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「改変はいいですけど、改変したからには改変したなりに整合性は必要だと僕は思います。僕が言いたいのは、桃太郎が桃から生まれたのが間違ってるってことじゃない。桃から生まれた時点で、桃太郎は明確に“人間じゃない”ってことなんです。明らかに、人ではなくアヤカシの類でしょう。……そんな得体の知れない子を、おじいさんとおばあさんはどうして育てようなんて思ったんでしょうか。得体の知れない桃を拾って食べようとするくらいに貧しかったと想定されるのに、人間でもなんでもない子供拾って育てる余裕、普通ないですよね?」
言われてみれば、そうかもしれない。私は考えたこともない視点であったが。
「裏を返せば。……多少生活が厳しくても、人外だと分かってても、桃太郎を育てる必要がおじいさんとおばあさんにはあったのではないでしょうか。単純な善意だと考えるには、やや不自然な点が多いので。というか、本当に心優しい夫婦なら、自分達の生活もいっぱいっぱいなのに子供拾って、同じくひもじい思いをさせようと思うでしょうかね」
だから僕はこう思うわけです、と魁人。
「桃太郎は、桃から生まれたのではない。桃から“復活した”桃太郎だと」
「復活……?」
「そう。例えば……既に死んだ、特別な存在が生まれ変わり、桃に宿って復活した。そして、その存在を必要とするおじいさんとおばあさんのところに必然的に流れついた」
彼いわく。
桃太郎の世界では、人外と呼ばれる存在は“鬼”しか登場していない。勿論他にも人外が存在する世界である可能性はあるが、もし鬼以外に善きアヤカシや神が実在するというのなら、鬼に搾取されて困っている漁村の人々を放置しておくものだろうか。
ならば、その世界に力ある人外は鬼しかいない、と思うのが自然なのではないか。あるいは、それ以外にいたところで人間に好意的な存在ではないと思われるので、今回の場合は考察の外に置いていいのではないか、と。
その上で。
長く漁村の人々が鬼に悩まされていたということは、漁村の人々では鬼に太刀打ちできなかったと考えるのが自然。当然、大人の男が複数いたはずなのにかなわなかった、ということになる。
ならばますます、犬と雉と猿の助力があったとはいえ、子供であるはずの桃太郎が単身鬼が島に乗り込み、鬼を退治できたというのが不自然に感じるのだと。言われてみればその通りかもしれない。桃太郎は何故、鬼に匹敵するだけの身体能力を備えていたのだろうか。
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