第十七話 恨みの在り処

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第十七話 恨みの在り処

 急ぎ呼んだ長島藤兵衛を待ちながら、虎之介は心を落ち着けようと、江戸から届いたばかりの真喜の手紙を繰り返し読んでいた。  妻はながながと夫の健康を気遣うことを書き連ね、そのあとに明信院の代わりとして行くことになっている紅葉狩り行事について触れていた。  前々から彼女がこの催しを楽しみにしていたのは知っていたが、なんとなくずっとあとのことだと感じていた。 「考えると、もうそんな時期なのだな」  部屋に活けられた紅葉の枝を、彼は振り向いた。今朝届けられたものだが、小ぶりな葉は夕日よりなお赤く、瑞々しかった。早朝に異常な事件を経験したあとだけに、よけいに平常がありがたくも感じる。  それに、このところ季の移り変わりをじっくり感じる余裕を失っていた。これは城主としてはよくないなと思う。 「紅葉見物か……」  真喜が向かう紅葉狩りとは、国元のそれのように連れ立ってどこかの渓谷へと出かけるわけではない。場所はさる大名の屋敷であって、眺めるべき紅葉は人のつくった築山と池(人の背より高い滝もあるらしい)を彩っているだけだ。  ただし熟練の庭師によって存分に手をかけられ、時期がよければ思わず声の出るほど見事であるともいう。  その庭園は、もともと将軍家直々の御成のために築かれた。  同様の目的のために作られた庭園の中には、迷子になってしまうほどの広さを誇るものや、本物の海を引き込んだという信じがたいものまであると聞くが、真喜が訪れる先は、そこまですさまじくはないようだ。  ただ、「燃えるかのごとく赤い葉が屋敷の外からちらりちらりと見えますそうで、それなのに何年も外から客を入れておらず、かえって世間の評判が高まってしまったとか」と、床机役のひとり、小西左馬之介が教えてくれた。  左馬之助は忠次郎などと違って詩歌や茶など風雅の道に多少の素養がある。その庭園についても前々から聞き知っていたという。 「そんなに評判がいいのか」 「はい。ことに文人墨客の間で名が高く、このたびは幾人か歌詠みが参加を許されたようですが、国元にもそれを知って羨む者がおります」 「ここの庭も、もう少し手を入れて、国の風流人を呼ぶようにしたいものだな」 「それは、さぞかし喜ぶことでございましょう」  かつては明信院も参加したというその紅葉狩りは、理由はわからないが長い間途絶えていた。  ところが、虎之介と同じく数年前に養子として跡を継いだ現在の藩主によって、庭園の改修が完成したのを理由に再び公開が決められたとのことだった。  その新しい藩主に明信院と直接の面識はないそうだが、つきあいのあった大身旗本が久しぶりの宴の再開に、ぜひ参加されよと勧めてきて、結果的に真喜の代理参加となった。  若く活発な虎之介にすれば、ただぞろぞろと庭園を歩くだけの催しがそれほど楽しいとも思えなくとも、真喜の手紙の行間からは、うきうきするような彼女の気分が自然と伝わってくる。  紅葉狩りは二部構成になっており、真喜の参加は夕刻からの部と聞いている。  空の色が青から朱へと変化しはじめる時刻に人を招き入れ、午後の日差しから夕暮れ、そのあとの焚き火そして月明かりと、時とともに変化する光に照らされた紅葉をじっくり愛でるという趣向だった。こちらに招待された方が、主催者にとっての上客であるという。  それに、妻の上機嫌には彼女らしい理由があった。  会場となる大名屋敷の一角にひっそりと置かれた小さな井戸には、ある怪談が伝えられている。この種の話題が好きな人種にはよく知られた場所であり、真喜もまた、前々から強く興味を持っていた。彼女の口吻からすれば昼間よりも日暮れ、そして紅葉よりむしろ井戸の実見を心待ちにしているようにも思える。  ただし、怪談自体は庭園ほど手のこんだものではない。  かつて屋敷の主だった若殿様が、美しい腰元とわりない仲になったあげく、彼女を裏切った。悲嘆した腰元は井戸に身を投じ、月明かりの晩ともなると恨み言を述べに出てくるというありがちな展開である。  若殿が悪役扱いなのに、怪談話の流布が放置されているのは、現在の藩主家と当時のそれとは関係がない別の家のためなようだ。  あまり怪談話の得意でない虎之介は、今年こそ「あの」屋敷に行けますと妻に自慢された際、 「聞いたような話だし、きっとニセモノだろう」とか、「皿よりも団子の串を数えるのはどうかな」と理解を示さなかった。  そのため、真喜はかえってむきになって知らせてくるところもあるように思う。 「紅葉より、幽霊か」  いずれにせよ、平和な妻の日常に虎之介は苦笑したが、ふと、なんとも言い難い、チリチリするような感覚を覚えた。  日付をたしかめた。 「なんだ、今宵ではないか」思わず口にすると、左馬之介が言った。 「はい、そのようにございます。月の肥え具合もちょうどよく、さぞ美しいのではないでしょうか」  妻がまちに待った紅葉狩りは、なんと今日、実施されることとなっていた。 「江戸は晴れているのかな。そうだといいが」  立ち上がって虎之介は、窓の外に目をやった。  差し回した駕籠に乗ってやってきた長島家の隠居は、騒動のあった書院ではなく庭園の小屋に通したのを詫びる若い主君に、物柔らかな口調で恐縮してみせた。  そして、隠居の身でありながら国入りまもない新城主にこれほど近しく拝謁できたことを心から感謝し、彼の成長ぶりと彼にとっての勘所である母親を褒めた。  そして妻の息災をたしかめ幸運さをたたえ、転じて書院で脚気衝心の発作をおこしたという行者について悼んだかと思えば、納戸方をはじめ部屋の模様替えに追われる諸役を慰労しつつ衝撃を受けたであろう重職たちを思いやってから、また元に戻って娘婿である兵部を重用する虎之介をたたえ、同時にその度量の広さを感謝した。  語られた内容に遺漏はなく、それぞれを簡潔に聞く側にも飽きのこない時間内に収め、虎之介に一方的に話を聞かされているとの感想を抱かせない。 (このぐらい朝飯前でないと、留守居役などつとまらないのだな)  と、虎之介は彼の話ぶりに感銘を覚えた。  それなりの規模の国ともなれば、留守居役がぼんやりしていれば江戸表からどんな賦役や難題が課せられるか知れたものではないのは、彼もよくわかっているつもりだったが、話しているうちにこちらもいい気分になるというのは、やはり只者ではない。  現役時代の長島は、派手な成果こそなかったものの、その実務能力への評価は高かった。  一見温厚だが実はむらっ気がひどく、対人関係においてときおり看過できない問題のあった前藩主を頭に戴き、彼の長い治世中を波乱なく抑え切った手腕は、他国の同役からも一目置かれていたと聞いた。  今回の件が落ち着けば、長島をあらためて呼び、江戸における各藩の留守居役の活動についてきっちり学ぶ機会をつくらねばならないな、と虎之介は思った。  そういえば明信院も亡母も、留守居役らの活動の産物といえるかもしれない。 (なら、おれはどうかな)   故国の留守居役など、酒席で下手な踊りを披露するしか芸がなかった。あいつらのおかげによって今の彼があるわけでは、絶対になさそうである。 (なら、あとで兵部に聞いて……)  いつものようにそう考えたが、常であれば彼の横、または後ろにひかえている兵部は、この席にはいない。 (そうだ、今日はいないんだ)  個人的にはかなり気になるであろう、主君と義父との対面にも同席することなく、すでに城を発ってしまった。  彼は、普照が骸に成り果ててすぐ、 「かならずや連れて戻ります」と、普照の師である行者を自ら呼びに旅立ってしまった。  時間的な余裕はないと見るべきであり、とにかく一刻も早く、そして必ず行者を連れ帰るのがなにごとにも優先される。ならば先に手紙でやりとりのあった自分が直接ゆくのが最も早く確実だ、との理屈だった。それに、たとえ他の者なら諦める断りの理由を挙げられても、兵部に折れるつもりは毛頭ない。  しかし虎之介は、誰よりも頼りにする男が目の前からいなくなり、裸になってしまった気がしていた。 「話が話だけに、ほかの者に頼ることもできぬ。急な呼び出しで申し訳ないが、よろしく頼む」長島に向かって虎之介がいうと、 「恐れ多いことにございます」と隠居は再び頭を下げた。  早朝の城内で起こった異常な事件については、さすがに詳しく説明できなかったが、兵部によると、 「万事察しのよい人物でございますから、お心のままにお話しください」と言われていた。  とにかく、あいさつもそこそこに虎之介が思うまま語った内容について、上品な驚きの表情を持って聞く隠居の如才ない態度は、いろいろと考えさせられた。 「思い出されたことがいくつかございました」  虎之助の覚え書きを一読し、しばらく彼の話を聞いていた長島だったが、抑制のきいた表情に、隠しきれないほどの動揺を浮かばせたのは、一連の不可解な事件の根底に「恨み」があったのではとの虎之介による仮説を聞いた時だった。  重い石の蓋でも開くように、長島は口を開いた。 「まさか、あのことについて殿にお話しする日がやってこようとは、考えもいたしませんでした」 「『あのこと』と申したか。かつてこの国に、なにか思い当たる出来事があったのか」 「はい。そろそろ四十年になろうかという昔のことでもあり、直に携わった者どもは、わが父も含めほとんどが彼岸に渡りました。ですが、亡父の片言からおおよそは存じておりますし、だからこそお伝えできることもあるでしょう。恐れながら、それをこれからお耳に入れます」  やがて長島は語り始めた。  まず、多数の人間にふりかかった一連の怪異が、だれかによって仕組まれたのかどうかの詮索は自分にはできないと前置きしながら、 「その根本にだれかの恨みがあるとするならば、疑うべきはやはり高樹院さま、すなわち御先代との関わり。そして付き合いの深かったお三方についてのそれでございましょう」と言った。 「お三方というのは、誰と誰のことだ」  虎之介がそう聞くと長島は、家督を継ぐ前の先代鵠山藩主には、江戸にいた際に、趣味を通じて仲良くなり、常時行動を共にした友人が三人ばかりいたと明かした。  つまり、悪友というやつである。  長島が名をあげたうちの二人は、江戸に住み暮らす大名の子息であった。  嫡男だった先代とは異なり、当時はどちらも次男と三男だったので、金は自由にならないが比較的制約が少ない。  当初は二人が先代をそそのかす形であちこち連れて回ったが、そのうちに先代がもっとも熱心になったようだと長島は語った。  だが、鵠山の家督を先代が無事継いだのに前後して、彼らも環境が変わった。  ひとりは、ちょっとした問題のあった兄から幸運にも家督を継いだ。そしてもう一人は他の大名家に無事養子の口が決まった。  そして、あれほどつるんでいた悪友たちは、自然と疎遠になった。  そう説明してからも、しばらく思案を続けていた長島は一瞬、息をとめた。  見つめる虎之介の真剣な表情に、今度は息を静かに吐いてから、ふたたび話をはじめた。  それは信じがたい内容でもあるとともに、虎之介にとって十分予想された話でもあった。あまり驚かない自分に、(怪異に慣れたせいかな)と思う。  長島は、前もって下世話な話となることを詫びつつ、 「恐れながら殿は陰間、あるいは野郎とも呼ばれる者どもについてはご存じでしょうか。そして、その者らと『遊ぶ』ということを」と聞いた。 「女を相手にするより金がかかる、というのは聞いたことがある。生国の屋敷の近くにも茶屋があったようだが、万事せちがらい国柄だからな」 「これは、おみそれいたしました」ひとしきり笑ってから長島は説明を再開した。  先代藩主と悪友たちとの交友は、最初は連れ立って書画を見に行く程度だったが、そのうち当然のように「遊び」に凝り始め、次第に結構な金を費やすようになった。  それは俗に言う悪所通いであり、なかでも彼らの好んだのが男性を相手にする陰間茶屋における遊びだったと長島は語った。 「とりわけ、先代考正公は陰間のひとりにご執心された。身請け話まであったやに聞いております」  相手は歌舞伎役者であったとも、専門の男娼であったともいわれ、ほかの贔屓客との恋の鞘当もあったらしい。また、相手の処遇をめぐって、抱主と揉めたりもしたという。  あいまいなのは、なにしろ四十年は昔の江戸での出来事、それも極めてうちうちの話であり、詳細までは残念ながらわからないと長島は言った。また、 「もし、明信院さまのお耳にでも入れば後継の見直しもあり得ぬことではございません。それで」  当時の関係者は懸命に悪い情報を隠蔽し、その後も痕跡を残さないよう消去を図ったのであろうと長島は語った。 「なぜなら院は、その、それははっきりとしたところのあるお方ですから……」と、明快だった長島の言葉がいやにあいまいになった。  義理の息子である先代藩主に明信院が辛い評価しか与えず、それを身内に隠さなかったのは虎之介だって知っている。  本人から直に聞かされた。  彼女に言わせると、義父の最大の功績は真喜をこの世に残したこと。そしてちょうどいい時期に死んで虎之介が藩主となる道を開いたことであり、 「ただそれだけのために、この世に生まれ落ちた男。あんな死に方でも役を果たしたのだけは良かった」と、ぼろくそだった。  これほどの低評価であれば、もし先代の不品行というか不行跡が、家中で最大の外交的権力を持った明信院に知られでもしたら、どんな結果を呼ぶかわからないと執政たちが懸念したのも、無理はない。  ただ虎之介は、院のことだから情報はつかんでいながら総合的に判断し、知らぬ顔を通したのかも…と、思わないでもなかった。とはいえ、醜聞が世間に知れ渡りでもしたら、放置は許さなかっただろう。  それとも、死人をあれほどくさしてみせた背景には、生前の醜聞があったのだろうか。  などと考えている虎之介に、「また、当の陰間との間をどうやっておしまいにしたかについても、わかりかねます」と長島は言った。陰間のその後についても同様だという。大胆にもいったんは鵠山に連れ帰り、人目を忍んで通ったらしいのだが、詳しい内容はもはや過去に埋もれてしまった。 「無事にかたがついたようだ、と亡父から聞いただけなのです」  先代藩主の初の国入りから、ちょうど一年経つか経たないかのうちに、江戸にいた長島の父親のもとへ「別れた」との話が伝わった。するとこの件について、当事者に近い世代として息子の意見を求めたこともあった父親が、一転して口を閉ざすようになった。  長島にとっても、ずっと喉に刺さったトゲのような問題だったという。 「その後、父がこの件について話すことはなくなりましたし、それは他の方々も同じ。ある日ふっつり噂は途切れ、瞬く間に跡形もなくなったのです」  その後、かなり経ってから当時の重職の子や孫にあたる面々にそれとなく聞いたことがあったが、誰もはっきりとは結末を知らず、それどころか噂そのものを知らない者ばかりだった。 「そしてあの方々の表情は、芝居とは思えませんでした」 「しかし」と長島は言った。もし一連の怪しい事件の裏に、虎之介の言うなんらかの「恨み」が介在しているとすれば、この一件こそ疑わしいと考える。  なぜならその後の先代は、あれほど激しかった遊びから、すっかりと足を洗った。そして、さっきも出たように二人の悪友はその後無事大名となり、それからは時候の挨拶程度の淡い関係にとどまり、互いが江戸に暮らすことはあっても、個人的なつきあいを復活させることはなかった。これは留守居役として仕えた長島自身も把握している。互いの無関心ぶりは徹底していて、かつての密な関係を考えるとかえって不自然なほどだった。さらに、 「実はお二方とも、ご先代より先に相次いで亡くなられています。それもどちらも突然の病に苦しんだのち、みまかられたとか」 「……」虎之介は息を呑んだ。  また長島は、普照が虎之介に拝謁してまもなく、義理の息子である兵部から問い合わせがあったと明かした。  兵部は、先般訪ねてきた修験者が、二つの国の江戸屋敷に異変があり、同じ怪しい気配を鵠山からも感じると主張した。しかし信用しきれない人物なので早急に調べたい、それらしい大名に心当たりはあるか云々と、聞いたそうだった。 「あれは、今朝死んだ修験者が、自らの通力に箔をつけたいと、たまたま近い時期に亡くなられた方々を利用したのではと疑っておりました。まさかこれほど根の深い話とは思いもよらず、聞かれたことだけに答えておきましたが」  虎之介は思わず大きく息を吐いた。 「つまり、かつて仲の良かった三人の大名がいた。そろって若い時分、陰間遊びにのめり込み、ある日を境に憑き物が落ちたようにやめた。その後はわざとらしいほどお互い疎遠になっていたが、実はここ数年のうちに相次ぎそっくりの急な病で死んでいた、というわけか。まるで不出来な怪談みたいな話だな」  うーん、と腕を組んでから、虎之介はまた言った。 「その陰間が、ぱったり行方をくらませたというのも変だな」 「はい。あの当時、国元に河川の氾濫や火事などが相次いだため、その影に隠れたのかもしませんし、噂通りこの国に暮らしていて、当人は災難に巻き込まれて死んだのかもしれませぬ。また、もしかすると」  混乱に乗じて重職の誰かが手を回し、始末したことだってあり得る。  朱が最後に言った、先代が「非道をなした」というのはそれだろうか。 「もしそうなら、あわれな男だ」虎之介はつぶやくように言った。「どこかで生きてくれていれば、気が楽なのに。まてよ」  その男が生き延びて復讐を図ったと考えられないわけではないな、と虎之介が言うと、長島は首をひねった。 「生きていればいい歳でしょうし、逆にいまになってから恨みをはらしはじめた理由が思いつきませぬ」 「そうだな」  その後は、先代とその悪友たちの所業はなかったことになって忘れ去られ、藩政を担っていた人々も世代交代を重ねた。いまでは、現在の重職たちの中に当事者は、ほぼいないと考えるべきだ。  なるほどと頷きつつ虎之介は、聞きたいことがあると隠居に言った。 「なんでございましょう」  さすがに朱から聞いたとは言えずに、 「実はあるところからかすかな噂を耳にしたが」と、取り憑かれた普照が口にした「年寄衆」との関連について聞いた。 「年寄のうちに、その陰間なのかもしれぬが、恨みを覚えた相手と知り合いだった者がいたのではないだろうか。だれか心あたりはないか」  すると、予期していたのか長島はうなずいた。そして、「ほぼ」と前置きしたのは、その人物についてこれから触れるつもりだったと言った。 「おそらくそれは、宇多川甲斐様のことと思われます。まだ家督をお継ぎになる前、江戸にいて先代にお仕えしておられました」 「宇田川か……」  直接この件について聞いたことはないが、 「かつて、抜擢を妬んだ者たちからは、前の殿の隠し事をようけ知っていたからよ、などとしきりに言われたそうです。陰間との因縁を聞くため、もしひとり選んで召し出されるとすれば、かのお方をおいて他にはないかと」  鵠山でいう年寄衆とは、政策を決める評定に家老などと参加する顔ぶれをいい、いわば藩政の最高諮問機関を構成している。宇多川は、現役ではもっとも長くそのひとりであり続けていた男である。  彼は十代のうちにまだ部屋住みだった先代藩主の近くに仕え、先代が家督を継ぐと、その引きによって年寄衆に加わり、それ以降長く藩政に関わり続けてきた。  ただ、先代の晩年には寵愛を失ったのに加えて、家老たちと意見の齟齬が増えた。とどめに虎之介を藩主とする後継案にしつこく反対意見を述べたこともあり、国入り以降の城中行事は、何かと理由をつけて休むことが続いている。  本人の引退表明はまだだが、ほとんどその状態とみなされている人物だった。  虎之介も、直接会ったのは一度のみ。それもごく短い言葉を交わしただけに過ぎない。  五十代になった彼は、もはや腹も出て見る影はないが、かつては当意即妙な受け答えのできる、なかなか魅力的な美男であったという。 「それと」長島の隠居は付け加えた。 「さきほども少し触れましたが、江戸において、いつも宇多川様が手引きされていたのは先代を含めて四人。お仲間にはもうお一方、『花岡家の若様』がおられました。むろんのちに家を継がれ、そろそろ家督を譲られると聞きましたが、おそらくまだではなかったかと」 「花岡の若様というのは、直参であったか……」 「はい、花岡遠江守正義さま。五千石の大身にございます」  虎之介の頭の中でカチッと音がした。 「遠江守どのは明信院さまと、直にやりとりする仲ではなかったか」 「はい。たしか花岡のご先代が明信院さまと親しく、その縁もあって先代と交誼を結ばれたように聞いています。そして院とのやりとりも、まだ続いておるはず」 「それと」虎之介はせかせかと続けた。「亡くなった大名のうちいずれかの屋敷に庭園はなかったか、紅葉で知られた」  唐突な質問に、長島はわずかな間、思案していたが、 「そうそう、お二人のうちなら、宇部様が上様のお成りも賜った立派な別宅をお持ちでした。元はさる茶人の手によるもので、大胆に樹木を配し野趣あふれる名庭園と評判の。春は山桜に、いまなら紅葉」 「幽霊の出るという井戸もあったか」 「はて」彼は考えてから、軽く膝を叩いた。「おおそうでした。たしか、可哀想な女中が飛び込んだのでしたな」  大柄な虎之介が座を蹴って立ち上がったのを、隠居は仰天して見上げた。
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