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「わたくしが『黄昏の病』を自覚するようになったのは、もう数年も前のことよ」
エリシテルは静かに言った。
「初めはほとんど気にもしなかったのだけれどね。病が進行するにつれ、だんだん自分の責務を果たすのが難しくなっていきました。それどころか、意識の混濁した状態で、魔力を暴発させかけたこともあるわ。アズモントや他の弟子がいなければ、何度か王都を火の海にしていたでしょう」
「そんな……」
呆然とするミハの手に、エリシテルの手が乗せられた。乾いた、固い感触だった。
「だからわたくしは、魔力封じの腕輪を使って自分の力を押さえ込みました。けれどそうなったわたくしは、もうただの老人でしかない。それも『黄昏の病』にかかった、厄介な老人よ。わたくしは怖かった。これまで王国の剣となり盾となってきた我が身が、誰にとっても迷惑で、無用な存在になってしまうことがどうしても怖く、耐えられなかったのです」
「では、あの山にいたのは」
「わたくしの意思よ。自暴自棄になって、山奥で誰にも気づかれずに死のうと思ったの。意識がはっきりしているときに少しずつ準備して『縮地の術』を使い、転移しました。その後、あなたと会って助けられてしまったけれど」
エリシテルは淡々と説明する。その言葉を拒否するように、ミハは首を振った。
「でも、昨日はあんなにお元気だったじゃないですか! 昨日のお働きぶり、あれは……」
「禁術を使われたのだろうな」
いつの間にか、戸口にアズモントが立っていた。彼は室内に入ると、寝台の足元に立ってエリシテルを見下ろした。悲しげな目をしていた。
「精霊と契約し、一時的に『病』を遠ざけた。今、その反動が来ているんですね」
ミハの脳裏に、決戦の前夜、屋外をさまよっていたエリシテルの姿が浮かんだ。虚空に向かって両手をかかげたあの姿。あれは禁術を使った直後の姿だったのか。うわ言のように「もう少しだけ」とつぶやいていたのは、病に対して猶予を求める言葉だったのか。
「あなたは、それを……私たちのために……」
唇が震え、何も言えなくなった。黙ったままエリシテルの手を握ると、その手は弱々しく握り返してきた。
「気にしなくていいの。あなたと子どもたちは、ありのままのわたくしを受け入れてくれたわ。わたくしに老いて衰えることを、死を受け入れる勇気を与えてくれました」
「俺たちだって、いたのに」
アズモントは打ちひしがれた表情で、寝台の足もとを睨んでいた。エリシテルはいたわるように言った。
「あなたたちは近すぎて、どうしても頼れなかったのよ。でもそれも、わたくしが意地を張っていたということなのでしょうね……」
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