表紙

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 「ごめんね。もっと沢山あると思って たんだけど……」  可愛らしい巾着袋を手に戻ってきた 彼女は、済まなそうにそう言うと、俺 の手の平に3つの飴を載せた。  白と橙の包みにくるまれたそれは、 金柑と蜂蜜ののど飴だ。  俺は隣に立ったままの彼女を見上げ ると、満面の笑みを向けた。  「いや、ありがとう。十分だよ」  やはり、その声も老爺のようにしゃ がれていて、俺たちは二人してくすくす、 と笑い合う。  そうしているうちに、「折原さん!」 と、廊下の方から呼ぶ声が聞こえ、俺 たちはぴたりと笑みを止めた。  「もうすぐ消灯前の点呼が始まるよ」  同室の女子にそう言われ、「あ」と 二人で顔を見合わせた。携帯で時刻を 確認すれば、22時まであと10分。  俺も戻らないとヤバい。  「じゃあ、滝田くん。また明日ね」  「ああ、おやすみ」  ひらりと手を振りながら微笑した 彼女に頷くと、俺は駆けてゆく背中 を見つめながら、心の中で呟いた。 ーーいい子だな。  いまどき珍しいくらい控え目で、 清純そうに見える、彼女。  まだ知り合って間もないが、彼女 には裏表がないのだと話しているだ けでわかる。  読書が好きで、可愛いらしくて、 なのにいい意味で素朴で、とても 真面目な子。  それが彼女の第一印象で、俺は 自分の中で彼女の存在が特別なもの に変わってゆくだろうということを 予期しながら二泊三日の新人研修を 終えたのだった。    それから俺は、社内で彼女を見か けるたびに声をかけ、それが叶わな い時は彼女の姿を密かに目で追った。  飲食業界も販促の仕事は忙しく、 社内にいられない時の方が多い。  企業の魅力や各店舗のサービスを 顧客に伝えるため、店舗の外観や 内装の設備、のぼりや看板の設置、 折り込みチラシの製作からWEBメ ディアの掲載管理まで、膨大な仕事 量をこなさなければならないからだ。  残業で日付が変わる、なんてこと は日常茶飯事で、だから、ゆったり と彼女をランチに誘うことも難しか った。  それでも、彼女は経理部に所属し てくれていたから、領収書を手に、 時折り、顔を覗きに行くことはでき た。そうして、会うたびに、言葉を 交わすたびに、自分の中で彼女が かけがえのない存在になっている ことを、自覚する。  けれど、その想いが、「好き」と いう言葉では足りないほど大きく なっているのだとわかっていても、 俺は彼女に手を伸ばすことが出来ず にいた。 ーー想いが大きければ大きいほど、 叶わなかった時の傷もまた、大きく なる。  そんな風に、恋に対して臆病に なるのも初めてのことで、俺はただ 遠くから彼女を見つめたまま、いた ずらに時を費やしていた。
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