パニアグアの双子の姉妹

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パニアグアの双子の姉妹

 王立学院は、社交界デビューを控えた各地の令息令嬢が通う学院である。  基本的に初等部から高等部までの十年間を学院で過ごす。寮生活を送り、そこで社交界に向けての礼儀作法、知識を学び、社交界後に備えて人脈をつくるというのが学院の発想だが。  パニアグア子爵のふたり娘であるクラウディアとクリスティナは、少々勝手が違った。 「クリス、クリス」  寮室は基本的にふたりひと部屋。基本的に肉親と同室なのは、人脈をつくるという上では不適切なため、本来ならばふたりは卒業まで同室になることはなかったが、ふたりの場合は周りが話し合いの結果、一緒にせざるを得ないと結論を下して特例として許されていた。  クラウディアは既にワンピース調の制服をきっちり着込み、背中を覆うほどの長い髪もひとつのひっつめ団子にまとめあげていたが、クリスティナは未だに寝間着のままベッドから抜け出すことはなかった。寝ぼけたままで、伸びた髪は枕元に散らばっている。 「大丈夫、クリス? 今日は教室に出られそう?」 「うう……お姉様、申し訳ございません。お腹が……」  クリスティナは涙目になりながら、寝間着からお腹をさする。それにクラウディアは溜息を付いた。気が弱いクリスティナは、精神的プレッシャーが続くとすぐにお腹を壊す。そのために授業は飛び飛びになってしまい、出席日数も芳しくはなかった。  そのため、出席日数稼ぎにクラウディアがクリスティナの代わりに授業に出ていた。  よくも悪くもこの双子は学院では悪い意味で名が通ってしまい、誰ともしゃべることがないためにボロが出ない。ただでさえよく似た容姿なために、今までクラウディアが代わりに授業に出て教師に叱られることも呼び出しを受けることもなかった。  溜息をついたクラウディアは、ひっつめていた髪をほどくと、背中までの髪がぶわりと広がる。今ベッドでうずくまっているクリスティナそっくりの姿だ。 「いいわ、今日は私が出てあげる。でももうそろそろ私たちも卒業なんだから、これ以上は替わってあげられないわよ?」 「お姉様……本当に申し訳ございません……」 「いいのよ。それじゃあ、寮母さんにはひと声かけておくから、食事はきちんと摂るのよ? それじゃあね」 「はい……」  クラウディアはクリスティナの教科書とノート、筆記用具一式を持って、授業へと向かっていった。  遅刻ギリギリなのだから、既に寮にはパニアグア姉妹以外いない。クラウディアはクリスティナのふりをして、寮母に声をかけた。 「す、すみません……」 「あら、パニアグアの……妹さんですか?」 「はい……お姉様がお腹を壊してて……薬と食事をお願いできないでしょうか……?」 「わかりました。お世話しておきますね……おふたりももうすぐ卒業ですのに、引き離してしまって大丈夫でしょうか?」 「そうですね……」  基本的にパニアグア姉妹は学院内で数少なく信頼している人物が、寮母であった。彼女が心配して、周りを説得していなければ、ふたりは卒業まで学院にいることなく、親に泣きついて退学していただろう。  退学は婚約にも関わる醜聞なために、さすがにそれだけは避けたかった。 ****  パニアグア姉妹が王都嫌いになってしまった理由、基本的に同年代の友達がいなくなってしまった原因はなんてことはない。ふたりとも王都から離れた領地で暮らしていたため、王都の流行絵本や芝居に疎かったのが、そもそもの不幸のはじまりであった。  その頃流行った貴族の令息令嬢に向けた絵本に、トッペルゲンガーを取り扱ったものがあった。『トッペルゲンガー紳士』という、同じ顔のトッペルゲンガーを従えた紳士が、王都の事件を解決するという冒険物語は王都で大変に流行ったところで、その物語を全く知らないパニアグア姉妹が王立学院に入学したのだ。 「トッペルゲンガーだ!」 「どっちが本体でどっちがトッペルゲンガー!?」  入学式からこっち、ずっと好奇の目にさらされ続けた。  彼女たちに向けられる視線は、決して人に対して向けられるものではなかった。  少なくともパニアグア姉妹からしてみれば、玩具の類に向けられるものにしか受け取れなかった。  いくら貴族教育を受けているとは言えども、家庭教師からの手ほどきの中では教えられない未知のものには子供はどこまでも残酷になれる。ただでさえ王都でも数の少ない双子な上に、王都で流行っていた物語のおかげで、ふたりは入学早々「トッペルゲンガー」の洗礼を浴び、好き勝手に弄ばれたのである。  教師たちからしてみれば、片田舎の令嬢に王都の令息が常識を教えてあげているようにしか見えなかっただろうが、子供社会ではそうではない。  大人は子供は無邪気だという思い込みにより、彼らの残酷さを野放しにしていたのである。  とうとう怒りで先に手を出したのはクラウディアであった。分厚い本の角で令息を殴ったのである。 「うるさい! ゆうれいなんて知らない! わたしたちはにんげんだ!」  そしてそのときにクラウディアが殴り飛ばしてしまったのが、よりによって現国王の直系ではないとはいえど、王族の令息だったものだから、教師たちが慌てた。  かくしてクラウディアとクリスティナはそれぞれ教師に取り囲まれ、延々と説教をされることとなったのだ。 「いずれあなた方は、この国の社交界で生きることとなります。そのときに王族に手を挙げたらどうなるかわかっていますか?」 「知りません。あちらが悪いんです」 「あなた方は王都のことをなにもご存じではなかったではありませんか。王都の絵本とあなた方がちょうどそっくりだっただけです」 「それなら、それでからかっていいのですか? 王族だったらなにをしても許されるんですか? 人がいやがることはしてはいけないって、平民でもわかることではなかったんですか?」 「クラウディアさん!?」  何度教師たちに説教されてもクラウディアは折れることはなかったが、クリスティナはとうとう泣き崩れてしまった。 「もうしわけございません、もうしわけございません、もうしわけございません……」 「ちょっと、クリスはなにも悪くないわ!?」 「クリスティナさんも、泣き止んでください……!」  クリスティナが大泣きしたことで、さすがに教師たちは罪悪感に駆られたのか、そのままその場はお開きになった。  ちなみにあの令息はさておいて、王族にもまともな人間がいたらしく、後日謝罪の手紙と贈り物が実家に届いた。その王族によっぽど絞られたのか、それともクラウディアにより周りの令息令嬢の前で恥を掻かされたのがよっぽど堪えたのか、彼とはその後一度も口を利かず、彼の取り巻きともそれ以降顔すらまともに見ていない。  そんなこんなで、パニアグア姉妹はすっかりと王都が嫌いになってしまった。  しかし王都から一刻も馬車で走らなければ、故郷に帰ることもできないのだ。ストレスでクリスティアはよくお腹を壊すようになり、同室の子が寮母に苦情を言うようになった。一方のクラウディアは、王族を殴ったことですっかりと周りから腫れ物を扱うようになり、これまた寮母に苦情が入った。  ただでさえふたりは片田舎から出てきたというのに、まともに人間関係を構築できていない。しかし周りの反応がパニアグア姉妹に対してあまりにもよろしくない。これでは彼女たちの健康にもよくはないと、見かねた寮母が周りを説得し、彼女たちは卒業までの間同室固定となった次第であった。  最初の長期休暇で帰ってきた際、すっかりと王都嫌いになったクラウディアは父に訴えた。 「おとうさま、わたしもうあんなところごめんだわ。王都の学院なんて辞めて、別の学校に転校はできないの?」 「ああ……クラウ、そんなことを言わないでおくれ。あそこはとても大切な場所なんだよ?」  パニアグア子爵は困った顔で、クラウディアの眉間を撫で上げる。彼女は敵を睨みつけ過ぎて、すっかり眉間の皺が取れなくなってしまった。 「あそこはお前の大事なお婿さん選びの場なんだからね?」 「……わたし、王都の貴族なんかと結婚したくないわ?」 「クラウだって、王都の子ではないだろう? あそこには国内のいろんな令息が通っているのだからね」  実際問題、パニアグア子爵にはこの姉妹しか子供は生まれなかった。  そのため長女のクラウディアが婿を取って家督を継がなかったら、パニアグア子爵領は、王に返却しなければいけなくなる。そうなってしまったら、この地で暮らす領民だって困ってしまうだろう。  パニアグア子爵はクラウディアを抱き上げた。 「だから、我慢しなさい。なあに、王都出身じゃない貴族には、クラウよりも強い者だっていくらでもいるさ。そんなクラウに殴られるような王族なんて相手にしなければいい!」 「……わたし、王族を殴ったからって、まわりからずっとせめたてられたのよ? わたしが悪くないのに」 「人の娘を幽霊呼ばわりするようなくだらない男は、放っておきなさい」  そう言って抱き締められたら、クラウディアは黙るしかなかった。  パニアグア子爵は情けないところが見受けられるが優しく、彼女にとっては大切な父親だった。だから我慢してでも、いい相手と結婚しなくてはいけない。  クラウディアは溜息をついた。 「わかったわ。おとうさまがそうおっしゃるのなら」  その光景を、ベソベソと泣いていたクリスティナは不安げに眺めていたが、クラウディアは彼女を安心させるように笑った。 「わたし、王都の貴族から馬鹿にされないような人を、おむこに選ぶから」  そのときの決意が、今のクラウディアを突き動かしているのである。
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