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日が傾くころには、大勢はほぼ決着していた。魔族の中にも魔法を使うものはいたが、燃える石や氷のつぶてといった攻撃は、全て見えない障壁に遮られた。ミハは、大魔導士の底知れない力にただ驚くしかなかった。
「今晩はもう、襲ってこないと思うわ。あらかた瘴気を散らしてしまったから、向こうも一度集まって立て直しを図るでしょう」
「立て直させてしまって、大丈夫でしょうか……」
言いかけて、ミハは口をつぐんだ。開戦当初ですらエリシテルに敵わなかったのだ。多少知恵のあるものがいれば、前進より退却を考えるだろう。
ミハは再びエリシテルを背負うと、来た道を戻った。稜線を越え、孤児院の近くまで来たころには、辺りは暗くなっていた。
「エリシテルさま、もうすぐです」
「……」
「エリシテルさま?」
「……え、え」
返ってきた声は弱々しく、ミハは足を止めた。
「エリシテルさま? 大丈夫ですか?」
「……だい、じょうぶよ。ええ」
「一度降りて休みます?」
「本当に大丈夫、うとうとしていたみたい」
「そうですか……もう少しですからね」
ミハは足を早めた。とっさに『病』の再来を疑った、その嫌な不安感がまだ胸に残っている。身勝手な話だが、今エリシテルに戦列を離れられることは考えたくなかった。
それにしても、エリシテルの回復ぶりはどういうことだろう。ミハは改めて疑問に思った。『黄昏の病』は一進一退だというが、今日に限って奇跡的に復調したと考えるのは話がうますぎる。これまでにも調子の良い日はあったけれど、今日のエリシテルはまるで別人だ。
「ミハ姉! エリーさん!」
孤児院の前まで来ると、二人は総出で迎えられた。子どもたちの顔を見ると、言いつけを破って建物から出てきたことを怒るより、彼らを守りきれたという安堵感でミハの胸はいっぱいになった。
ナナとヤンがエリシテルを降ろし、ほとんど抱えるようにして連れて行く。キヤはミハの体を確認した。
「ミハ姉、怪我は? 包帯に血がついてる」
「昨日の傷が開いただけだよ。問題ない」
「本当に? 他には怪我してない?」
「ああ、本当に」
夕食の席で、子どもたちは一日じゅう鳴り響いていたすさまじい音や、空を照らし出した強烈な光について口々に語った。魔法の威力は、山のこちら側まで十分に伝わっていたらしい。
「エリーさんはすごいねえ!」
ユイが憧れの目でエリーを見つめた。隣のナナは、まだ心配そうな顔をしている。
「ミハ姉、明日も行くの?」
「ああ。エリシテルさまがだいぶ片付けてくれたけど、しばらくは様子を見ておかないと……」
そこまで言ったときだった。急に遠くで何かが爆発するような音がして、建物に揺れが走った。
「今のは!」
ミハは席を立つと、孤児院から走り出た。子どもたちが後に続く。
山の向こう側、ちょうど湿地の広がる方角に大きな火柱が立ち上っていた。炎が空を赤く焼き、黒煙が湧きあがっている。子どもたちが悲鳴をあげた。
「あれは」ミハは呆然とつぶやいた。「まさか魔族が……」
「違うわね」
最後に出てきたエリシテルが言った。彼女は、森との境目になっている辺りの闇に向かって声をかけた。
「アズモントでしょう? お出でなさい」
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