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馬車から降りた途端、わたしはぽかんと口を開けた。
「東京ドーム何個ぶんの広さだ? ここ」
驚きのあまり、佐倉あすかの感覚が出てしまった。
前回は夜だからよくわからなかったけど、昼間、明るい時に来ると、建物の大きさ、庭の広さに圧倒される。
芸術的な庭木と花壇。魔力で自動的に吹き上がる噴水。ドラゴンやライオンの石像。
もう王宮っていっていいくらいの屋敷だ。
馬車が去ると、それと入れ替わりに使用人が現れた。
彼の案内で前庭を抜け、お茶会の会場の中庭へと向かう。
小さな池と東屋がある中庭には、二〇人ほどの紳士淑女がいた。
男性は男性、女性は女性で数人のグループを作って席に着き、談笑している。
全員、王室御三家の方々だ。
ここ数日、紳士録などで肖像画をみていたからわかる。
国王さまに最も近い親戚の方々が、今ここに一堂に会しているのだ。
胃が痛くなってきた。緊張で足が震える。
こんなの、十一歳の娘(+アラサーの記憶付きだけど)が、一人で来る場所じゃないぞ。
こういう時こそヨガだ。
蓮花座は組めないけど、呼吸法で精神を落ち着けることはできる。
大きく、深く、息を吸い、それを深く…深く…下ろしてゆく。
「──大丈夫か?」
「うえ? ──げほっ、げほっ」
突然間近でした少年の声。
驚いて呼吸を乱し、せき込んでしまった。修行が足りないなわたし。
「おいおい、ほんとに大丈夫か?」
別の男の子の声。
「だ、大丈夫です。はい、この通り!」
なんとか呼吸を整え、振り向く。
そこには、わたしと同じくらい男の子が二人いた。
一人は金髪の内気そうな男の子。もう一人は黒髪の朗らかな子。
「これはレオンさま、ユーリックさま」
まさかの二人だった。わたしは慌ててお辞儀をした。
そして、こっそり二人を観察する。
やはりこの二人だ。
ゲームで見た姿より幼いけど、間違いなくレオンとユーリックだ。
四年後、この子たちは魔法学園に入り、そして──
──わたしを殺すのだ。
今はまだ無邪気な彼らが、わたしには小さな死神に思えた。
「どこかで会ったかな?」
「もしかしたら、先日、ヴィクトリアの誕生日会に来ていたのかな?」
首をかしげるユーリックと、ためらいがちに尋ねるレオン。
「はい、お誕生日会でお見かけしましたが、お会いするのははじめてです」
居ずまいを正し、正式なお辞儀をする。
「申し遅れました。わたしはリーヴ子爵の娘、アスターです」
「リーヴ子爵? 知っているかレオン?」
「ど、どうかな? 聞いたことはある…気がするけど」
面と向かって知らないというユーリック。それでわたしが傷ついたんじゃないかと心配し、フォローを入れるレオン。
「気にしなくていいですよ。あなたたち大貴族からすれば平民と同レベルの底辺貴族ですから~」
「「えっ?」」
レオンとユーリックが目を丸くする。
しまった。佐倉あすかの口調で話してしまった。
せき払いして、言い直す。
「子爵家といっても、リーヴ家は、ナイトレイ家の末席を汚す小さな家。お二人が知らないのも無理ないですわ」
家系図で確認したところ、リーヴ家はナイトレイ家の分家の分家といった位置づけだった。ここまで来ると血のつながりなんかなく、完全に主人と家来という関係だ。
「それで、さっきは何をしていたんだ?」
ユーリックが聞いた。
「はい?」
「こんな離れた場所に、一人で、目を閉じてつっ立っていただろう?」
「具合でも悪いのかい?」
ユーリックに続いてレオンが言う。
「ああ、あれはヨガの呼吸を──」
「よが?」
二人が怪訝な顔をする。
そうだった。この世界でヨガは知られていないんだった。
ヨガを習いはじめた時、ギヨムさんから聞いたのだ。この世界にヨガはなくて、教えたのはわたしだけだって。
「異国の人から習った、その…一種の健康法ですよ」
西洋ファンタジーの世界の人に、ヨガを説明するのは難しい。ヘンな誤解されないように簡単に、でも注意深く説明する。
「健康法?」
レオンが尋ねる。興味を持ったみたい。
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