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前夜を作る老婆
オレは今日、ルームメイトのマサキを尾行する。
突然始まった彼の虚言癖の謎を解明するには、もう尾行するしか方法はない。
マサキはここ2週間と同じように午後4時にシェアハウスを出た。オレはそのあとを追う。
「おい、ユウタ、今日はお前までどこ行くんだよ?」
「ごめん、アキラ!急いでるからまた後!」
「後って、マサキもユウタも外出したら誰がオレと『ダイ・ハード』見るんだよ~」
騒ぐアキラをよそに、マサキがエレベーターで一階に向かった後を非常階段で追いかける。通りに出てから、マサキは信号を渡ったが、こちらはあえて信号は渡らずに車線を挟んで平行に歩行する。
途中、マサキが小道に入りこんだところで僕は少し焦って走り出し、それでも上がった息がマサキの耳には届かないように、細心の注意を払って、見失わない程度に距離を空けて、尾行を続けた。
とにかくこの謎を解きたい。オレの頭はそれで一杯だった。やがて小道の突き当たりに二階建てくらいの古びた建物が現れた。
『わくわく前夜』
ヨーロッパ風の佇まいに日本語のダサい名前。
その建物にマサキは入っていった。
5分ほど待って自分も建物に入る。建物の中は鉄筋の普通のマンションのようだった。2階というより1.5階という方がしっくり来る10段ほどだけ階段を上がった先にある扉は開放されている。年老いた女性が奥で椅子に腰かけているのが見える。
先客はいないように見える。マサキは一体どこに行ったのか。部屋に近づいていくと、老婆がこちらに視線を向けたので、目が合った。
「いらっしゃい。お客さん、初めてかい?」
「いや、あの。はい、初めてです。」
「じゃあお客さん、趣味は?」
「え?」
何かがもう、始まっているのだろうか。
老婆はじっと、こちらを見つめて僕の回答を待っている。
「海外旅行です。ベタですけど。」
「欲望にベタもヘッタクレもないよ。海外旅行ねぇ、どこか思い出の場所とか、もう一度行きたい場所はあるかい?」
「ニューヨーク、ですかね。これもまた、ベタですけど。」
老婆はニコリと笑って目配せをする。その視線の先に、30代そこそこの男が背筋をきれいに伸ばして立っている。老婆の目配せから一呼吸置いて僕の方へと近寄ってきた。
「どうぞ、こちらへ。」
訳も分からず男の後に着いていくと、カラオケボックスのように個室がたくさん並んでいる通路が現れた。カラオケボックスとは違って、通路から中は見えない。それぞれの部屋からの音漏れもない。
「こちらの部屋になります。」
「いや、ごめんなさい。今更で申し訳ないんですが、オレは今日、この店に用があるわけじゃなくて、実はその、最近おかしくなってしまった友達が何をしてるのか知りたくて尾けてたんです。そしたらここに辿り着いて。」
「初めての方は無料でご案内させていただきますので、ご安心ください。」
「いや、だから、」
「あなたが気になっているその謎も必ず解けます。」
半ば強引にドアを閉められた。仕方なく、正方形の部屋に沿うように置かれたソファに腰をかける。音はしない。いや、耳をすませば微かに何かが聞こえてくるような気がする。匂いも少しするような気がする。でも、どれも名付けようがない微かな音や匂いだ。
音と匂いに注意を傾けてるうちに気づけば部屋の明かりが薄い赤と薄い緑を行ったり来たりしていることに気づいた。
◇◇◇◇◇
「お客さん、起きてください。」
目を開けるとさっきの案内役の男が僕の体を揺らしていた。
「あれ、ごめんなさい!気づいたら眠ってしまって。」
「いえいえ、リラックスいただけたようで何よりです。」
男は入口と反対側の部屋の壁を押す。すると、それまでは壁にしか見えなかった扉が開いて、そのまま外に通じていた。
「またのお越しをお待ちしております。」
結局、簡易的なホテルのような場所なのだろうか。でもそれではオレが解明したかったマサキの謎は謎のままだ。
ー明日、彼女と登山に行くんだー
始まりはマサキのセリフからだった。登山好きだったマサキの恋人が山に登る途中で足を滑らせ、運悪く命を落とした3ヶ月後、マサキはそれまでの鬱々とした表情から一転して楽しげな表情で帰宅し、新しい彼女と登山に行く予定ができたのだと話してきた。
正直、困惑した。前の恋人を登山で亡くしたマサキが恋人との初デートに選んだのが登山だったこと。マサキが前の恋人との登山デートの前にいつも見せていたような浮き足立った様子を見せていたこと。
ー名前はミオって言うんだ。可愛いだろ?ー
マサキの新しい恋人の名前が死んだ元恋人と同じだったこと。
そして何より、いつも翌日には新しい恋人との登山デートの事などマサキは何も覚えていなかったこと。それなのに夜になるとマサキは決まったように明日はデートだとまた浮き足立ち、そのループが2週間毎日繰り返されたこと。
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