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第十話 化物退治の修験者、来訪
小さなつぶてのような影が、赤みを帯びた空を横切った。
「あれは、蝙蝠だろうか。ああ、きっとそうだな」
虎之介は己の声に力がないのを分かっていた。
先日の乱心騒ぎによって、八十人を越す行列は、ほぼ壊滅状態となった。
行列の過半数は荷駄を扱う馬子や人足たちであり、彼らのほとんどは散り散りになって難を逃れたが、武士のうち九人が死に、残りは大怪我もしくは気絶した状態で見つかった。
小平太もその一人だった。騒ぎの現場から半里近く離れた場所にある沢に気を失った状態で倒れていたのが発見された。顔に大きな青痣ができていた。
当人は顔に湿布を貼った状態で虎之介に目通りしたが、いきなり引き倒され、そのあとはなにも覚えていないと悔しがった。
「まことに面目次第なく」
「おまえがいないと、忠次郎との掛け合いが聞けずに寂しい。生きていてくれてなにより嬉しいぞ」
目付と郡方で緊急に編成した調査役の報告によれば、行列に配属された供役のうち鴨居をはじめ五人ばかりが、ほぼ同時に暴れ出したという。しかし、騒動をはじめた連中はことごとく死んだ。それも自死した鴨居と同僚の反撃を受けて斬り殺された者以外は、
「なぜか、四肢のたがの緩んだふぬけのような」状態で死体となっていて、どういった理由で狼藉に及んだかは、皆目掴めなかった。なお、虎之介たちにはネズミに襲われたと見えた多聞らもまた、身体中が傷だらけながら、筋骨の緩んだ姿になって倒れていたと報告があった。
のち、気絶から意識を取り戻した藩士たちは、当日朝からの記憶がほとんどないと弁明した。中に数人、深夜に多聞と五平に起こされ、断りきれずに茶碗酒を飲まされたという者もいた。量は少ないが非常に美味かったそうだった。ここから、供たちが一服もられたとの説も出たが、詳しいことはまだわかっていない。
(そうだ。あの、ゆきという小女はどうしたかな)と、虎之介はぼんやり考えた。
猫に導かれて人里へ出たあの朝、宿の女(小笹という似合わない名があった)が偽金だと騒いだのを聞きつけ、姿を見せた大吉宿場の世話役に城に知らせるよう命じた。
しかし、すでに馬子の一部が夜道を駆け通して城までたどり着き、兵部によって大捜索隊が組織されたあとだったため、予想より早く連絡がついた。
時をおかず、土埃たてて駆けつけた完全武装の騎馬隊を目にして小笹は腰をぬかさんばかりに驚き、「あたしゃ一切かかわりないよ」と叫んだ。
虎之介主従が大罪を犯して逃走中であると本気で思い込んでいたのだ。
死に物狂いで走って急を伝えた者たちをはじめ、虎之介の無事帰還に功あった人々には礼物を出した。さすがに小笹にまで渡すのは気が進まなかったが、そのあたりの処理は兵部に任せた。
ただ、水汲みをしていた小女だけは、陽の下で見るとあちこちに痣や火傷があり、度を越してこき使われていたのは明らかだった。気になって身元を調べさせると名は「ゆき」、父はすでに亡く病身の母親をかかえ働かざるを得ないとのことだった。だからせめて、小笹の下よりも良い勤め口はないかと探させている。
(いい働き口があるといいな)
いくら藩主の推薦とはいえ、いきなり決まりごとの多い城勤めになどしたら、かえって辛い目にあうだろう。そう考え、ちょうど良い働き口を見繕ってもらうよう頼んである。
もし、すぐに手配ができないようなら、明信院へ頼むつもりだった。
いずれにせよ、もう一度あらためて隠居所に挨拶に行かねばならない。彼女にも心配をかけてしまった。
行列が崩壊したあと、明信院からは半日もたたないうちに、「御城主様の身に異変ありとの噂が」と、確認の使いが寄越されてきた。
使者は、桔梗の同僚である藤という名のがっしりした中年女だった。やけに物腰が落ち着いていて、なにを考えているのかが読めない。あとで聞いてみると院が江戸にいた頃から仕えている、元は忍びと噂される人物だった。
虎之介は直接会って無事を伝えたが、さすがに院の情報網は錆び付いていないと感心させられた。ちなみに雪花斎からはいまだ何もない。
こういったことを思っては、また虎之介は後悔を繰り返す作業に戻った。
(逃げるより、ましな手だてがあったはずだ ––––大勢が死なずにすんだ手が)
あれ以来、予定の公務を終えると居室から少し歩いては、庭園の中にある小屋に籠もりっきりになっていた。
側近たちは心配したが、その理由のうちに、温泉にやってきた不思議な二人組に会いたいという気持ちがあるのは黙っておいた。
人の気配がした。
「そのような薄着では風邪を召されましょう。せめてもう一枚、なにかお羽織りください」
兵部だった。
「鴨居の隠居には、伝えてくれたか」
「はい」息子の起こした事件に、父親は一族の男どもが腹を切って詫びるので、女たちの罪は減じてくれと頼んできた。虎之介は、調査によって新事実が出ないかぎり、原因は毒茸にあたっての乱心として処置し、家族には罪を負わせないよう命じていたのだった。
「隠居する前は剛直で知られた男でしたが、人目を憚らず泣いておりました。自慢の息子だったそうで」
「そうか。そうだろうな」
(これも同じことだ。わたしがもっと歳上であれば、もう少しはましな手あてができたはずだ。そして、あのときの鴨居の涙の理由も理解できたかもしれない)
「ただ」兵部は言葉を継いだ。「鴨居につきましては、もともと人付き合いは悪く群れたりしない男でしたが、克之進さまになにかのご恩を受けて以来、その一派に心を寄せるようになったようです。亡くなられた後はふさぎがちだったとの話もあります。それが惑乱の原因かはまだなんともいえませぬが、引き続き調べさせます。多聞など他の者につきましても、それぞれつながりは薄いようです。ただ」
「ただ?」
「人がらが似ているとの見方はあります。そろって拗ねもの、人付き合いが下手とされる一方、武技などひそかに誇るものを持っていました」
「そうか。気位の高い者ばかりだったのかな」兵部がわざわざ報告してくれただけあって、たしかにどこか引っかかる。「わかった。引き続いて調べてくれ」
「はい。それと、実は」
「まだ、なにかあるのか」
「直々にお目通りしたいと申す者が参っております」
一瞬、あのおしゃべりな二人組が正面突破を図ったかと考えたが、違っていた。
「江戸の修験者、玄海普照と名乗る者です。時刻も時刻ですので追い返そうとも思いましたが、明信院様の書状を持ち、さらに殿もご承知のはずと申しておるそうで」
「あっ、忘れていた。その者には会うよういわれていたんだ」
はじめて目にした普照は、想像とはかなり違った。
衣は白でも黄でもなく、目立たない暗色をしていて、わずかに白髪の混じった総髪を小さく後ろに結っている。控えめで賢げな風貌は修験者よりも学者と名乗られた方がしっくりくるが、姿勢はよくて剣法の使い手のように静かな自信が感じられた。
「ご賢察の通り。我が父は御家人にございまして、その縁で明信院様の知己を得ましたが、近い親戚にはさる国で学寮の頭を務める者もおります」
低く、ひびきの良い声を普照はしていた。
「拙僧は三男にあたり、院のお口添えで各地の寺で学んだのち大峰山に入り、さらに山々を巡って修行を重ねました。頭襟も錫杖も持っては参りませぬが、これは考えあってのこと。いわば自流を編んだとご理解いただければ」
内心思っていたことをひと呼吸で説明され、虎之介はじっと相手の顔を見つめてしまった。
(江戸にいた、まじないで評判の行者はなかなかの男っぷりだったが……)
「ほかの修験者はいざしらず、この普照は裕福な商家のための病気払い、失せもの探しの類はいたしません。理由はこの顔。女房方に受けが悪うございます。いや、これは俗なことを申しました」
間髪入れずそう言われた虎之介は、思わず、
「心が読める、のか?」と聞いてしまってすぐ、
(しまった。これが術中に嵌まるということだな)と、思い返した。
普照はかすかに笑み、首を振った。
「少なくとも、さきほどは心をお読みしたわけではなく、むろん越後守様の御前でいきなり術を施すような非礼を働くつもりもございませぬ。お顔に浮かんだ表情と後ろに控える方のお顔から推察いたしました」と、床机役の小西左馬之助を指して、彼をどぎまぎさせた。
「さらに、山を降りて以来、さまざまな身分の方とお会いし、胸の内を聞いてまいりました。その積み重ねともいえます」
「せ、拙者と殿が同じことを考えたと申されるか」左馬之助がうろたえて聞くと、
「むろん、すべてが同じではない。ただ、おそれながらお二方とも江戸生まれ、お育ちもほぼ江戸とお見受けいたす」
「なるほど。生まれが近いと、人の考えはたいてい似たものになるということか」虎之介は笑顔になった。「それに祈祷も武芸や講談と同じく、相手をどうにかして術中に引き込むのが要だな」
すると普照も小さくうなずき、「薬師であれ飯綱使いであれ、まず信じていただかなければ、相手のお役には立てませぬ」と、自らつかみが肝要だと認めた。
「おお、そうだ」虎之介は膝を叩いた。「江戸から、この城下に怪しい気配が満ちておるのを感じたとか」
「恐れながら、遠望の術というのはございますが、このたびは御府内から御城下を透かし見て異変に気づいたわけではござらぬ」普照はあっさりと前言を否定した。「されど、ここ一、二年の間、似通った怪異のあるのを知りました」
江戸の大名屋敷や富豪から祈祷や供養を頼まれる中、不思議な共通点を持った怪奇現象の存在に気がついた。
それは元気だった当主が急に具合を悪くして、病みついたかと思えば治ることを重ねて、最後は異様な死を遂げる。いずれも普照が呼ばれたのは、当人が手の施しようがない状態になってからや埋葬の済んだあとであり、
「すさまじい念の残照のようなもの」は感じたが、原因を特定するまでには至らなかった。だが、気になって調べているうちに、鵠山の事件を耳に挟んだ。それは、都合四人もの元気だった男が短期間のうちに亡くなったとの話だった。
鵠山といえば、旧知である明信院の国。そこで手紙を送ったところ、間も無く返事があった。それによって、先代藩主が最初に倒れた時期は、一連の事件のうち最も早いことがわかった。
「ご先代の病がはじまったのは、国元にいらっしゃる間だったとか」
虎之介の義父である先代藩主は、国元で発病したのちいったん快癒し、参勤のために江戸に行った。しかしそこでまた倒れ、その後寝たり起きたりを繰り返した。
虎之介に家督を譲る前後は小康を得たこともあり、養生のために手厚い介護の可能な国元に戻るとの話も出たりしたが、最後には「国には戻りとうない、恐ろしい」と、譫言を言い続けて亡くなった。
臨終の様子はごく一部の人間しか知らないはずであるが、普照の顔を見ていると、
(どうせ院か配下の忍びから知らされているんだろうな)と思わされる。
「そこで、この地にしばしとどまり、怪異の一端を探りたいと考えた次第」
どこかに飛躍を感じ、小首をかしげた虎之介に修験者は、
「殿のごとき英明なお方には、隠し事はできませぬな」とおだててから、自らの体験した怪異の話をした。
まず、さきに話をした江戸での怪死事件について、「ふたつとも、さる大名ご自身に起こったことにございます」
普照はそう明言し、備後と北陸の某藩江戸屋敷がそれぞれの舞台であると語った。いずれも鵠山の先代よりも病臥していた期間は短かったが、死ぬ前後のせん妄はそっくりだった。
「どちらも倒れた当初は赦しを乞う様子をなさり、行きたくない、連れて行かないでくれとしきりに訴えられていたようですが、すぐに意味のわからない譫言になったとのこと」
「ふむ」
そして普照は、それぞれの江戸屋敷を訪れた際、いずれも同じ不審な男によって見張られているのを見抜いたのだと言う。
「拙僧にとり、術をほどこされたり、呪によって支配された者を見分けるのは、決して難しいことではありませぬ。そしてそれを認めさせるのも」
「えー、それは石を抱かせたりしたわけか」
「この普照、盗賊改などではございませぬ」と修験者はやや憤然とした。「人を頼み、その者をとらえたのち、神仏の力を借りてかけられた術を取り除こうと試みました」
「つまり、憑き物落としをしたということか」
「ご明察。拙僧の見るところ、男は両の目を通し離れたところにいる何者かに伝えておったように思われます。そして、相手の場所を問いただしたところ、男の口から出たのが、やはり鵠山にございました」
「文のやりとりをしていた、というわけではないのだな」
普照はだまってうなずき、「この国に参った理由は、死んだ殿様方は鵠山になにか関わりがあったのではないかと考えたため。さらに憑物落としをしたがため、こちらの正体と意図を感づかれた恐れが強く、それで急ぎました。なにしろ男はそのあと」
「うむ、どうなった」
「信じ難くはありましたが、間も無く五体のたががすっかり緩み、人より肉塊と呼ぶべき姿に成り果てました。不思議と血の出るは少なく」
言葉を聞いたふたりの表情を見て、普照もまたやや驚きの顔を見せた。
「すでにこちらでも異変がございましたか。これはうかつでした」
「わざわざ危機を知らせてくれた者がいた」虎之介は言った。「なのにこの愚か者はそれを本気にせず、家臣の身に危機が及ぶのに思い至らなかった」
「それは、無理からぬことでは」
「いや、わが怠慢のせいだ。手を打たずにいたら、翌日には信じがたいことが起こった。もし誰かがわたしを追い出すためにやっているとしたら、手の込んだことだ」
虎之介はそう言って、疲れたように目を閉じた。「人死にが出てしまったのだ。一人や二人ではない。避けられたのではないかと、いまも思う」
「殿」普照は座敷に手をつき頭を垂れた。「これにおるは役立たずの愚か者にございます。国の名を突き止めたのみでいい気になっておりました。験力をうたいながら家中の方々の死に気づかぬとは。お嗤い下され」
「いや、だからこそ信じることにしよう」虎之介が言うと、普照は不審げな顔を上げた。
「むかしある者に、天の下すべてのできごとを見渡せる易者などおらぬ、とひどく怒られたことがあった。前に生国の家臣の屋敷にいたころのことだ。こっそり出かけた神社の縁日で、八卦見に小遣いをすべてやってしまったのだ」
虎之介は穏やかな顔をしていた。
「世話をしてくれていた老人にそれを知られ、とても叱られた。八卦見はただ単に目の前の客の顔色を読み片言から腹の中を探り、調子を合わせただけにすぎぬと言うのだ」
思わぬ主君の告白に、そばに控える左馬之助が驚いた顔になった。
「だが、それでも良かった。悩みを逃れ得るすべを教えてくれずとも、一緒に考えてくれるだけでうれしく思えたのだ。事実そのときは、毎日くよくよと悩んでいたことが、少し楽になった」
普照は無言でまた平伏した。
「いや、おぬしを八卦見扱いするわけではないし、予に見えぬものが見えるのも疑ってはおらぬ。その通力と謙虚な心を持って、きっと力になってくれるとは思う。だから、なにをすればいいのか教えてくれぬか」
いったん顔を上げた普照は虎之介のうなずくのを見、
「わかりました。必ずや怪異の源を見つけ出してご覧に入れます。それにはまず、城下を自在に歩くのをお許しいただきたい」
「おぬしがか。歩き回って探すというのか。痕というか目印があるようなら、町方にでも探させるぞ」
「呪をかけられた者の多くは、白目が黄ばみ汗をあまりかかなくなります。ただ、五臓を痛めてもそうなりますので、しかと見分けるには修練を要します。でき得るなら、この目で直に確かめたいと存じます」
ひととおりの要望を聞き、明日中の連絡を約束して、虎之介は修験者を下がらせた。
外はすっかり暗くなっていた。しばらく庭先に出ていたが、二人組は現れない。灯りを持った兵部が丸橋を渡ってきた。
「修験者は駕籠で宿に送らせました。それと先ほど、例のゆきという娘についての知らせがありました」
「おお、そうか」
「指南役の朝倉の家が、ちょうど人を探していたそうで、すでに大吉へ迎えをやりました」
朝倉は藩の剣術指南役であり、城下に道場を開いて内弟子も置いている。住居にも余裕があるし、さまざまな身分の人間が出入りして、初めての武家ぐらしでも息が詰まったりはしないだろうということだった。
「朝倉の妻女が、あの宿の女みたいに怖くないといいな」
虎之介が冗談のつもりで口にすると、
「それも考慮いたしました。ご存知のように朝倉は口数の少ない男ですが、妻女は大違いの朗らかな女。道場はあの女房で持つと評判のあるほど、面倒見が良いそうです。前にいた小女も家から嫁に出し、それで人がいるとか」
「そうか、うまくいけばいいな」
「ときどき寝込むという母親も引き取って、一緒に住まわせます。道場の隣人は医者の井戸田順庵でございます」
「ほう、それは助かった」これは真喜に書き知らせねば、と虎之介は考えた。
すると兵部の方から、
「さきほどの修験者をお使いになるおつもりですか」と聞いてきた。
「月番にそう命じたら、狂ったと思われるかな」
それは言い様でしょうと、兵部は言った。
「幸い、鍋山様はまだ頭の柔らかいお方、殿の意を汲まれて上手に手配されると存じます」
「しかし、修験者というのは、思っていたのとずいぶん違った。もっと精気の前に出た男かと思った。こう、錫杖を持って」
「それが」と兵部が言った。「あの者も、噂とはずいぶん違ったお方だったと漏らしていたそうで」
「どんな噂を聞いていたのかな」
兵部は笑ったはずだったが、暗くて表情までは読めなかった。
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