運命

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運命

「ここら辺でいいかな?」 鬱蒼とした山々の森を縫うように続く道、右にも左にもみょいみょいと伸びる杉の木々。そんな山道をひたすら上っていくと、頂上に近づくほど道路は細くなっていった。 頂上のすぐ手前あたりに車5台分ほどひらけていた場所を見つけ、そこに車を停めた。ちょっとした展望台のような造りになっている。 「自殺の名所」は通り越した。念のため途中で何度も道を変えたからだ。 「うん、いいね」 フロントガラスと眼前には、見晴らしの良い景色が広がっている。私が車を降りると、Cさんも同じように降りてきて、両手を上げて伸びをした。 「うーーはあ」 「運転、疲れたね。お疲れさま」 「ふうぅ、ありがとう」 「少し休もうか」 私が促して歩き出すと、Cさんも頷いて後をついてきた。ドナドナはもう流れない。 山際すれすれのガードレールに近づいていくと、眼前に広がるのは深い深い木々の大海原。葉っぱが青々とし始めていることに、私は感嘆した。さすがは春だ。 「あんまり乗り出すと落ちるよ。そこ崖になってる」 「はーい。きれーい」 返事と同時に深呼吸をする。少し冷たい空気を肺に入れ、私はCさんの方を見た。Cさんは眼下の景色を望み見ている。満足そうな顔。薄っすらと上がる口角。優しさを浮かべた横顔。 『W』で約束し待ち合わせたあの日よりも、Cさんの表情はずっと和らいでいるように思う。 私はその横顔を見てほっとすると、ガードレールに沿うように置かれている、朽ちて今にも壊れそうな木製のベンチにそろっと腰掛けた。 「……寒」 小さな声で呟いて、背中を丸くした。すると、Cさんが振り返りながら上着を脱いで、私の背に掛けてくれた。それから隣に座る。木がギギギと悲鳴をあげた。バキバキッッってベンチが壊れて二人後ろへと転がるのを想像し、少し笑った。 「なに? どうしたの? 楽しそう」 「ううん、なんでもない。ってか上着。Cさんが寒いじゃない」 上着を断っても、「僕は寒くないから大丈夫」を繰り返す。その優しさにじんときた。 どうしてこんなに優しい人を、罵倒なんてできるのだろうか? どうしてこんなに善良な人に、暴力を振るえるのだろうか? 見も知らぬ Cさんの妻に対して、殺意すら湧いてくる。 だけどその鬼畜生は今、Cさんの家で頭から血を流して転がっているはずだ。いい気味。と思うがだからと言って、害悪から逃れたCさんが今、幸せなのかと言えばそうではない。 なぜだろう。不条理なこの世の中では、真面目な人ほどバカをみる。ずる賢い悪人が勝ち上がっていき、正直で善良な人が負け落ちる。 もちろん私だって、元彼たちに対してたくさん暴言を吐いてきたし、愚かで乱暴な自分を否定しない。 けれど、もしCさんが自分の彼氏だったなら? 甘い考えかもだけど、吐きたくもない暴言なんて、吐かずに済んだのかも知れないし、穏やかに愛し合い敬い合う理想の恋人同士になれたのかも知れない。結婚して子どもができ、幸せな家庭を築けたのかも知れない。 Cさんはきっと良いパパになるだろう。そう考えたら、Cさんの奥さんも相手がCさんでなかったなら、死ぬことなく幸せに生きていけたのかも知れないなと思ったけど、やっぱなし、あーあバカなことを考えたなと思い直す。一蹴。 人の人生を糸に例えたなら、それぞれの糸は他人と交差し、そして時には絡み合い、(こぶ)を作り、切れてしまったりよじれてしまったりするのはなぜなんだろうな。 糸と糸が出会うのは、縁がすべてだというのに。 巡り会うかどうかもわからない良縁を、掴み取ることができる人と、できなかった私たちとに、いったいどんな違いがあるのだろう?   ぶるっと震える思いがした。 相思相愛なんて究極は奇跡だと、この山頂から叫びたい。 知ってる? 世の中の夫婦の3組に1組は、離婚するんだって。 腹に一物も持たずに死ぬまで仲良く添い遂げられるカップルなんて、それを鑑みれば全体の何パーセントの確率になるのだろう? 病める時も。健やかなる時も。愛し合い敬い合うというのは、幻想なのかも知れない。それが幻想であったなら、誰がその幻想を創り上げたのだろうか。 その誰かを呪いたい気持ちになった。 「大丈夫? 寒くない? 車に戻る?」 今まで一度も掛けられたことのない言葉の数々。冷たい雨を避けてくれる傘のようだ。優しさに溢れる言葉は心に広がっていた暗雲を一気に消し去ってくれる。 私は微笑みながら、「大丈夫。Cさんは? 寒くない?」と訊いた。 「うん。寒くないよ」 Cさんはストライプ柄の長袖シャツ一枚。寒くないわけがない。 私は、ちょっと居たたまれない気持ちになり、お尻をずらしてCさんに近づいていく。そして、私の右肩とCさんの左肩がちょこんと触れた。 ベッドの中のようにすぐにはCさんの体温に温かさは感じなかったけれど、きっとこうして触れ合っていればいつかは温かくなるはずだ。体温も優しさもじんわりと液体のように人へと浸潤する。 「あったかい」 いつのまにか私たちは、温もりの欠片を求めるように、どちらからともなく手を繋いでいた。
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