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──あの日、佐倉あすかは死んだのだ。
そしてこの世界で、子爵令嬢アスターに転生した。
「そなたには特別な才があると思っていたが、前世でヨガを習っておったのか」
呆然としていたわたしは、ギヨムさんの声で我に返った。
そして気づいた。
「あなた、用賀さん!」
そうギヨムさんは、前世のあすかにヨガを教えた「仙人」用賀さんにそっくりだった。
「あなたも転生したんですか?」
「そうとも言えるし、違うとも言える」
「……どういう意味です?」
そうなのか、違うのか、どっちなんだ?
「言葉では説明できん。食ったことのない食べ物の味を伝えることができないのと同じだ。体験したことがない者には伝えてもわからぬ」
「……そうですか」
まあいいか。
ギヨムさんが転生者であってもなくても、あるいは本当に仙人みたいな人だったとしても、今のわたしには関係ない。
「それにしても、何もいいことのない人生だったな……」
前世の記憶。特に死ぬ直前の数年間を思い出し、わたしはつぶやいた。
恋人はいない。勤め先はブラック企業。仕事に追われて好きなゲームもできない。
ほんと、ロクでもない人生だった。
「どんな人生にも意味はある」
ギヨムさんが言う。
「不幸な人生でも?」
「不幸を知らねば、ほんとうの幸せを知ることはできない。王者の生、奴隷の生。罪人の生、善人の生。あらゆる人生、あらゆる世界で生きてゆく。それが生命のことわりというものだ」
「よく…わかりません」
でも、一つわかったことはある。
佐倉あすかの人生に比べれば、今のアスター・リーヴの人生は恵まれている。
底辺貴族だけど、佐倉あすかみたいに毎日毎日働きづめで好きなこともできない、なんてことはない。
両親にはムカつくけど、上司のセクハラやパワハラ、イカれたクレーマーの相手をすることに比べればどうってことない。
この日から、わたしは生まれ変わった。
佐倉あすかみたいな人生はごめんだ。アスター・リーヴは幸せに生きるんだ!
そう決意したわたしは、毎日を楽しく生きることに努めた。
毎日ギヨムさんの小屋に通い、ヨガを習った。
呼吸。瞑想。様々なポーズ。
身体がやわらかくなると、心もやわらかくなるのを感じた。
貴族令嬢のたしなみとして強制される習い事やお稽古事も、前ほどいやではなくなった。
ヨガのマインドフルネスのおかげだった。
上達が遅くても、うまくできなくても、それで落ち込んだり、自己嫌悪に陥る必要なんてない。
失敗を笑い飛ばし、反省は前向きにする。ヘタはヘタなりに楽しめばいいのだ。
そうすると不思議なもので、あんなに苦手だったダンスや刺繍がめきめきと上達していった。
どうにか人並みになった、というレベルだけど……。
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