  おやすみ、ウタ。  人間には聞こえない言葉で言って、ハナはウタにも伝わるようにボンヤリと小さく発光する。  ウタはテントの寝袋の中で、すとんと眠りに落ちた。
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