黄昏の魔導士

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 台所で夕食の支度をしていたミハのもとに、子どもたちの最年長で十七歳のナナがやって来た。 「あの人、眠ってしまったわ」 「そうか。ありがとう」  孤児院に着くと、ミハは老女にお茶と軽食を出した。そのころには老女も落ち着いていたので、ナナたち数人に後を任せ、夕食当番の子どもたちを手伝っていたのだ。 「急に怒り出したりはしなかった?」 「ううん、全然。ちょっとぼんやりしてたみたいだけど。ミハ姉、あの人……」 「ああ。『黄昏の病』だろうね」  『黄昏の病』はその名の通り、人生の黄昏――老年期――に多く表れる様々な状態の総称である。記憶力の著しい低下やせん妄、徘徊。突然、ぎょっとするような罵詈雑言を吐く者もいる。『病』と呼ばれてはいるものの、その理は草木が枯れるのと同じ、自然の定めなのだろう。そのため、患者は発症後も家族と暮らすのが一般的だ。都市部には富裕層向けの養老院などもあるらしい。  だが貧しい辺境地域では事情が異なる。ミハは山歩きの最中、何度か遺棄されたと思われる白骨死体に出くわしたことがあった。ほとんどが老人のものだ。あの山が影で『姥捨山』と呼ばれるゆえんである。 「ミハ姉、どう思う? あの人、山の中にいたってことは……」  周りの子どもたちをおもんばかって、ナナは声を落とした。ミハも声を潜める。 「私も最初は疑った。でも、あの人はこの辺りの人じゃない」 「それはそうね。だって、凄く上品だもの」  姥捨ての疑惑を否定され、ナナの表情は明るくなった。 「魔族が減ってからは、生活に余裕ができても減ったっていうし。……じゃあ、どうしてあんな山奥にいたのかな?」 「事情があるみたいだけど、まだ教えてくれる気は無いようだね」  『姥捨山』の噂を聞きつけた都市部の人間が放置した可能性もある、とミハは思っていた。だとすれば、家人とよほど仲が悪かったのか、それとも家が没落したのか。 「そういえば……ミハ姉、あとで奥さまの手を見てくれる?」  ナナは、自分の左手首をさすった。 「ここにヘビみたいな形の腕輪をしているんだけど、手首に食い込んでるの。外しましょうかって言うと、嫌がられて……」 「わかった、見てみる」  ミハはうなずいた。何か身元にかかわる品かもしれない。 「ナナ、悪いね。あの人にはしばらくここに滞在してもらう。みんなには迷惑かけるかもしれないけど」 「迷惑だなんて!」  ナナはかぶりを振った。 「あたしたちだって、ミハ姉や他の兄さん姉さんの迷惑になってきたんだもの。誰かの役に立てるなら、こんな嬉しいことはないわ」  思いやりのこもった口調に、ミハは胸を衝かれた。黙ってしまったミハに、ナナはいたずらっぽく笑った。 「それに、うちの子たちはみんな良い子すぎるんだもの。一人くらい、問題児がいた方が楽しいかもよ?」
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