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「で、キミがおれの尻拭いをしてくれるって?」
開口一番、田原崎翔が真吾に言った。やや揶揄を含むニュアンスが感じられたものの、真吾は不快には感じなかった。
それどころか、どことなく自嘲の気配すら漂っている。……どうやら本人は出馬には不承諾なようである。
「はじめまして。山本真吾です……」
言ってから、慌てて真吾は言い直した。
「……このたびは、ご愁傷さまです……亡き田原崎先生には、父が大変お世話になっておりました……本当になんと申しあげてよろしいのか、続く言葉もありません……」
淀みなく真吾の口から自然と礼儀にかなった悔みの挨拶が出てくる。それもそのはずで、十、十一の頃から父の周辺での冠婚葬祭には、有無を言わせず連れていかれたもので、そのおりには父の “ 三訓 ”を聴かされたものだ。
曰く、
『産まれる、倒れる、亡くなる……これを、ひとの潮時、というんだ。そのとき、こちらがどう出るかで、相手方のこちらへの感情の潮時も変わるものだ……』
と。
倒れる……というのは、なにも不慮の病や事故に見舞われたケースだけではない。当人が、人生の壁にぶち当たって悩んだり、冷や飯をくらうような不運不遇のときにこそ、こちら側から近づいて、支援の手を差し伸べよ、といった父からの教えである。真吾が政治家を本気で将来の選択肢として考えるようになったのは中二の頃で、それにはかれの中でのある気づきがきっかけともなっていた。
……恋をしたのである。
初恋といっていいだろう。
一年上の柳沢大地である。男性を好きになる……ということに、真吾は戸惑い、自分の感情の納め方がわからず、半月ほど不登校が続いた。
引きこもっていたのではない……市立図書館に毎日通い、医学書、心理学関連の書籍を片っ端から読みはじめた。そんな真吾の姿を知った図書館司書が、当時まだ市議会議員だった父親の山本真一郎にひそかに一報したのだったが、このとき真一郎は、なぜか、傍観を込め込んだ。さらに、真吾の母律子にもなにごとかを伝えたようである。その詳細は真吾もいまだに知らないが、わずか二週間足らずで、通学を再開した。結局、柳沢大地に直接、気持ちを伝えることもなかった。
真吾が男性と結ばれたのは高校になってからのことである……。
初めて翔を見た真吾は、なぜか初恋の男、柳沢大地の姿が彷彿として蘇ってきた。感じが、雰囲気が、そして音質も似ている……のだ。
顎のラインがそっくりといっていいほど、大地のそれに重ね合わさった。やや鋭角的な顎先から喉元にかけてのギリシャ塑像のようなメリハリのある曲線は、真吾の記憶のなかにある大地の横顔と似ていた。肩幅はさほど広くなく、どちらかといえば筋肉質ではないようにもみえた。
翔はスーツを脱いでいる。
ネクタイをはずしたカッターシャツのボタンに毛髪らしいものがついているのをみた真吾は、それがデザイン線画の延長のような気がして目をしばたいた。商社マンだと児島綾から聴かされてはいたが、ロングヘアをオールバックにまとめて後ろで束ねている翔は、どう見てもファッション誌のモデルかホストのようにみえなくはない。
足を組んで、こちらを見上げてまま、翔は不思議そうに柔らかな視線を真吾に投じている……。
「ね、キミ、いつも、そんなオジンみたいな挨拶、してるの?」
立ち上がりざま翔が言った。
「あ……いえ、そんなことは……」
「ラクにしたらいいじゃん……ここで暮らすんだろ?」
「え……?……そ、そんなことは……」
「何も聴いてない? 議席、失ったら追い出されるけど、選挙終わるまでは使っていいみたいだから……アヤちゃん、かれに何も伝えてないのかい?」
翔は児島綾とはかなり親密らしい。返答に窮している真吾に、
「ぼっちゃま……」
と、あたかも悪戯仲間のような口調で綾が応じた。
「……それは今夜、打ち合わせします」
「なら、三人でどうだい? 久しぶりの3P?」
「そ、れ、は……また次の、お、た、の、し、み。……それに……まもなく山内さんも見えられますから」
本気か冗談なのか二人のやりとりを耳にして真吾はこの空間には自分の居場所がまったくないことに気づいた。
(山内って誰だろ?)
次から次へ登場する未知の人の名に真吾は驚いている。
とても長い夜になりそうな予感がしてきて、着替えもなにも持ってきていないことにも狼狽えて、それを悟られないように真吾は慌てて咳払いでごまかした……。
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