去勢しますか?

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去勢しますか?

 淡々と事務仕事をこなしていく目の前の女性を呆然と見ながら、山田は何かがおかしいと思い始めていた。  だって異世界召喚なのだ。例え日本ではデブオタだったりニートだったり引きこもりだったりしても、侯爵家子息に生まれ変わったり金髪碧眼で膨大な魔力を持っていたり、細マッチョで剣聖のジョブを持っていたりするはずではないのか。あるいはそのことに気付かず家を追放されてタイミングよく覚醒できるはずではないのか。  考えてみれば召喚された時もおかしかった。  石造りの部屋とか中世ヨーロッパ風の部屋とか、そんな場所で光る魔法陣から現れるのが当然であるのに、彼が居た場所は見たこともない材質のグレーな壁や床で覆われた無機質な部屋だった。出迎えてくれるのも王女様だったり悪い顔した魔術師や宰相であるはずなのに、実際は作業着のようなジャンパーを着た男性だった。  おお!とか勇者様!とかの声の代わりに、様々な文字が書かれたカードを並べられ、奇妙に思いつつも慣れ親しんだ文字に思わず反応したら別の担当者が出てきて、事務的に幾つかの質問をされた。困惑しながら答えながらも、辛うじて自分は貴族なんだぞと思わせるために速攻で設定を組み立て返答したら、次に連れて来られたのはこの面談室だ。  全てが事務的に過ぎる。  おかしいではないか、働いたことはないけどブラック企業に勤めていて過労死で死んだ後に神様からチート能力を授けられ貴族として転生してきた、という構想を組み立てていたのに全く活かせる場面がない。 「では、次に猶予期間の過ごし方についてご説明します」  だが、エリカはそんな山田の混乱を気にした風もなく、次々と必要事項を説明し猶予期間中の職業体験の話に移る。ここは最も注意が必要なところで、JPNの召喚者は大抵ここで、「ごねる」「すねる」「だだをこねる」のどれかを発揮するのだ。 「山田さんがこの世界で生きていくためにもお仕事は大事ですが、そうは言ってもどんな仕事があって、どんな仕事が向いているかをいきなり決めることは難しいと思います。そのため、猶予期間中にこちらで各種研修やインターンシップ制度を設けておりますので、体験を通じて最終的に就くお仕事を選んで頂けるようになっています」  そう言いながらエリカが手元のパネルを操作すると、二人を隔てていたガラス壁にリストが表示される。え、と驚いた山田は思わず半身を引いてしまったが、落ち着いて考えてみれば召喚された部屋を含めどうやったって技術水準は彼のいた日本よりも高い。この程度の技術は当然なのだろう。 「大きく分けて農林水産、加工製造、販売サービス、知的集約の4種類があります」  ガラス窓に指を当て、各産業リストを拡大しながら説明を続ける。 「もちろん、転職は自由ですので猶予期間直後に勤めた仕事から、生活が安定した後別の仕事に移られる方も多いです。こちらにあるのはあくまでも公的支援終了後に自活するためのものであって、私共から推薦できる職業の一覧となります」  ここまででもだいぶ希望を失いつつあるが、それでも山田はまだ夢の異世界生活を諦めている訳ではなかった。侯爵家の息子は諦めたが、冒険者になってざまぁされた後に覚醒してS級を目指したり、騎士になって王女様を護衛して惚れられたり、森の奥にひっそり住んで押しかけ弟子になつかれる大魔道士になったりする可能性は残っている。  だが、 「あの、冒険者はどこにあるんですかね」  黙って説明を聞いていたから、珍しく聞き分けの良い転移者で助かるなと思っていたエリカの手が止まる。 「はい?」 「ですから、冒険者ですよ」  いや、聞こえなかった訳ではない。  やっぱりそう来たか、という落胆から心を立て直すための時間稼ぎで聞き返しただけだ。なぜかJPNの人間は必ず冒険者とかギルドとか言い出すのだから、その単語自体は聞き慣れている。  ふう、と心中で溜息をついて気持ちを立て直す。 「残念ながら、未踏峰は宗教的理由で入山不可能なデスゴニーニャ山しかありません。また深海については国のプロジェクトとして莫大な予算と最高峰の科学技術を集結して行っていますので参加は不可能です。宇宙も同様ですね。人跡未踏の地は幾つか残っていますが、さすがにそれらを冒険するための資金を公的支援で支出することはできません。どうしても冒険したいと言うことでしたらまずは生活を安定させ、しかる後に実績を積みながらスポンサーを探すことをお勧めします」  一気に言い放ったエリカに、山田は変な表情をした。  聞く限り、確かにそれも冒険であろうが自分が言いたいのはそれではない。もっと心踊る、剣や魔法を用いて魔獣を倒して素材を売って……というワクワク世界のことだ。 「ギルドでクエストを受注したり、Sランクの魔獣を倒して素材を売ったりする冒険のことなんですが」  山田がそう言うと、エリカはすっと表情を消した。  いや、今までもそう表情豊かであった訳でもないけれど。 「山田さんの仰っているギルドというのは組合のことかと思いますが、冒険者に組合があるのなら鞣し業などの皮革業、食肉などの加工や販売、畜産などにも組合がある筈ですよね?そういった専門家たちの所属する組合があるのに、では一体誰が、どこの馬の骨とも知れない素人に依頼を出すのです?」  おっといけない、つい言い方が雑になってしまったとエリカは反省した。さすがに今日は朝から4件目だ、同じような対応をこうも立て続けに昼抜きでやっているといい加減疲れてしまう。だが、そこで感情的にならないのがプロと言うもの、しっかりしなければ。 「治安維持は行政の仕事ですし、通商には保険業がありますから隊商護衛など必要ありません。魔獣と仰っていましたが、そのような獣をどのような基準で誰がランク付けなどするのでしょうか。そのための人員や技術研究、登録業務などにも経費や労力は必要ですよね」 「いやだから、それは冒険者ギルドが報酬から手数料取って捻出してるとか、あるいは冒険者が会費を払ってるとか、そんな感じでやってるんじゃないんですか」  諦めきれずに喰らいつく山田だが、エリカはすっと指をガラスに向け、 「これでもごく一部です。これほど産業が細分化されているのに、ニッチな市場を狙ってそのような組合を作る必要はないと思いますし、作ったとしても市場が狭いだけに手数料も高額になってしまうのでは」 「……じゃ、じゃあ、冒険者って仕事はない、と言うことですか」 「ございません。もちろん、山田さんが冒険者業を起業されると言うのであれば、法に則って事業を行われる分には何ら問題ございませんが」 「そんな、自分でなんて……どうやって仕事取って来いって言うんですか」 「待っているだけでクエストが貼り出され、自分に合うものを選べば良いと想定されているのかも知れませんが、そのクエストは誰かが取ってきたものです。これはどのような仕事でも同じで、営業活動は必須です。待っていれば誰かがくれる、なんて仕事はないですよね」  エリカの言葉に絶望の色を表情に乗せる山田。  毎度毎度、可哀想だとは思うし同情もするが、こうして昼も抜いて仕事して稼いだ給料から税金を引かれ、それで運営している支援業務に寄生されても困るのだ。召喚された彼らに罪はないけれど、与えられた場でやれることをやって生きなければならないのは彼らも自分たちも同じなのだから。  顔色を失って行く山田。  召喚された直後には天を衝くバベルの塔ほどあった夢や希望は、今やちびた鉛筆くらいになってしまっている。冒険は、王女様は、エルフは、チートはどこへ行ったのか。そう心中で叫びながら、はたと気づく。  そう、チートだ。魔法でもスキルでも何でも良いが、ステータスはどうなっていてどんなスキルが備わっているのか、それによって身の振り方だって決まるではないか。 「だったら、そう!せめてスキルやアビリティを測定して下さいよ!自分にどんな特技があってどんな能力があるのか、ステータスだって……」 「スキル、技能ですか。それは努力の末に身につけるものであって、誰かがくれるものではありません。アビリティ、能力も個人差はあれど鍛えればそれだけ上がります。その結果があなたの仰るステータスです。つまり、山田さんの今後の努力次第ですね。その努力を行政が支援するご説明を、先程からしております」 何も言えず口をぱくぱくとさせる山田に、エリカはずばり言い切る。 「今後、あなたがどのようなスキルを身につけ、それをどう発揮してどう認めさせるか、そういったことも本人の努力次第です。資格などは基準になるかも知れませんが、当たり前ですけど『測定』など出来ません」  今度こそ山田はがっくりと項垂れた。  つまりあれか。  鑑定したり身体強化したりデバフしたり転移したり火球出したり雷落としたり、馬車より早く掛けたりクリーンとか言えば風呂要らずだったり欠損部位まで修復したり大荷物をアイテムボックスひとつで済ませたり、そういうことはできないということか。  HPやMPやSTRやAGRなどが数値で見えたり経験値が限界突破したりパーティ追放されたり際どいところでご都合主義的に覚醒したりということもないのか。  だったら。  だったらどうやってこの世界で生きていけば良いのか。  何を楽しみにこの世界で生きろと言うのか。  いや。  まだだ、まだ諦めない。 「天啓の儀とか、ないんですか」 「何でしょうか、それは」 「ほら、成人になると子供たちが必ず受けるやつで、剣聖とか賢者とか聖女とか大商人とか天才鍛冶師とか魔道士とかの天職を神様がくれる……」  ああ、とエリカは大きく頷いた。ここへ来てようやくの明るい反応に山田の期待も高まるが、 「どなたかが言っていました。確かにそれは便利ですね」 「でしょう?!」 「そんなものがあったら、誰も努力しなくて済みますもんね」 「……え」 「だって、待っていれば天職くれる訳ですよね?ならそれが貰えるまで誰も努力しないのでは。それに貰えたらそれが天職で、天才だとか剣聖だとかなんですから貰った後も努力しませんね」  エリカの言葉に山田は言葉を失う。  反論の余地もない。ど正論だ。確かに「天職」が自動的に貰えるのなら誰も努力しないだろう。義務教育すら必要ない。子供は天職が貰えるまで、ただひたすら遊んで待っていれば良いのだ。 「……あの、側室とかって……」 「女性は子供を生む道具ではありませんよ。私達にだって感情はありますし尊厳もあります。そういった観点から宗教的にも認められていません」 「……ですよね」  すみませんでした、と小さく付け加える。  もう何でもいいから何かひとつでも自分の想定した異世界であって欲しい、そんな思いでつい口にしてしまったが、これまたエリカの反応が当たり前過ぎるほどに当たり前であった。  すっかりしょげかえった山田に、いい加減疲労もマックスなエリカは彼から見えない部分でデバイスを操作する。 「去勢 要・不要」欄の「不要」にチェックを入れ、最も重要な選別を終えると説明の続きに入った。
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