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希求
さあ、これですべてがおしまい。幕が降りる。Cさんが心を決めたようにエンジンをかける。
その横顔。ははは。なんだか吹っ切れた感が半端ない。
私はその横顔を見て、心からほっとした。
Cさんはこれから、死の旅路へと出発する。
こんな言い方はひじょーに不謹慎かもしれないけれど、その出発の門出をどんちゃか祝えるくらいに、私たちは浮上していたのだと思う。
私はわくわくしていたと言っても過言ではなかった。いっくぞーーーーってな感じに。
「最期まで一緒にいてくれてありがとう!」
けれど、Cさんがそう言ったその時。
今までBGMでしかなかったラジオから流れてくる声に耳を、一瞬で聴覚を奪われてしまった。
全神経、全細胞がそこへと集中する。
『……◯◯市内のアパートの階段から転落し、その場で死亡が確認された女性から、奇跡的に生まれた赤ん坊の容体はまだ安定しないとのことです。◯◯病院の前から加藤さんに伝えてもらいます。加藤さん、赤ん坊ですが一命は取り留めたのでしょうか? その後は……』
ニュースは続く。
『はい、お伝えします。帝王切開で取り上げられた赤ん坊は今は集中治療室にて、医師が懸命に治療を施し……』
Cさんが足を今にもブレーキからアクセルに踏み替えようとしたのが、スローモーションに見えた。
その刹那、私ははっと顔を上げて、夜空を見上げる。
たくさんの星の中にひとつ。
見つけたのだ。そのたったひとつを。
私は叫んでいた。
「生きて!」
生きて生きて生きて、と。
神様、その赤ちゃんは私の娘なんです。
だからどうか精一杯に生きて!
星が。
流れていくのを見た。
結局は自分の願い事に使ってしまったじゃないか。元彼よ、許せ。
それでもこれで、
みんな、きっと、幸せになれるよ……
ありがとう、
《 私たちは恩恵と慈愛とを混ぜ合わせて溶かした絶妙なマーブルの液体のなかで、
たったひとつの幸福を希求する》
epilogue
あの夜。僕はひとり、警察によって包囲されていた。
死ぬつもりだった。
ガードレールの切れ目から真っ逆さまに山あいへとダイブし、そのまま崖から転落して死ぬはずだったのに。
アクセルを踏み込もうとしたその時に、Aさんの叫びを聞いた。
「生きて」
心からの叫びだった。底から突き上げられるような願いだった。
躊躇した。アクセルを踏み込めなかった。
結局、車はガードレールにぶつかり大破しただけで、それを飛び越えられなかった。
僕は警察に逮捕された。
けれど妻のスマホの中身により、妻の病的な僕へのDVが証明され、そして僕が投げた花瓶が直接の死因でないこともあって、僕の罪はぐっと軽くなった。
科された罪を償い、そして僕は、今。
ひとりの少女の人生の行く末を見守っている。
この混沌としたマーブルの世界で、幸福を求めながら。
Fin
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