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──佐倉あすか。
それが前の世界、前世でのわたしの名前だった。
平凡な独身OL。年齢は……アラサーとだけ言っておく。
わたしが務めていたのは不動産関係の会社。体育会系な企業体質なためか、いまだに精神論がはびこり、やたらと業務外の仕事が多く、パワハラ、セクハラは日常茶飯事だった。
いわゆるブラック企業。その典型みたいな会社だった。
数少ない趣味は乙女ゲーム。でも休みが少ないため、なかなかゲームをする時間がなかった。
長時間勤務による疲労、そしてプレイできないゲームは積み上がるばかりだった。
そんなある日、わたしは職場近くにヨガ教室を見つけた。
慢性的な頭痛と肩こりに悩んでいたわたしは、その改善になればとそこに通うことにした。
あまりキレイとは言えない雑居ビル。その中にある小さなヨガ教室。
主催しているのは年齢不詳のおじいちゃんで、昼間は子供たちや主婦に、夜は会社帰りのOLにヨガを教えていた。
インドの山奥で修行したというそのおじいちゃんは、日焼けした肌といい、張りのある声といい、とても若々しい人だった。
おだやかな人柄で子供たちに好かれていて、「仙人」と呼ばれていた。
毎週水曜日、わたしは仕事帰りにヨガ教室に通った。水曜日は残業してはいけない日なので定時に上がれるのだ。
ヨガ教室に通うのは楽しかった。
わたしの人生で、こんなに好きになったものは他には乙女ゲーくらいだろう。
それだけわたしはヨガにハマった。
それまでは、毎朝出社するのがいやでいやで仕方がなかったのに、ヨガ教室に行く水曜日だけはウキウキして家を出るようになった。
そんなある火曜日のことだった。
その日、予定外の残業をさせられたわたしは、過労で倒れそうになった。
いやほんとに倒れたといえるかもしれない。
疲れでへろへろになったわたしは、道路にふらふら迷い出てしまった。気が付いた時は、すぐ目の前に大きなトラックが迫っていた。
まだプレイ中のゲームがあるのに。
明日は、ヨガ教室に行く日なのに……!
迫り来る凶暴なヘッドライト。その光芒に包まれながら、わたしはそんなことを思った。
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