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4 夜風に吹かれて
怒りのままの悠。部屋から出てこなかった。澪、涙の顔をやっと拭いた。
……あんなに怒るなんて。私はなんてことを。
彼に心配かけたくなかった澪。秘密にしてしまった怪我のこと。これが彼を傷つけてしまったこと。ようやく理解した。
……ああ……私のせいだわ。
結婚に向けて邁進している彼に。実家の家族に殴られたとは、言いたくなかった。家族に邪険にされている娘だと。彼には知られたくなかった。澪、涙がようやく収まってきた。
……やっぱり。私は悠様の奥さんには相応しくないわ。
昨日、出会った母と福子の言葉が今ごろじんわり痛んできた。名家の次男の悠。資産家の息子で仕事でも期待されてる人物、澪の傷は深く抉られていた。
……お母様の言う通り……私は自分のことしか考えていなかったわ。
澪は立ち上がった。そして用意していた夕飯を御膳に乗せて居間に置いた。これで悠は食事をできるはずだった。澪は勇気を出して自室の悠に声を掛けた。
「旦那様。お夕食はできております。冷めないうちにどうぞ」
返事はないが。澪は頭を下げた。そして、居間に戻り書き置きをし、風呂敷を整えた。
……これでいいか。
澪。玄関で草履を履いた。そして。屋敷を出た。
悠。機嫌を取り直し部屋から出てきた。
「澪。先ほどは悪かった。ん?澪?どこだ」
静かな部屋。人の気配がなかった。悠、心臓が止まる思いで玄関に出向いた。
「ない。ない!澪の草履が。もしかして?」
居間に戻った悠。茶箪笥の引き出しをひっくり返した。出て行ったかもしれない澪の私物を探していると。赤い札を大量に発見した。
「え?これは。これも。質札ではないか」
……なぜこんな物が……
しかも。澪の私物が一切なかった。悠。赤札が手からひらりと落ちた。
……待てよ。今までの生活費……もしや澪が捻出していたのか?
森下にお金を管理されていた時期に嫁に来た澪。思えば澪は高価な果物や肉を自分に食べさせてくれていたことを。ここで思い出した。
……では。あいつは嫁入り道具を金にしたと言うのか?まさか……
そんなことはないと必死に澪の荷物を探したが。何もなく出てくるのは赤い紙ばかり。悠。悔しさの拳を握った。が、素早く外に出た。星空の下、下駄の足にて澪を探しに走っていった。
……あいつは、実家では冷遇されていた娘。家には帰れないはず。
悠。公園か川に目星をつけて向かった。そして駅までの道を歩く娘を発見した。
「澪!行くな」
「え。旦那様」
「澪!!」
悠。背後から抱きしめた。澪。びっくりしていた。
「旦那様」
「俺が悪かった。お前の気持ちも知らずに」
「え」
走ってきた悠。くるりと澪を自分に向かせた。
「はあ、はあ。だから。お願いだ。どこにも行かないでくれ」
「え。その」
「俺にはお前が必要なんだ」
また抱きしめた悠。ここで通行人がジロジロ見ていた。澪。恥ずかしそうに言葉をこぼした。
「旦那様。澪はその。旦那様にアイスクリームを買おうと思って」
「は?」
「言付けを書いておいたんですが。すいません。私、買い物に来ただけなんです」
「買い物ぉ?」
変な声になってしまった悠、これに澪が笑った。
「ご、ごめんなさい」
「……もういい。帰るぞ」
悠、手を繋いで星の下を歩き出した。悠は無言であったが、染まった頬は恥ずかしそうだった。澪も何も言わずに彼と共に帰路についた。
到着した悠。澪にやんわりと確認した。それは怪我の理由と体の状態と、赤札の正体だった。澪。全て正直に打ち明けた。悠は静かに聞いてくれた。
「体はその。頬は痛みは引きました。脇腹はまだちょっと痛みますけど」
「赤札は?お前、もしかして金に困って、嫁入り道具を質屋に入れたのか」
「……すいません」
「はあ」
悠。頭を抱えた。澪。小さくなりながら説明した。
「森下さんがお金を管理してたのでそうしたんですが。嫁入り道具といっても。その。私は実家にあった古いものを持たされただけですし」
「だが大事な物であろう?」
悠自身は金を持っている。なのに嫁入りの澪に金に苦労させていた事実。彼にはショックだった。しかし、澪は強く出た。
「いいえ!澪にとっては旦那様の方が大事なんです!」
「澪」
「だから。手放してもちっとも悔いではありません」
「……そうか。澪。こっちにおいで」
悠。ふわと抱きしめた。
「ありがとう」
「旦那様」
澪の頬には熱い涙が流れた。悠。それをよしよしと頭を撫でた。
「そうだよな。お前はそう言うやつだったな……俺の方こそすまない。気がついてやれなくて」
「そんなことは」
「いや?お前がそういう娘だとわかっていたはずなのに。俺が本当に悪かったんだ」
悠。胸の中の愛娘を見つめた。
「だから。これからは秘密は無しだ」
「……はい」
「俺もお前に正直に言う。だからお前も正直に言うんだ」
「わかりました」
「へえ。じゃあ。俺のことをどう思っているんだ」
「え!それは……」
澪。みるみる顔が真っ赤になった。
「その。尊敬してます」
「尊敬ね」
「お優しくて。私のお料理をたくさん食べてくれるし。嬉しく思っています」
「だめだな。まだ聞きたい言葉が出てこない」
「まだですか?ええと、その……」
続きが聞こえない小声。悠。彼女を急かした。
「言いたくないのか?」
「いいえ?あの。好きです!お慕いしてます旦那様を」
「……よく言えました」
悠。思わず黒髪に口付けた。
「俺もな。お前が好きだ……ずっとこうしていたい」
「旦那様」
抱き合う二人。うっとり目を瞑った。甘い時間が流れた時、お腹がぐうとなった。
「うふふ」
「うるさい!さあ、一緒に食べるぞ」
「はい。旦那様」
「あのな」
悠。彼女と自分のおでこをくっつけた。
「そろそろ。その旦那様はやめてくれないか?お前は使用人ではないのだから」
「わかりました……ゆ、悠様」
恥ずかしそうな澪。これが嬉しい悠。微笑んだ。
「おお。もう一度」
「悠様」
「よし!食べよう。澪。今夜は何だ?」
こうして仲直りした夜。二人は笑顔で過ごしたのだった。
翌日。役所にて。
「大島。お前、計算を一桁間違えていたぞ」
「あ。すまん!」
「いいさ。俺が直しておいたから」
機嫌の良い悠。大島、思わず吹き出した。
「なんだ?」
「……お前さ。わかりすぎ!よかったな」
「え」
「大事にしろよ。あーあ。俺も誰かさんのような嫁さんが欲しいな」
ふざける大島、悠。笑顔で許していた。そんな机には溜まった書類。壁には台風の進路の予想図が貼ってあった。
……さあ、仕事だ。そして、実績を上げるんだ。俺たちのために。
そんな悠、電話に応対していた。暦はいつしか夏の終わりに差し掛かっていた。
完
次回は5月4日水曜日です。そしてこの週に最終話を公開予定です。いつも応援ありがとうございます。
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