1人が本棚に入れています
本棚に追加
「よし、じゃあちょっとだけ引っ張るよ」
店員さんごっこはもう終わったらしい。
「おー。あんま強くすんなよ」
「もちろん」
ぐーっ、と耳を軽く引っ張られると、耳の穴が少し広がって、穴の中がじわりと痒くなるような感覚があった。
ぱっと指を離されると、耳が元に戻り、耳全体がじんと温かくなるような感じがした。引っ張られて血行が良くなったのかもしれない。
そうして引っ張るのを二、三度繰り返し、耳がぽかぽかしてきた頃に、兄の手が耳全体を覆うようにあてがわれた。外界の音が遮断されて、水中にいるかのような籠もった音が俺を包み込む。
これは、何だか…。
「…まだ寝るなよー」
「っ!お、俺は寝てないぞ。断じて」
「いや今危なかったよね」
否定したかったが、俺が夢の国へとご案内されかけたのは事実だった。兄の膝に乗せた左耳も手で覆われていた右耳もじんわりと温かくて心地よく、ついうとうとしてしまったのだ。
「ここからが本番だからね。まずは綿棒から」
「おう」
ぱか、とプラスティックの蓋を開けて、ごそごそと綿棒を取り出す音がする。
俺は、誰かに耳かきされた記憶なんてほとんどない。幼少期に母親にされたのをぼんやりと覚えているだけだ。人に耳かきをされるのはずいぶんと久しぶりで、俺はおのずと期待が高まっていくのを感じる。
最初のコメントを投稿しよう!