誰にも愛されない憂鬱お嬢さまと、誰にも調子のいいナマイキ執事の恋

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 私は母に愛されなかった。  私が物心ついてから、十年前に母が亡くなるまで  優しい言葉をかけられた事も、抱きしめられた事もなかった。  病気だった母は、いつもベッドに横たわり。  私は病室に入る事すら許されず、鍵穴から母の姿を見ていた。  二度寝の微睡みの中、そんな事を考えていると。  ドアをノックする音と共に、執事であるアイザックの声がした。 「メロディお嬢さま、朝食の支度が整いました」 「食べたくない」  私は不機嫌さを声に滲ませた。 「なんだか今日は、食欲ないの」  執事というが、私と六つしか変わらない二十歳の若造アイザックは。  部屋に入って来ると、わざとらしく大きなため息をついた。 「そうですか。今日はシェフが張り切って、お嬢さまの大好物のパンケーキを焼いたのですが」  毛布の中で、私のお腹が小さく鳴った。 「さらに北の農場より、メープルシロップも取り寄せました。あ、お嬢さまが食べない分、私がいただいてもいいですか?」 「食べるわよ!着替えるから出てって!」  部屋を出るアイザックが閉めたドアに、私は枕を投げつける。  ホントむかつく男!  私が物心ついた頃から、ずっと屋敷にいるアイザックをはじめ。  この屋敷には男性しかいない。  私は死んだ母と、自分以外の女性を見た事が無い。  更に私は、この屋敷から出る事を許されない。  四年後に十八歳になり、社交界でデビューするまで。  学業、スポーツ、マナー、全てを、男性の家庭教師が来て、この屋敷内で学ばされる。 「外の世界は恐ろしいから」  それが父が私を家から出さない理由であった。   私は母に愛されなかったが。  娘を屋敷から一歩も出さないなんて、父も私を愛していないのだろう。  子供の頃から、外に出してと何度頼んでも、頑として首を縦に振らないアイザックも大嫌いだった。  そのアイザックが、朝食を終わらせた私に言った。 「家庭教師の先生が参りました。先日のテストはイマイチでしたね。午後は乗馬のレッスンです。この前みたいに、落馬して泥まみれにならないで下さいね」 「あんた本当に、一言多いわね……」  これが私の世界、屋敷の中の全て。  私の世界は、モノクローム。  私は、誰にも愛されていない。  でも外の世界になら……。  私をときめかせてくれる、新しい出会いがあるに違いない。 ◆  賑わう商店。  飛びかう物売りの声。  町の熱気に、私はワクワクした。  これが外の世界。  伊達に、乗馬でずっと、障害馬術の練習をしていた訳じゃないのよ。  正門と裏門は高い塀で囲われているけど、農場には低い柵があるだけ。  乗馬の授業中、馬に鞭を入れ、アリーナから逃げ出した私は。  農場を突っ切り、低い柵を障害馬術のテクニックで飛び越えて。  長年の憧れ、町へとやって来た。  アイザックめ。今頃、オロオロしている事でしょうよ。  少しだけ年上なのに、いつも偉そうにして。ざまぁみろ、だわ。  町外れに馬を繋ぎ。  私は生まれて初めて、町に脚を踏み入れた。  人、人、人。  老人も、子供もいる。  それに、私が見た事ない女の人も。  何か果物を売っている、その女の人に。  私が思わず、近づいた瞬間。  女の人は、私の乗馬服に着いたカニンガム家の家紋を見て、恐怖で目を見開いた。 「きゃぁああああああ!」  一体、何に怯えたのだろう?  その次の言葉に、私は更に驚いた。 「カニンガム家の女よ!死神メロディよ!」  え……私?  ザワッ、とその場の空気が変わった。 「本当だ!カニンガムの家紋だ!」 「女子供を後ろに隠せ!」 「ちくしょう!なんで死神メロディがこんな所に!」  誰かが投げた石が、ヒュッ、と私の頬をかすめて飛んで行った。  棒や石を手にした男の人たちが、ジリジリと私を取り囲む。  なんで?私、何もしていない! 『外の世界は恐ろしいんだ』  お父様の言葉が頭を過った。  殺気だった人々が、私に襲い掛かろうとした、その時。 「静まれ!静まれい!痴れ者ども!」  私がさっき、村外れに繋いできた馬に。  燕尾服のアイザックが跨って。  群衆と私の間に、割って入った。  普段の慇懃無礼な態度が嘘の様に。  将軍の様な、堂々とした態度で、アイザックは馬上から人々に言った。 「お前たちが無事でいられるのは誰のおかげだ?カニンガム家が、呪いを一手に引き受けたからではないか!」  え?  なんの事? 「恩知らずどもめ!意義のある者は、侯爵家に申し立てよ!」  その言葉に、人々が怯んだ隙に。  アイザックは私の手を生き、馬上に引き上げると。  そのまま一気に屋敷へと走り戻った。  私は馬上で、アイザックを背中から抱きしめ震えていた。  家では誰も、愛してくれなかった。  外に行けば、望みがあると思った。  でも罵られ、石を投げられた。  この世にはもう、私を愛してくれる人はいない。  いや、きっと地獄にだって。 ◆ 「感染は、息が届くほどの近さに五分以上いないとしません。念のため呪術師を街中に放ち、探らせていますが、恐らく誰も感染していないかと」 「そうか……よかった」 「お館様はご心労が酷いので、お嬢さまには、私が話します」  お父様は「気にするなよ、と言っても無理かもしれんが……」と私を抱きしめ、お部屋へ戻られた。  私の部屋に残ったアイザックは、とんでもない事を、あっさりと言った。 「お嬢さま。貴女はこの国で、たった一人の呪いにかかっています」  アイザックの説明は、私の心を凍らせた。  今から十数年前。我が国と、隣国との戦争で。  隣国が恐ろしい魔法兵器を使った。  それが【女殺呪】。  敵の魔導士が戦線の兵士に呪いをかけるが、本人には症状が出ない。  無症状のまま故郷に帰った兵士は、周囲の人間……それも女性に、その呪いを伝染させ。  ある日突然、呪いが発動して、感染した女性が一斉に死ぬ。  そう。戦場から遠く離れたあちこちの場所で。 「戦場で男を殺し、【女殺呪】で本土の女性を殺す。この作戦は、我が国を滅亡の危機に追いやりました」  その国亡の危機を救ったのが。  当時、国で一、二を争う魔導士だった父だという。  【女殺呪】は、当時の魔法技術では、消す事の出来ない恐ろしい呪いだった。  だが、感染者を防ぐため、一ケ所に封じ込める事は出来た。  父は、国中の女性に蔓延した【女殺呪】を、凄まじい魔法力で一つに集め。  自らの血筋……「カニンガム家の女」の中に封じ込めたという。  おかげで、この国は【女殺呪】から救われた。  そこで私は、ピンと来た。  私の中に、【女殺呪】が封じ込められて……。  だから私は、男性しかいない屋敷の中で……。 「じゃぁ……私もいつか呪いで死ぬの?十八歳で社交界デビューするのは嘘なの?」 私が震える声で言うと、アイザックは答えた。 「いいえ。屋敷に張り巡らされた結界で、呪いの進行を止めています。更に【女殺呪】の研究は進み、完全治療が確立されました。お嬢様が成人されましたら、完全治療の儀式を行います。それでお嬢様は普通の生活が送れます」 「その治療を、今すぐすればいいじゃない!」 「完全治療の魔法は、体力と魔法力を著しく消耗します。今のお嬢様の体では、とても耐えられません。逆に治療が、命を奪ってしまいます」 「そんな……」  私は目の前が真っ暗になった。  体内に居座る、私の知らなかった呪い。  だから、私は屋敷から出られない。  だから、私は他人に石を投げられる。  だから、私は……。 「お母様に、愛されなかったんだ」  言葉にすると、感情が一気に湧いて出て来た。  熱い涙が頬を流れ落ちる。  感情が噴き出るまま、私は叫んだ。 「そうよ!だからお母様は、私を愛さなかったのよ!呪いのかかった娘だもの!だから私は、世間の子供が当たり前に受けている、母の愛が得られなかった……」  パァン、と乾いた音がした。  右頬が熱く痛む。  アイザックが私を引っぱたいたのだと、理解するのに数秒かかった。 「今のは、天国の奥様のお叱りです。おっと、少々ベタでしたか?」  ハンケチを取り出すと、アイザックは私の涙を拭きながら言った。 「貴女が成人するまで口止めされておりましたが……。このアイザック、初めて奥様の言いつけに背きます」  一体、何のこと?  次のアイザックの言葉は、私の心臓を貫いた。 「お館様が、国中の女から魔法で集めた【女殺呪】を封じ込めたのは、奥様の体です。奥様は国を救う為、ご自分の身を差し出したのです」  全国民を守る為に。  我が身を差し出した母。  妻を犠牲にした父。  なんと壮絶な覚悟だろう。 「奥様は皮肉にも、【女殺呪】を受け入れた後に、あなたを身ごもった事に気づきました。メロディ様は、奥様の胎内で感染したのです」  出産と同時に、私は母から引き離され。  診察の結果、感染はしているが、母ほど症状は重くなく。  屋敷に張り巡らされた結界で、呪いの進行は防げて。  後に開発された「成人後の完全治療」に望みを託せる事になった。  だが国中の【女殺呪】を、一手に引き受けた母は。  結界も、治療魔法も効かず。  刻一刻と、死に近づいていく。  母は【女殺呪】の悪影響を、これ以上、私に伝染させない様に。  直接会わず、口もきかず、伝染の可能性をシャットアウトして過ごしたのだ。 「貴女が生まれた数日後、私は奥様に呼ばれました」   どこか遠くを見るような目で、アイザックは語り続けた。  彼は、そんな昔から、この屋敷にいたんだ。  母は、まだ六歳だったアイザックを病室に招きいれると。  ベッドの近くに呼び寄せ。  起き上がって、抱きしめたという。 「ああ、あなたがメロディだったらいいのに」と。  自分はもう、長くはない。  その上、自分を蝕んでいる【女殺呪】の悪影響を、これ以上、娘に伝染させない為。  愛する娘と会う事も、話す事も出来ない。  そう言った上で、母は、僅か六歳の少年に懇願した。 「あなたは将来、あの子の執事になるのね?どうか私の分も、あの子を愛してあげて」  幼かったアイザックは、頷く事しか出来なかったという。 「私はあの子を、抱きしめる事も、あやす事も、キスする事も、普通の母親がしてあげられる事は何ひとつ出来ない。どうかお願い。私の想いを、あなたに託させて。あの子を……守ってあげて」  記憶の中では、私に背を向けていたお母様が、そんな事を言っていたなんて。 「あの日から私は、奥様の言葉を胸に生きてきました。奥様から託された愛を、あなたに注いで来たつもりです。それは……私だけではありませんよ」  気が付くと。  開いたドアの向こうに、使用人やシェフ、庭の選定師。  この屋敷で働く人々が、心配そうに私を見ていた。 「お屋敷に、古くから勤める者は、皆、奥様の想いを知っています。奥様の想いを引き継いでおります。メロディお嬢様が完全治療を果たされる日まで……いぇ、その先もずっと、奥様の想いは、皆の中に生きているのですよ」  私は毎日の生活の中で、当たり前の様に接して来た使用人たちの顔を、一人ひとり見た。  こんなにも多くの人が。  母の想いを受け継ぎ、秘密を守って、私の為に尽くしてくれていたんだ。  私は。  ずっと母に愛されていなかった、と思い込んでいたが。  こんなにも、母に愛されていたんだ。  気が付くと、私は。  アイザックの胸に顔を埋め。  大声を上げて、子供の様に泣いていた。 「お泣きなさい。好きなだけ。貴女には、その資格があります」  そっ、と私を優しく抱きしめ。アイザックは言った。 「あ、でも鼻水は服に付けないで下さいね」  コイツの、こういう所、大嫌い。 ◆ 「お嬢さま、マナー講師の先生が……おや?」  いつになく早く身支度を終えた私を見て、アイザックは目を丸くした。 「これは驚きました。淑女の自覚が出て来た様ですね」 「まぁね。でも……」  先日、私に罵声を浴びせた町の人々を思い出し、私は気分が暗くなった。 「仮に大人になって完全治療に成功しても……。死神メロディじゃ、お嫁の貰い手がないかもね」 「大丈夫ですよ。治療が成功した瞬間に、死神は聖女に変わります。それに……」  アイザックは不意に、私の前に跪いて言った。 「メロディ様は、年上はお嫌いですか?」 「え?」  咄嗟の事に、キョトンとする私の右手を取って、アイザックは言葉を続けた。 「お館様が何故、私を幼少期から屋敷で育てたか。お嬢様に相応しい教育を施す為です」  私はかぁっ、と顔が熱くなるのを感じた。  それって、私とこいつが……って事? 「最も、お嬢さまが気に入らないのなら、お館様に、別の方を紹介していただきますが……」 「イヤだなんて言ってないじゃない!じゃなくてぇ!」  これは突然のプロポーズなの?  こいつ、本当、何考えてるかわかんない。 「あーーーっ、もう!そういう事は大人になってから考えるわよ!」 「御意」  顔を真っ赤にしてマナー講師の先生がいる部屋に向かう私の後を、アイザックは涼しい顔でついてきた。
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