第十五話の②  理由は恨み・後編

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第十五話の②  理由は恨み・後編

 追手門には捜索隊と一緒に虎之介を待っていた普照がいて、藩主の姿を認めるや自信に満ちた顔を彼に向けた。そして、 「かならずや、この国に漂う怪しい気の元を見つけ、吹き払ってごらんにいれましょう」と請け合った。 (この前よりずいぶん言葉が軽くなっているな……)  不安が高まるのを感じつつ、一行を見送った虎之介だったが、不幸にもそれは的中してしまった。  だが、その時の彼には知る由もなかった。  早めに寝所に入った虎之介は、今夜もまた、なかなか寝つかれないでいた。  いまだ互いに打ち解けられず、内心の把握できないでいる重臣たちとの関係は、(大人と子どもだからな、仕方ない)と割り切ることもできる。  その一方、暖かい夜具の中にいても彼の気持ちを落ち着かなくさせているのが、先日来続いている怪事件だった。それは思ったよりもずっと根深く、黒幕だという朱という存在も、その正体はまだろくに解明できてはいない。ただ、強い悪意をこちらに抱いているのだけは間違いあるまい。  そして、彼の部下たちはいま、その捜索に向かっている。 (また、誰かが犠牲になるのではないだろうな)  たくさんの不安がいっぺんに胸にのしかかり、子の刻あたりになってようやく、虎之介はうとうとしはじめた。  いつのまにか彼は、どこかよくわからない場所を彷徨っていた。  いや、夢の中の彼ははっきりと行き先を自覚しているようだ。  暗い夜道をわずかな灯りを頼りに歩いていて、足下には落ち葉が土を覆い隠していた。 (どこの森だろう。この前、忠次郎らと歩き回ったところかな)  思考力のとぼしい頭で彼は考えた。  先日の山道にしては、土はやわらかく、ねばついている。  見ると、足下は丈夫そうな草鞋を履いており、手には杖を持っている。歩いているのは自分とは違った別の男であるのを、虎之介はとくに不思議とは感じなかった。  男はしっかりした足取りで坂道を進むと、蔦や木の葉で隠された黒い扉を見つけた。しばらく、様子を見ている。  周りにはたくさんの人がいて、合図に応じて手に手に持った龕灯や松明に火を灯した。そして、扉を開いて暗い内側を灯りを突き出して、照らす。  周囲の人びとはそろって腰が引けている。   男は、持ってこさせた鉄の枠を地面に下ろし、その中に火を起こした。虎之介は自分が目を借りている男が、真言らしきものをとなえはじめたのがわかった。  もしかして、本来の視線の主は普照だろうか。  しばらくして、黒いものが奥から飛び出してきた。  人だ。三、四人はいた。  炎に浮かび上がった顔はいずれも血の気が失せて白っぽく、全体に薄汚れている。長く同じ姿勢でいてこわばってしまったかのように、身体はぎくしゃくとしか動かない。  そのため、威勢よく出てきたわりには、連中は棒を手にした捕り手にやすやす取り押さえられた。女はいないようだ。そろって男で、体には浴衣のように薄い衣装を身につけただけである。夏物のままなのだろうか。  その間、虎之介はずっと自分の口からこぼれる呪文を呟いていた。飛び出してきた中に派手に暴れたのがいて、捕り手たちに棒で殴り倒された。  ひとびとの興奮が伝わってくる。  ふいに悲鳴が上がった。倒された体の男が突然、胸のあたりで激しく裂けたのだ。臓物や骨は見えても血はほとんどでない。  ほかの汚れた男たちも次々と同じように体が裂けていったが、この前のように溶け崩れたのはいない。  怯えた捕り手たちがこちらの顔を見ている。  しかし、夢の中の彼はおごそかに、 「思うに、結縁のし損ないであろう。奴らが仲間を増やすのは、あまり歩留まりがよくないと見える。これらは、捨てるはずであったのを残していったのであろうか」と、聞いたようなことを言ってから、戸の奥に踏み入った。  狭くいやなにおいのする中をゆったりと歩き回った。  捕り手たちが照らすと、壁が浮かび上がった。人の背よりやや低いぐらいの高さに掘り上げてある洞窟の内部には、鉄によって補強した長持ち風の木箱があるだけで、とくに気を引くものはない。  隠れ家のはずなのに、家具や什器もない。また、においも厠や肥だめの生々しいそれではなく、古くよどんだ、すえたようなにおいである。  足下は暗いが、感触だけで土だろうと知れた。  別のなにかが足に当たった。白っぽい。見ると人の手だった。  思わず足をあげる。しかし、手は彼の足をおいかけてきた。腕や肩、そして頭が地面からついて出てきた。  頭髪はない。それどころか、顔の左半分は肉がそげてしまっていて、骨が見えている。  迷わず、手で持った杖をその目玉を突き刺した(こんな残酷な仕打ちができたのには自分で驚いた)が、禿頭は傾いただけで痛がるそぶりを見せない。  禿頭の手が彼の足をつかんだ。  すると、「そら。また会えた」と歌うような調子で言った。  虎之介はそのままものすごい力で地面の中に引き摺り込まれていった。  声にならない悲鳴をあげつつ引っ張られていくと、視界が黒から赤へと変化し、いつのまにか赤い海のような水底にいた。どこかでまた声がした。 「ぜひ一度、余人を交えずこころゆくまで話し合いたいものよ」  一瞬ののち、虎之介は目を開けた。  赤い海ではなく、薄暗い天井板が見えた。  しばらくのあいだ、ぼんやりしていた。  夢にしては生々しすぎた。やさしく禍々しく、男とも女ともつかない声も耳に残っている。 (まさか、朱かな……)  不寝番がだれもこなかったのは、実際には悲鳴をあげなかったためのようだ。  いや、まてよ。全員死んでしまったとか……。  不吉な考えが浮かび、虎之介はそっと寝所の戸を開いた。  朝倉が刀を引きつけ、居合腰になってこちらを見ていた。その向こうで床机役二人があわてた顔をしている。 「いかがされましたか」朝倉がささやいた。 「すまぬ。おかしな夢を見ただけだ」 「それはお気の毒に。ごゆっくりお休みを、まだ夜は長うございます」 「おぬしらにこそ休んでもらいたいが、そうはいかぬのかな」すまなそうな顔になった虎之介に、「いいえ、昼間適当に寝ております。ありていに申せば、いつもより多く」と、朝倉はにっこり笑った。  布団に戻ったが、また寝付かれない。  寝返りを繰り返すうち、どこからかつぶやくような声がした。 「若さま、眠れねえのかい」 「久太どうした、こんなところに。苦手ではないのか」  いつもの張りのある口舌とは違い、久太は明らかに元気がない。 「なあに、たいしたこた、ない。それより、大事ないかい。気になってちょいとこっちまで見にきたのさ」 「それは、悪いことをしたなあ」 「殿、なにかございましたか」粥川又八の声がした。 「いや、独り言だ。寝付かれなくてな。すまない、気にするな」 「はっ、おやすみなさいませ」  一段と声を潜めて久太が言った。「とのさまって家業も、めんどうだな。これじゃ好きにあくびもできねえし、屁もひれねえ」 「まあ、仕方ないさ」 「それがよ、姐御もずいぶん心配してなさるのさ。このごろ若さまが存分にお眠りになっていないと聞いて、朱の奴がまた悪さをしてやがるのではないかって。おいら、姉御の癪の方が怖いよ」 「たまどのは、そんなに怖いお方なのか。怒らせないようにしなくては」 「まあね。でもあいつ、朱のやつ、人の夢に出て見たくもない嫌なものを見せたりできるんだ。まあ、おいらたちの仲間にも、人にまぼろしを見せるのが得意なのがいるにはいるがね」 「ほう、そうか」 「朱の術はさ、手がこんでるらしいよ。あいつ相手をしつこく嬲るのが好きなんだって。夢に出るってことは、相手を休ませないってことだからな」 「ところでたまどのは、どなたからわたしの寝付きの悪さを聞いたのかな」 「さあね、なんせ顔の広いお方だから」あわてて久太は話を逸らした。 「けど、姐御が一声かければ、この国どころか日本中から腕自慢が馳せ参ずるぜ。『いざ鵠山』ってやつだ。あちこちから慕われているお方だからな。あの朱がさ、手間ひまかけて取っ憑いて回らないと手下が増えないってのは、徳がないってことなんだろうな。大違いだ」 「たまどのと朱は」思いついて虎之介が尋ねた。「生国が同じなのか?それとも先祖が同じ一族であったとか」 「まあ、おいらの知る限りじゃ、どっちかいえば後かな。聞いたところによると、姉御みたいなのは、長生きしたのがなるんだ」 「そうか、長老だったとはな。それにしては声が若い」 「これは言っとかなくちゃならないけど、姉御は見た目も若いよ。それでさ、朱みたいなのは恨みのせいでなるんだ。だれかにひどい目にあって、恨んで、恨み抜いて力を得た。だから根性が曲がっちまってる。けどよ、恨むのは勝手だが、ほかを巻き込んじゃいけねえよな」 「うーむ。苦労も度を過ぎると、心を磨かずに腐らせてしまうということかな。だが、わたしのような生まれだけで人にかしずかれる立場になった男には、あまり厳しいことはいいにくいな」 「そ、そうかい。おさむれえの事情はいまひとつ分からねえ。それより、ほんとに身体はなんともないのかい。あんまり顔色よくねえぜ」  一瞬迷ってから、虎之介は伝えた。 「いまさっき夢を見ていた。男とも女ともつかぬ声に、ぜひ会いたいと言われた。声がしたのは、水底のようなところで、赤かった。あれが朱だろうか。会う日取りは、また知らせてくれるそうだ」 「おえっ。そうかい、わかったよ。さっそく姉御にご注進申し上げてくる。この久太にまかせてたもれ」 「たまどのには、心配をかけてすまないと伝えてくれ。それに、おぬしもあまり無理をしてくれるな」 「へへへっ、若さまこそあんまり気に病むなよ。あの馬鹿の思うツボさ。なあに、いつだっておいらたちがついてる。いざとなりゃあ、若さまの御家来衆よりも大勢が助っ人に駆けつけてくれるさ」 「それは、心強いな」軽い冗談のつもりで口にしたのに、ほんとうに涙ぐみそうになって困った。 「へっ。気にするな。おれたち仲間じゃねえか」  こころなしか久太の声も湿っぽかった。 「やつの脅しなんて、いっしょに跳ね返そうぜ」 「そうだな」 「おいら、絶対に若さまを裏切ったりしないさ。安心しな」 「ああ、信じるよ」 「じゃあな、またくるぜ」  かすかな声のあとは、なにも音がしなくなった。  虎之介は、ついにこぼれてきた涙を手で拭ってから、またまぶたを閉じた。 「そうだ」  今度は跳ね起きた。 「殿、いかがされましたか」不寝番から声がかかった。 「怨みだ。狙われた理由が、わかるかも知れない」
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