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粉砕
「で、側にあった……まあまあ大きい花瓶をガシャン、と。こんな感じかな」
Cさんが花瓶を持ったであろう両手を掲げてジェスチャーしてみせる。私がそのCさんの話から想像した花瓶はなかなか頑丈そうなものだ。それをこんなにも弱々しいCさんが、振り回すという場面が、まずもって想像できていなかった。
花瓶 vs. スリッパの合戦。さらに想像できず。
私はCさんが話し終えるまで、大人しく話を聞いていた。
が。
他人事ながら、さっきから私のはらわたは煮えくり返っている。
「その花瓶、お花は飾ってあったの?」
「飾ってないよ。うちにはそんな経済的な余裕はないし」
「経済的とかどうでもいい。水が入ってたかどうかが気になっただけ。ぶちまけたら後片付けが大変じゃない? ってまあそんなこともどうでもいいけど」
独り言のように私が言っても、Cさんは気にもとめずにコップの水を一気に飲んだ。
自分の意見を言っていいものか判断がつかなかった。様子を窺ったが、Cさんの表情は相変わらず硬い。いや、やはり言ってみるべきだ。
「それってつまり完全に奥さんのあなたに対するDVだと思いますけど」
Cさんは、え、と顔を上げた。きょとんとしていると言ってもいい。
「よくDVされてる方は、それがDVだということに気づいてないって言いますけど……」
すでに冷めてしまったグラタンのホワイトソースをスプーンでかき集める。最後の一口、トロッとしたものが舌の上をねっとりと滑る。ナフキンで口を拭くと、タイミングよく口直しのコーヒーとCさんのアイスティーが運ばれてきた。
「そ、そうなのかな?」
Cさんは、情けないような困ったような表情を浮かべていた。思いも寄らない私の強い口調にどう反応していいのか分からないのだろう。持て余した手を伸ばし、アイスティーのストローに口をつけた。氷がカランと鳴った。
「完全にそうでしょ」
「でもどこにでもある夫婦喧嘩じゃないの?」
「いやいやないでしょスリッパで頭を叩かれるなんてこと。ないないありえない。私だったら殴り返してる」
「そうなのかな」
「ええー? 普通に生きててゴミを頭から被るなんてことある? 今までやられたこととか、思い出してごらんよ。もしかしてもっと色々とひどいことされてんじゃないの?」
「…………」
Cさんは黙り込んでしまった。
「ある意味、正当防衛でしょそれ」
「…………」
沈黙には慣れている。歴代の彼氏はみんな、ソシャゲ依存症だった。スマホとは会話するが、私とは会話しない。おまえと会話する時間よりゲームのイベント参加時間の方が重要だわなどと、吐かれ続けてきた。
とはいえ、この無言の時間。手持ち無沙汰になってしまったな。視線の先にあったCさんがサラダに使った割り箸の紙の袋に手を伸ばした。
箸袋をアジの開きのように、ビリビリと破って開ける。
それを縦半分に切った。
「……離婚したかっただけなんだけどな」
私は軽く頷きながら、その二枚を九十度の直角に重ね合わせ、折り重なるようにして編んでいく。四角いイモ虫ができて、指で押してはビヨンビヨンと跳ねさせて遊んだ。
「……器用だね」
「まあね。どんなことでもひと通りできるかな。私、色々と尽くしちゃうタイプだから。裁縫や編み物もできるし、料理も美味しいよ。今度作って食べさせてあげる」
って、今度なんて永遠に来ないけどね永遠に。
「うん、ありがとう」
言葉少なげに、Cさんは薄く微笑んだ。
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