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逃避
「運転うまいね」
基本に忠実な運転に感心していた。車線変更も常にウィンカーをカチカチ。対向車が皆無でもセンターラインを決してはみ出さない。Cさんはきっと、真面目で真っ直ぐな道を歩んできた人なんだなあと思えるほどの、安全運転だ。
「マッチングアプリなんて、清水の舞台から飛び降りてから登録したんじゃないの?」
Cさんは前を見ながら、ふはっと笑い、頷いた。
「まあそうだね。僕、SNSとかネットとかあんまり見ないから。それほど興味もなかったし。なによりスマホ自体使い慣れていないんだ」
ネットショッピングもしない。ゲームもしない。どこぞの年寄りか! 奇跡すぎるこの31歳。
スマホヘビーユーザーの私にとっては、それだけでああもうこれは異世界の人間だなと思ってしまう。それほど人種が違う。人種も違うが歳の差もあるし、ジェネレーションギャップかもしれない。
「逃げ道なくて怖くない?」
「スマホって逃げ道になるの? 普通に生活できてれば、そんな必要ないでしょ」
「それCさんが言うぅ?」
笑いながら少しからかってやった。私が続けて言う。
「いやいやいやふつーにあるでしょ。スマホがあるから幸せな生活を維持できてるんじゃね? ぐらいの勢いだわ。あ、わかった! スマホ使わないから自分がDVされてるの気づかなかったんじゃない?」
「えええ⁉︎ さすがにそれはそこまでは……それに僕、男だし」
「いまどきは妻や彼女からの暴力ってのも存在してるの!」
「へえ。そうなんだ」
ノンキダナー。
「あのさスマホってさ、人生でつまづいた時とかアドバイスとか答えとか、いっくらでも探せるのよ。私よりCさんの方が必要っぽいけど」
「でも今回なんの役にも立ってない」
「立ってるよ。だって私、色々調べたもん。BBQにガムテープが必要だなんて知ってた?」
「そんなことぐらい……ううん知らなかった。ごめんね、全部任せちゃって」
自覚はあるんだ。
「失敗したくないもんね?」
「まあ……」
「それに今回だってマッチングアプリがあったからこうして出会えたわけで。どー考えたってスマホの功績だよ」
「確かに。それは否定しないけど」
「でしょ? だから生活必需品なんだよ。ゲームとか時間つぶしにもなる……し」
丸まってゲームに夢中になっていた、元彼の背中が脳裏に浮かんだ。危うくそいつとの修羅場を思い出しそうになり、慌てて意識を他へと向ける。
道中コンビニで購入したポッキーの箱を、買い物袋から取り出した。ベリベリとむいて1本取り出すと、「はい」と助手席からCさんの口元に差し出した。Cさんはそれを素直に口に入れる。ポッキーをポキポキと上下に動かしながら咀嚼。
ややあってから口を開いた。
「ありがとう美味しい。こうやって食べさせてもらうのって、なんだか照れ臭いけど、くすぐったいものなんだね」
「え? 奥さんにやってもらわなかった?」
「うん。妻はいつも自分だけ好きなものを食べて、僕の分なんて買ってこないし。それにこうして二人で外出することもなかったし」
「やだ不幸!」
私がおかしそうに声を上げると、Cさんも笑って言った。
「ほんと僕、なんも知らなかったんだなあ」
「私なんていつも助手席で、飲み物飲ませてパンの袋開けて手拭きを用意して口まで拭いてあげてたもん」
「すごっ」
「喧嘩になるとね、いつもこんなにも色々やってあげたのに! って心が叫んじゃう。や、実際叫んじゃってるんだけど。こんなにも尽くしてるのになんで浮気するわけ? わけわからんわって。
……でも相手にしてみたらそれも押し付けがましくて嫌だったんだろうね。重かったんだろうなあ」
「そんなもんなのかな。もともと自分のことは自分でが信条だけど、何かをしてもらえるのって、僕にとってはすごく新鮮なんだけど」
「だろうね。でももういいんだ。吹っ切れた。うじうじ悩んでても仕方がないもん。別れてやって正解だった」
「そうだねそれ正解だと思う……ってほら! スマホなくても二人で正解を導けた!」
Cさんは嬉しそうに、ちらっとこっちを見た。
うーん。正解に導いたのは私だけどまあいいや。無視。
「ポッキーもう1本食べる?」
「うん、食べる」
Cさんは横から見てもわかるくらいの大きな口を開けた。
「あーーーーー……
待て待て待てwww
準備がまだだ。ガサゴソとポッキーを出す。はいどうぞ。
ーーーーーーん、ぱく」
笑えてきた。
けれどそうこうしているうちに、目的地が近づいてくる。それからはゆっくりと沈黙が降りてきた。
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