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第十四話 怪僧対修験者
「見えんな」木椀にはった水鏡をじっと見ていた円津は、ひとり首を振った。
新しい藩主の国入り以来、以前ならできた術が、ことごとく上手く行かない。
それが、新しい藩主の持ち込んだ忌まわしい二刀の影響なのは明らかだった。
さらに困ったことに、時が経つにつれ刀の影響はますます強まりつつある。
太刀が天守に安置されると城の様子がさっぱりとつかめなくなったし、それ以来、手足のように感じていた結縁たちが糸でも切れたように指示に従わなくなり、情報を吸い上げられなくなった。城下の要所要所には、それなりの数の結縁たちを配してきたつもりだったが、いまやほとんどの存在を感知すらできなくなった。おそらく滅びたのだろうが、彼にもわからない。
なにより円津自身の体が重くてたまらず、時折めまいがする。
彼と六兵衛が手間ひまかけて構築した、この国を内側から潰すためのしくみが、たかが二本の刀のために消滅寸前にあるのは認めざるを得ない。前藩主を苦しめたうえで始末するという最大の目的は達したが、主よりも円津が強く望んだ鵠山の崩壊とそれによる大混乱を招来する計画は、もはや烏有に帰した。
「ぬかったな」破れ寺の本堂にあぐらをかいたまま、僧はまた首を振った。
すでに幾度か彼の主に指示を仰いではいるものの、いまは江戸での「遊び」にすっかり気を取られている様子であり、まだなにも明確な返事はなかった。主はすさまじい呪力の持ち主であるが、ひとつのことに気を取られると、たとえ些細なことであっても気の済むまで追いかけるくせがあった。部下としては長期計画が立てにくくて仕方ない。
とはいえ、主の気が変わった時のために、体制を立て直しておくにこしたことはなかった。
まず、中途半端なまま町外れに隠した質の良くない結縁たちを、広さに余裕のある場所へと移動させねばならない。そして時をかけて結縁たちへの刀の影響を拭い去り、さらには要所ごとへの再配置を済ませ、大風の吹く日を選んでいっせいに城下に火を放つのも一興だと思っている。
ただ、主がそれを望んでいるかは別だ。元は武家生まれの円津が、軍事作戦的に動く傾向が強いのに比べ、主は相手をなぶるように痛めつけるのを好んだ。
また、過去の出来事のせいか、火を使うのをひどく嫌う。
先日の藩主襲撃もそうだった。
円津は持てる戦力すべてを投入し、火攻めまで利用し一挙に相手を制するつもりでいたのに、肝心の主はあの若い藩主が家臣に裏切られ、ぶざまに逃げ出すのだけを楽しんでいた。
そのせいで相手の警戒心を強めてしまった。
隠れ家に使っている廃寺のあちこちにある隙間から、夜明けの光がさしてきた。皮肉なことに寺や社の内部なら刀の干渉は心持ち和らぐのだった。
(そろそろ、暗がりに移動しなければな)
虫丸を待っていたが、まだ戻ってこない。円津は日を浴びても死ぬわけではないが、能力は数等落ちる。
彼自身には確かめられないが、計画が順調なら、まもなく虫丸が刀を一本でも持ち帰ってくれるはずだ。
あの、主の心すら弱らせる刀を処分しさえすれば、まだ巻き返しはたやすいと感じている。
正直なところ刀に正対する自信はなかったが、そのときは、
(この身を捨てればよい)と、思っていた。
主が必要と思うなら、身体はあとで新しいものを調達してもらえるはずだ。若く、際立って体格のいい藩主のそれを乗っ取るという手もある。
円津は口元を歪めた。笑ったのだ。
(可能かどうか、朱さまにおたずねしてみよう)
藩主を我が体とするという妙案を思いつくと、先日からずっと途切れなかった全身の倦怠感が和らいだ気がする。
(そうだ。騙して城主を誘き出して、おれが乗っ取ればいい。とにかく刀がなくなれば、なんとでもなる)
のけぞって笑おうとして、僧は動きを止めた。かすかな物音をとらえたのだ。
鋼線で補強した錫杖を手に取って、耳を澄ませる。抑制された集団の足音がした。金属のすれる音もする。
(うぬ。虫丸め、見つかりおったか)
素っ破くずれだけある体技の確かさと機転、そして残虐性を気に入って、彼にしては長く使い続けてきたが、信頼しすぎたようだった。
仕方なく、掘っておいた抜け道に入ろうとすると、なにかが風を切って飛んでくる音がして、そのうち焦げた臭いがしはじめた。
(ほう。火矢まで繰り出すとは、思い切ったな)
円津はちらっと感心してから、暗くじめじめした穴に身を投じた。
偶然見つけた隠し通路に手を加えたもので、虫丸には教えていない。対応できる人数なら、反撃しよう。
「見逃すな、じきに飛び出てくる」
外では町方同心と与力、弓組に大番組の面々、そしてそれぞれに付いた従者たちが寺を取り囲んでいた
指揮官選びは一度揉めかけ、駆けつけた月番家老の鍋山によって、先日から面目をなくした立場にある大番組一番隊の石井内記に任された。
張り切った石井は、「まてよ、落ち着けよ」と下知し、自らも目をさらのようにして炎を吹き上げる廃寺を見ていたが、
「おかしいな」と自信なさげに首をかしげた。
その様子を見ていた兵部の腹心、原田大輔は振り向いて横にいた町方に合図した。一人がどこかへ駆けて行った。
穴から這い出た円津は、寺が炎に包まれる様を横目に、枯れ葉を身につけたまま腰を屈め、森の中に駈け込もうとした。
しめった落ち葉を踏もうとして、足がとまった。
円津はうめき声をあげ、その場に崩れた。土を掴んで身体を起こし、血走った目で周囲を見回す。
視野に飛び込んできたのは、廃寺の焼けるのとは異なる炎だった。
ずっと小さな囲いの中で火が燃えている。反対側に人がいた。まっすぐに円津を見、手を口元に上げてなにかを念じている。
「おのれ」
低くうめいた円津は、地面の錫杖を取り直し立ち上がろうとした。
しかし、全身に重しを巻き付けられたように、ゆっくりとしか動けない。
それでも片膝をつくのに成功した円津は、十間は先にいる普照をにらみ、敵と同じようになにやら唱えはじめた。
円津が這うように近づくごとに、普照の前にある護摩壇が激しく燃え、時に護摩木が弾け飛んだ。それを見て普照もまた、声を励まし、呪をかけ続ける。
互いの距離が五間ほどに接近したとき、円津の額には血管がふくれあがって汗が光り、普照の白い額には皮膚の裂けたような傷があらわれ、血がひとすじ流れていた。
ようやく二人の間で起こっている争いに気づき、武士団が周囲を取り囲んだ。
しかし彼らには目に見えない力の応酬がわからず、単に牽制し合っているようにしか見えない。
「ぎゃっ」
手槍を揃え、円津に突撃した大番組の四人が、まるで大きな手にでもはたかれたように吹き飛んだ。すぐに別の三人が突っ込み、また吹き飛んだ。
汗みずくの顔でそれを見て、円津は不敵に笑った。そして、
「神妙にせよ」と声をかけた石井を錫杖で指した。みるみる彼の顔が真っ赤になり、両手で首を掴んだまま馬上から転げ落ちた。
「カン」
普照の声が響き、円津が地面に手をついた。石井が激しく咳き込んでいる。
手に手に得物を持った町方が、恐る恐る円津の周囲に展開する。
「おのおのがた急がれるな」普照が叫んだ。「これは人外の魔物。刀槍の技は通じぬ」
「はは、おのれがお節介な修験者か。正しく修行は積んでおるな。いまどき珍しい」
円津は上体を起こすと錫杖を地面に突き立て、左の腕を右手の手刀でないだ。すると血がこぼれた。最初は少なく、次第に量が増え、のたうつ蛇のように落ち葉に覆われた地面へと勢いよく流れた。
「ならば、これは止められるか」
口元に指を当てた円津は、鋭く二、三の短い言葉を発した。
瞬きを何度かするうちに落ち葉が揺れはじめ、そこから蟻の大群が溢れ出て来た。ムカデやミミズ、ダンゴムシ、そして蛇が地面から際限なくはい出して来て、円津の周囲で輪を描いて行く。
またたくまに虫たちは渦となり、轟音を立てて襲撃者を逆に取り囲みはじめた。あたりは騒然となった。
足をあげたりさげたり、大慌ての侍たちを馬鹿にしたように普照は、
「それは目くらまし。まあ、時に本物もおるかな。ムカデと蛇には気をつけられよ」といって、護摩壇を越えて円津にゆっくり迫った。
虫の波が遮ろうとして、かえって散り散りになった。普照は片手を円津に突き出して呪をとなえながら、懐から独鈷を取り出した。それを見た円津は、
「ふん、とどめのつもりか。気の早い」と荒い息で言いつつ膝を矯め、まるでバッタのように高く跳び、普照の頭上を飛び越した。
普照は一声大きく叫びながら独鈷を高く持ち上げた。三間は離れて降りた円津は、しかしそのまま地面に膝を突き,振り向いたその顔はみるみる肉がはげ落ちて、骨が露出した。
「次は、見ておれ」かすれ声でそう伝えると、円津は衣と骨と肉に別れて地面に崩れた。
武器を持った捕方たちが駆け寄ろうとすると、
「またれよ」普照が鋭い声で制した。
彼は円津が地面に差したままの錫杖を持ってくると、円津のものだった衣装と肉の塊を突いたりかきまぜたりするうちに、ひとつの臓器を見つけ出した。
まだ、脈打っている。
見下ろしている普照のもとに、四方に配置されていた討伐隊がこわごわ集まってきた。
「これは、いったい」手を布で押さえた隊長の石井が尋ねた。異臭があたりにただよっている。
「この化け物の、心の蔵」普照は静かに答えた。
「うえっ」
「ま、まだ動いております。生きておるのですか」原田が聞くと、
「ええ。あくまで推測ですが、この臓が残れば、甦ることもできるのかもしれませぬ」
「手足がここから生えてくるとか」
「さあ」と言って普照は笑みを浮かべた。「仲間に拾いにこさせて、だれかの体に移し替えるのかもしれませぬ。腑分けでもするのかも」
その情況を想像したらしい討伐隊から、咳き込む声や嘔吐が相次いだ。
「理屈はわかりかねますが、さっさと始末するとしましょう。これで敵をおびき寄せよう、などと下手に欲を出したらどんな災いの種になるとも限りませぬ」
錫杖をふたたびとりあげた普照は、また呪をとなえた。草の上に引き出された円津の心臓は驚くほど激しく脈打っていたが、普照は構わず、「次は、ない」といって錫杖を突き刺した。黒い血がどろりと流れた。
そして修験者は、崩れた護摩壇から、まだ煙を上げる炭を素手で掴んで臓器の上に積み、しばらくぶつぶつとつぶやいていた。
消し炭はふたたび火を吹き上げ、円津の心臓を真っ赤な炎でつつみ、天高く煙を上げた。その怪しい光景を、討伐隊は呆然とみつめていた。
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